11章1節:ルアとクロード
これはブレイドワース辺境伯領での争いより少し前の話。
レヴィアス公爵家当主ルアは、西方大陸北部の国――エルグレン公国に招かれていた。
エルグレン公国と言えば世界最大規模の商業組織《ヴィント財団》の代表、クロード・ヴィントが運営し、他の西方諸国を抑えてリーダーシップを発揮している国である。
西方はラトリアや旧ルミナスほど中央集権化が進んでおらず、東方諸国のように多数の小規模国家が「西方連合」として纏まり、互いに協力と牽制を行いながら歴史を紡いできた。
しかし二十年ほど前、当時はまだ弱小組織の一つに過ぎなかった財団が急成長。それに伴って公国も急速に豊かになった。この勢いはクロードが父から公爵家当主と財団代表の座を譲り受けたことによって更に増していく。
そうなればパワーバランスが崩れるのは必然であり、多くの西方連合系国家はクロードに寄生し、彼が「連合のリーダー」として振る舞うことを良しとしてきた。
ルアは護衛と共に街路を歩きながら、エルグレン公国の歴史を思い起こした。
民衆の誰もが彼女を見ると礼儀正しく頭を下げる。
この国には活気と秩序の両方があった。不法滞在者の強制退去が進んでいるとはいえ、未だにスラム街が存在するレヴィアス公爵領やラトリア王都とは違う。
行き交う人々の笑顔を眺めつつルアは考えた。彼らはクロードという信用ならない男のことをどう見ているのだろうか。かき集めた金と権力を民の為に使っている者はただそれだけで正義なのだろうか。
領主の印象について彼らに聞いてみたくなったルアだったが、結局、クロードの待つ邸宅に到着するまで一度も口を利かなかった。
ラトリア王城のそれに匹敵するほど広々とした応接室で、クロードは相変わらず胡散臭い笑みを浮かべていた。
「ルア様、調子は如何ですか? 魔王戦争でのご活躍によってあなたを軽んじる愚か者が減ったとはいえ、未だ心労は絶えないように思われますが」
「ええ、まあ……」
ルアが動かし慣れていない表情筋で無理やり笑顔を作る。
クロードの発言は事実だった。「ルミナス帝都を魔族の保護地区として扱い、各国で共同統治する」というソドム合意の成立後、ルアは領内における魔族の排斥を始めたが、当事者である魔族と半魔および彼らと共存している下層市民の激しい抵抗に遭っており、進捗は芳しくない。
そのような混乱に乗じる形で犯罪グループも活発化しているため、魔族排斥運動そのものには肯定的な中流から上流階級の領民も不安を抱えている。
考えれば考えるほど、レヴィアスを取り巻く情勢は嫌気が差すことばかりだ。
それは部外者であるクロードもよく理解していた。
「心中お察ししますよ。で、そんなルア様にボクは助け船を出したいと思っているんです」
「と仰りますと?」
「なに、シンプルな話ですよ。『古き良きレヴィアス』を取り戻す為の兵士と武器を提供させて下さい」
「……営業をする為に私を呼びつけたんですか?」
ルアが冷たい目で睨むと、クロードはわざとらしく両手を上げて弁明した。
「いえいえまさか! お金は頂きません。観光都市として名を馳せていた頃のレヴィアスが蘇るのであればボクも嬉しいですし、それに、あなたにはソドムの件で感謝していますから」
ポジティブな言葉が並べ立てられるが、ルアは明らかに快く思っていない。
それもその筈。クロードの意図がどうあれ、ルアからすれば皮肉にしか聞こえないからだ。
ソドム合意に途中参加した財団は現在、流刑地となった旧帝都の物流を一手に担っているほか、賭博場や娼館、金貸しといった収容者向けのサービスも展開している。
つまりクロードは、ルア達ラトリア勢力が秩序形成の為に立案した計画を稼ぎのチャンスとして利用したのだ。
ルアは彼の商売根性が気に入らなかったし、それと同じくらい、財団の参画を是としたライングリフにも不信感を抱いていた。
彼女にとってこの計画は飽くまで「多数の為の正義」を遂行する為のものでなくてはならない。
なまじ人並みの良心を持っており、しかも彼女自身が貴族社会における少数として迫害を受けてきたから、無理にでもそう信じなければ耐えられないのである。
ルアは「このような男に頼りたくはない」と思い、少し黙り込んだ。
しかし、どこまでも優秀な彼女の理性はすぐに打算を重ね、感情を覆い隠すのであった。
「正直、有り難い申し出です。しかし、あなたのような方が何の対価もなく資源を差し出すとは思えません」
「……話が早くて助かりますねぇ。やはりルア様は素晴らしい御方だ」
「要求は?」
「詳しいことは後ほどお伝えしますが、近いうちに聖人会に議題を持ち込もうと思います。あなた方はそれに合意して頂きたい」
聖人会は提議に対して参加者の過半数が合意することで初めて動く。
クロードはこのシステムを利用し、何かを成そうとしていた。
「内容次第です。ところで『あなた方』とは?」
「ああ、あなたの恋人も上手く説得して頂きたいなと。彼女は本当に実直ですから、ボクみたいな人間の言葉には耳を貸さないでしょう」
「……誰のことですか。私は婚約などしていません」
恋人。予想外のワードにルアは狼狽え、僅かに声を震わせながら誤魔化した。
彼女が想像した人物はただ一人だけであったが、その気持ちを誰かに悟られる訳にはいかなかった。
「おや、あなたがフレイナ様のことを好いているとの噂を耳にしたのですが」
「事実無根です」
「そうでしたか、これは失敬! 結婚して子をなすことも義務の一つである女公が、まさかそんな筈はありませんよねえ。まァ本当だったとして、禁じられた愛を貫くのもボクは有りだと思ってましたが」
「あなたともあろう御方が、随分とつまらない噂を真に受けるんですね」
「つまらない噂などありませんよ。『火の無い所に煙は立たぬ』って言うじゃないですか。たとえ事実そのままでなくとも、元を辿っていけばそこには興味深い気付きがあるものです」
ルアは動揺を隠すように振り向いた。これ以上向き合って話していると噂を噂のままにしておけなくなると思ったのだ。
「……すみません、長旅で少し疲れたので休ませて下さい。話の続き……例の議題については後でもよろしいですか」
「ええ、勿論」