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11章5節:流刑都市ソドム

 血痕。ゴミ。吐瀉物。放置された死体。

 どこを見ても穢れているこの街は、かつて美しい街並みが広がるルミナスの帝都であった。しかし「ソドム」と呼ばれるようになった今は見る影もない。

 住民の質も当然悪く、血みどろの喧嘩を繰り広げている者、路上で異性を誘惑している者、酒や薬にやられたのか全裸でうわ言を叫んでいる者と、誰も彼もまともではない。

 そんな退廃と不浄の中を、フードを目深にかぶった一組の男女が並んで歩いている。


「こら、あんまりキョロキョロしてると怪しまれるニャン!」

「いや、だって……想像と違うっつーか……」

「この街ではあんたら外部の人間が思ってたような弾圧は行われてない……むしろ放ったらかしで治安乱れまくりニャ。だからこそリル達は武具や魔物を操る薬を入手できたニャンね」


 顔をしかめている青年はライル。もう一方の小柄ながらも堂々としている少女はリルだ。

 二人はアステリアの命令を受けた後、すぐに行動を開始した。

 ソドムの通用門はいかにも精強そうな兵士達――各国が派遣した人員で構成されているソドム統治軍の所属である――に守られていたが、リルが彼らに顔を見せると、ライルが拍子抜けする程にあっさりと侵入できた。

 ただ、魔王戦争終結直前の帝都を知っているライルは、その変わり様に面食らっているようである。


「弾圧が無かったのは良い……が、これはこれで問題だろ。統治軍は何をやってんだ?」

「それを今から調べるニャ」

「たしか統治軍は帝城を拠点にしてるんだろ? そこに忍び込むのが手っ取り早そうだが、他にアテがあったりすんのか?」

「う~ん、あんたもリルも隠密が得意とはいえ、もっと安全にやりたいニャンねえ」

「盗賊団に物を融通したっていう兵士に色々聞いてみる……ってのは流石に無理だよな」

「まあそりゃねえ……あっ!」

 

 ふとリルが何かを思いついたかのように立ち止まり、ライルを見上げて蠱惑的に笑った。

 

「ちょっと思いついたことがあるから行ってくるニャ。すぐ戻ってくるから待っててニャ」

「お、おい、どこに行くつもりだ!?」


 そう言い終えた時にはもうリルは姿を消していた。

 ライルが舌打ちをする。まんまと油断した隙を突かれ、「リルの監視」という任務を完遂出来なくなったことを悔しがっているのだ。


「畜生、俺がドジなのか、それとも人の心に入り込むあいつの技術が凄いのか……」


 監視を再開する為にリルを探すべきか、それとも彼女の言葉を信じて待っているべきか。

 あれこれと葛藤していたそんな時、どこからか女の悲痛な叫びが聞こえてくる。

 恐らくリルとは関係ない。理不尽な暴力はこの街の日常なのだろう。下手に関わればこのあと動き辛くなるかも知れないから無視すべきだ。

 

「ああ分かってる。分かってるよ……でも!」


 冷酷な理性を振り払うようにライルは独り言ち、駆け出した。

 

 商店と汚泥の詰まった水路に挟まれた路地裏。

 袋小路に追い詰められた女は、大剣を持った半魔の巨漢に服を破られそうになっていた。

 彼女は少し前、ローラシエルに捕まりソドム送りにされたばかりで、この街での生き抜き方を知らなかった。その為、知らないうちに特に治安の悪いエリアに侵入してしまい目を付けられたのだ。

 周りの人間が男女問わず下卑た視線を送るばかりで手を差し伸べようとしないなか、ライルは巨漢の背中に向かって「ゲス野郎! その子を放せ!」と言い放った。

 彼の挑発に乗り、おもむろに男が振り返る。


「あぁ? なんだてめぇは。でかい口叩くわりにはクソ弱そうじゃねえか」

「試してみるか?」


 ライルは威嚇の為に《迅雷剣バアル》を抜いた。

 もっとも、体格でも武器の大きさでも圧倒している男が怯む様子は全くない。


「そんな弱そうな武器でイキがってんじゃ……ねえぞッ!」


 男が力むのを察知したのか、観衆が慌てて距離を置く。

 尋常ならざる筋力で振り上げられ、降下する鉄塊。

 当たれば人体など簡単に四散してしまうだろう。

 だが、ライルからしてみれば欠伸が出そうになるほど鈍い攻撃でしかない。


 彼は結局、どれだけ訓練を積んでも剣を扱うことは出来なかった。

 それでも、ウォルフガングやアステリアといった稀代の剣士から教えを受けたことは事実。

 あの二人と比べたら、膂力任せであるこの男の剣など取るに足らないものだ。

 

