2章2節:呪血病
私たち《ヴェンデッタ》が人さらい事件に関する依頼をひとまず解決してから、一週間ほど経った。
私は情報収集の得意なライルに協力させ、例の拠点に在った取引記録に書かれていた《エグバート商会》なる組織について調査していた。
現状の成果としては、奴らが人や武器、非合法の薬草などを仕入れ、それらを各国の陰に存在する数え切れない程多くの闇組織に流しているということが分かった程度だ。
この手で滅ぼすべき組織であるということが明確になったものの、肝心の正体については掴めないままである。
ウォルフガングは王都周辺の情勢を探りつつ、魔物討伐の依頼に勤しんでいた。
ここのところギルドの依頼に私好みのキナ臭いものは出ていないが、世間にはかなり不穏な空気が流れている。
三日前、序列第八位の冒険者パーティ《蒼天の双翼》が突如として姿を消したのだ。
身元の分かる死体は一つも残っていないが、彼らが魔物討伐の為に向かった草原において大規模な戦闘の跡が見られた。
これを鑑みてギルドは「戦死」として処理した。
《蒼天の双翼》の登録抹消により、《ヴェンデッタ》を含む八位より下のパーティの序列は繰り上げとなる。
もっとも、私は興味が向けばどんな依頼であっても報酬額を問わず引き受けるので、ランク上昇による待遇向上にさしたる興味は無いのだが。
むしろ興味があるのは、彼らがなぜ消えたか、という点だ。
戦闘があったと思しき地点を見に行ったが、大型の魔物との交戦であんな風になるとは思えない。
殆どの魔獣の攻撃方法は野生動物のそれと大差ない。何かの間違いがあってベテラン冒険者である彼らが敗北したとしても、まさか「人体が細かい肉片となって辺りを血で染める」なんてことにはならない筈だ。
今は《エグバート商会》の件で手一杯であるものの、調査する価値はあるだろう。
もしかしたら私たちにも関わることかも知れないので、ウォルフガングもそれなりに警戒をしているようだ。
最後にリーズだが、彼女はもっぱらネルの世話をしていた。
助け出した時には相当に消耗していたネルだが、継続的な手当てと食事の質の向上により、今では元気を取り戻している。
とはいえ、ときどき黒く変色した左腕を押さえて苦しそうにしているのは、一週間前から今に至るまで変わらない。
今後も悪化することはあっても、解放される時は死を迎えるまで訪れない。
何故ならば、彼女の腕が壊死している原因――「呪血病」は、不治の病だからだ。
それは、死と同じくらいに平等で不平等なもの。種族、身分、動植物を問わず全ての生命が発症するリスクを抱えているが、発症するタイミングは個体や環境により大きく異なると言われている。
この世界の人々は、これを「古来から存在する血の呪いだ」と語る。
元の世界の知識で解釈するならば、恐らくは「この世界における始祖生命から今の生命に至るまで継承され続けている遺伝病」だろう。
呪血病が発症してしまうと、その者の肉体は黒化して崩壊していき、最終的には激痛の中で死んでいくこととなる。
少なくとも現状、癒やす手段は世界のどこにも存在しない。
なお呪血病を早くに発症させた者の子供も同じ運命を辿りやすいことが知られているが、もう一つ、発症のリスクが大幅に引き上がる状況がある。
それは「《術式》の多用」だ。
《術式》の過剰使用は強烈な負荷を発生させるため、普通は自然と使用を中断することになるが、それでも強引に使い続けると発症してしまうのである。
世界的宗教組織《天神聖団》の教義によると「《術式》は生命を呪いから守る物質である《マナ》を消費してしまう」とのことだが、飽くまで科学者ではなく宗教家たちの考えなので、実際の理屈は不明である。
ともかく確かなのは、ネルの破滅は約束されているということである。
呪血病の発症者に対して与えられる「救い」など一つしかないし、これまでだって私たちは旅の中で見かけた発症者に対して、それをしてきた。
ウォルフガングはともかく、他の二人が変に感情移入などしないといいのだが。
さて。今日は久しぶりにパーティ全体で休息を取ることにした。
依頼も調査も無しだ。ずっと働き詰めでは必ず限界が来るので、こういう日もたまには必要だろう。
予定としては、午前は元気になったネルを連れてパーティメンバー全員で王都の中心街まで買い出し、午後は自由時間。