 大剣の軌道と威力を見切り、最小限の後退でかわすライル。

 彼は男を表通りまで誘導した後、《迅雷剣バアル》の能力を用いて殺傷性のない閃光を放った。


「な、何しやがった!?」


 目眩ましで男が狼狽えているうちにライルは女に駆け寄り、彼女と自身に対して《隠匿(コンシール)》を使用。

 その場から急いで立ち去るのであった。

 物陰に潜んでしばらくじっと待ち、男が捜索を諦めて立ち去ったのを確認すると、ライルはほっと一息ついて隣で膝を抱えている女を気遣った。


「大丈夫か?」

「はい……なんとか。あなたのようなお優しい方も居るのですね」

「そんな大層なことはしてないさ。相手がアレだったしな」

「あんな強そうな人をやり過ごすなんて、私からしたら十分に凄いことです」

「じゃあ、素直に褒められておくかな」


 ライルはこの女をどうしたものかと少し考え込み、再び口を開く。


「えっと……俺たちは訳あってソドムに来ているんだが、用事が終わったらここを出るつもりだ。その時は一緒に来ないか?」

「……良いんですか?」

「ああ。一人連れ出すくらいなら文句言われねえだろ。外に出たらブレイドワース辺境伯領に行く。あんたに帰る場所があるかどうかは分からんが、何にせよ歓迎してくれる筈だぜ」

「……ありがとうございます、本当に」


 女は顔を上げ、乾いた笑顔を浮かべてボロボロと泣き出した。

 ライルは一瞬、嬉し泣きだと思ったが、すぐに違和感に気付いた。

 どこまでも虚ろなその目は希望を掴んだ人間のそれではない。まるで、どうあっても取り戻せない何かを既に喪っているかのような。

 

「最期にあなたと出会えて良かったです」


 女が立ち上がって物陰から出ようとすると、ちょうど慌てた様子のリルがやってきて鉢合せしかける。

 女は軽く頭を下げ、どこかに立ち去っていった。


「あ、待ってくれ……っと。行っちまったか……」

「探したニャンよ! リルというものがありながら何ナンパしてるニャ!」

「ちゃんと待ってなかったのは謝る! だが決してナンパしてた訳じゃねえ! ゲス野郎に襲われてたから成り行きで助けただけだ」

「まあそんなことだろうと思ったニャ。さっきのは冗談。これくらいのイジりは許せニャ」

「勘弁してくれ……で、結局なにしてたんだ?」

「娼館に娼婦として登録してきたニャ。夜になったら情報収集しに行くから、その間あんたは適当に酒場や賭博場で聞き込みでもしてろニャ」

「娼館っ!?」


 リルが何気なく発した言葉に驚き、顔を赤くするライル。

 照れ隠しで視線を下にやった彼は、ついリルの身体をまじまじと見てしまった。

 彼女は浮浪児だったネルとは異なり、盗賊としてそれなりに成功しており栄養状態には恵まれていたのだろう。身長こそ低いが体つきは肉感的だ――と、そんな邪念を払うようにライルは頭をぶんぶんと振る。


「た、確かに情報を聞き出すにはうってつけかも分からんが、もっと自分の身体を大事にだな……!」

「そういうウザいこと言って止められると思ったから黙って行ったニャン。リルはもともと娼婦だったというのは言った筈ニャン。いまさら抵抗無いニャンよ」

「それだってきっと嫌々だろうし……」


 そう言いかけたところで、リルは腰に手を当ててムッとした。


「馬鹿にするニャ。誰もが忌避感を抱きながら『仕方なく』やっていると思い込むのは傲慢ってやつニャ」

「……リルは違うと?」

「この顔も身体も技も、リルが誇りにしているものの一つニャ。あんたも喜ばせてやろうかニャ?」

「遠慮しておく……でも、そういうことなら悪かった」


 本気で申し訳なさそうに俯いているライル。

 そんな様子を見たリルは肩をすくめた後、優しく笑って手を伸ばし、彼の頭をぽんぽんと軽く叩いた。

 

「別に気にしてないニャ。あんたが良い奴ってのはよく分かったニャ。あんな戦闘スタイルの癖して素直な男ニャンねえ……」

「たぶん彼女の影響だろうな」

「リーズ……だったかニャ?」

「ああ。助けたいと思ったら助けるしムカついたら斬る、リーズはそういう子だった。お陰で主にリアが手を焼くこともあったが」

「なるほどニャ……今でも大好きって感じニャンね」

「当然だ。俺の恋人はリーズだけだよ、後にも先にもな」

「リルが付け入る隙はなさそうニャ」

「はぁ? なんでそうなるんだよ」

「あんたのこと、結構好きになったかもニャ」

「またイジりかよ」

「そうかも知れないニャ」


 悪戯っぽく笑うリル。一体この笑顔でどれだけの男を落としてきたのだろうか。

 宣言通り戻ってきた辺り、仲間としてはもう少し信用して良いのだろうが、女としてはあまりに魔性で恐ろしいくらいだ。

 そんなことを感じつつも、ライルはリルと共に表通りに出るのであった。

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