ネルに関しては面倒なので「連れていかない」と言ったのだが、彼女がどうしても一緒に行きたがり、チョロいリーズはすぐにネルの味方をして私に頼み込んできた。
まあ、「リーズの願いなら」ということで渋々ではあるが受け入れてしまった私もチョロいかも知れないが。
「えへへ……お出かけ、嬉しい」
療養の為にずっと宿に引きこもっていたからか、久しぶりの外出にネルは目を輝かせている。
獣人である彼女の猫のような尻尾が揺れているのを見て、リーズが触りたそうにしている。
それに気づいたネルは、残っている片手を伸ばして言った。
「リーズお姉ちゃん、触りたいの? えっと……良いよ?」
「え、良いの? 触るわよ!? モフモフするわよ!?」
「うん。お姉ちゃん優しくて好きだから」
「うぅぅ~~!!」
理性の限界を迎えたリーズは呻きながらしゃがんでネルを抱きしめ、耳や尻尾を撫で始めた。
昔は私もこうして妹か何かみたいに抱きしめられたなあ。一歳しか違わないのに。
リーズ自身が家では末っ子だから、妹のような存在を求めているのかも知れない。
なんだか立場を奪われたみたいで僅かながら不機嫌になったので、わざとらしく口を尖らせて言った。
「リーズ『お姉ちゃん』の意地悪。私にはもう飽きちゃったんだ……」
「あ、いえ、リア様に飽きたとかそういう事ではないですよ! えっと……それでは一緒に抱きしめます!」
「わぁっ!?」
本気で嫌われたと心配になったのか、リーズが突然、私の手を引いて抱き寄せてきた。
ネルと二人して彼女の豊かな胸に埋もれているという、心地良いけれど訳の分からない状況になっている。
それを上から眺めて呆れ顔をしているライルが一言。
「……お前ら、女同士で何やってんだ?」
「女同士だから良いんでしょう!? リア様もそう思いませんか?」
「まあ、この天国を男の人に明け渡すのは嫌だよね~。ネルちゃんも嫌でしょ?」
「イヤ。男の人、すぐえっちなことしたがるから」
「……し、しねえよバカ! ほら、早く準備して出掛けるぞ。ウォルフガング先生も何か言ってやって下さい!」
リーズに惚れているライルが何を想像したのか分からないが顔を赤らめ、誤魔化すようにウォルフガングに話を振った。
「今日は休暇だし、賑やかなのは良いことじゃないか」
「先生まで……」
「俺がお前やリーズ、リア様に剣術を教えていた頃を思い出すな。色々あったが、今考えればそう悪くない日々だった」
「もう。年寄りくさいこと言わないで下さいよ」
「実際に年寄りなんだよ……ここまで生きれば誰しも過去のことばかり頭に過るようになるもんだ」
恩師のくたびれた様子を見てライルはため息を吐いた後、フード付きマントを持ってきてネルに渡した。
耳や尻尾、失くした腕を隠す為である。
ただでさえ人々がみすぼらしい獣人に向ける視線は厳しいのに、それが呪血病発症者となれば尚更だ。
彼らは階級社会における最底辺層として扱われ、最悪の場合は「発症しているから」というだけの理由で殺害されてしまう。
大半の者にとって不運な弱者は慈悲を向ける対象ではなく、見下したり攻撃欲求を満たすのに都合の良い道具に過ぎないのである。
「これ、ちゃんと着てけよな」
「うん。お兄ちゃんありがと」
「あ、ああ……」
ネルがリーズの傍から離れてマントを着ると、ライルを見上げて屈託なき笑顔を見せた。
その可愛さ、微笑ましさに動揺するライル。
本当に侮れない子だ。こんな弱々しい少女でも、弱いなりにスラムで生き抜く術を磨いてきたということか。
***
スラムの宿を出て、中央街にやってきた私たち。
まず初めに、ウォルフガングが剣を仕入れる為に武器屋へ入った。
基本的には並の武器より遙かに頑丈である聖魔剣を用いる私やリーズ、そもそも前衛として戦うことが少ないライルと違い、彼は市販の安価なロングソードに相当な無茶をさせている。
一週間戦えば、一振りは確実に潰している。
その為、定期的に数本ずつ購入しているのだ。
使い捨てなりに上質そうなものを選ぼうと物色しているウォルフガングの様子を隣で眺めながら、話しかける。
「……ねえ、そろそろ私の剣とか使う気にならない? 《術式》を破壊する能力を持つだけの《静謐剣セレネ》辺り、そこまでロングソードと使用感が変わらないから良いと思うんだけど」
「どうしても危なくなったらお借りするつもりではいるが、普段から質の良い武器を使っていると勘を失ってしまいそうなのでな」
「む、どうせ私は聖魔剣に頼りっきりですよ~だ」
「そうは言っていないだろう。私はもう年だから少し楽をするとすぐに衰えるというだけで、まだ若いあなたは最大限の力を発揮出来るような武器を使うのがよい」
「全然衰えそうには思えないんだけどなぁ……ホント、頑固だね」
やがてウォルフガングが幾つかの剣を選び終え、店主のおじさんのもとへ持っていく。
初め、店主は疲れた顔で客の様子を窺っていたが、ウォルフガングの顔をじっと見つめると、何かに気づいたように生気を取り戻した。
「おい。もしかしてあんた、『ロングソード・ドラゴンスレイヤー』!?」
「……さ、さぁ? そんな格好悪い肩書の奴は知らんな」
「めちゃくちゃ格好良いだろうが! ロングソードでドラゴンを倒すなんて、剣を愛する男ならば憧れん奴は居ないだろう!」
「そうか……まあ、俺がそのロングソードなんたらでないのは確かだな。いいから会計してくれ」
「あ、ああ。噂によるとこんな見た目だった筈なんだけどな……剣をたくさん買ってるのもそうだし……」
店主とウォルフガングのやり取りを見て、つい吹き出してしまった。
後ろで短剣を眺めていたライルも笑っている。
『ロングソード・ドラゴンスレイヤー』は、その名の通りのことをしてきたウォルフガングがいつからか呼ばれるようになったあだ名なのだが、彼自身は非常に嫌っている。
私も正直ダサいと思う。あまりにもダサいので、たまにわざとその名で呼んで呆れさせている。
王都を出て五年経っても未だに私を「殿下」と呼んでしまうことがある彼への仕返しだ。
買い物を終えて店を出るとすぐに、違和感を覚えた。
リーズは気づいていないが、それ以外の二人は私と同じくネルの方を見ている。
「ちょっとネルちゃん。こっちおいで」
「えっ!? う、うん……」
恐る恐る近づいてくる彼女のマントの内側を探ると、そこには新品の短剣があった。
元々持っていたものではないし、いま買い与えた訳でもない。少なくとも店内に居る間は誰にも気づかれずに、盗み出したのだ。
片手しかないのにも関わらずそんな芸当をこなす技量に感心しつつ、とはいえ良くないことではあるので叱ることにした。
私はどちらかといえば悪人かも知れないが、必要もない場面で無意味に悪を為すことは望んでいない。
「もう、どうしてこんなことしたの!?」
「わ、分かんない……つい。でも、お姉ちゃんたちの役に立つよ」
「確かに『役に立て』とは言ったけど、こんなことは望んでないよ。何をして欲しいかはちゃんと言うから、それまで大人しくしてて。いい?」
「うん、分かった……ごめんなさい、リアお姉ちゃん」
どうしようか少しだけ考えた後、私は店内に戻ってへらへら笑いながら「うちの子が間違えて会計前に持って行っちゃったみたいで……」なんて言って、代金を支払った。
通りに戻ると、リーズとライルがしゅんとしている。
「あの……ごめんなさい、リア様。本当なら私が叱るべきでしたよね」
「いや、俺にも責任があったっつーか……」
「二人とも気にしないで。さあ行くよ」
次はリーズの用事。
彼女はネルと共に服屋に入り、新しい服を見繕った。
今は出会った時に着ていたボロ布のままになっているので、必要な買い物であろう。
しかし、ネルはまたしても服を盗み出してきた。今度はリーズが叱り、私は傍で黙って呆れていた。
次はみんなの用事。
屋台で食べ物巡りをした。
やたらと硬いパン。品種改良が進んでいない果物や野菜。干した肉。
現代世界や王宮に居た頃に比べるとここで買えるものは押し並べて質素だが、もともと食事に関心がある方ではないので、すぐに慣れてしまった。
一通り物色が終わると、ネルが盗んだリンゴを噛じっていた。次はライルが彼女を叱り、代金を払いに行くのであった。
こうして買い物をして分かったことだが、ネルには窃盗癖がある。
盗んだ理由について本人が「分からない」と語った通り、恐らくは強い意志のもとで行われている行為ではなく、本能レベルで理由もなく手を出してしまうのだろう。
そして、本能的行動であっても非常に高い技術でもって実行するので何ともタチが悪い。
リーズやライルが怒っている間、私は「痛みがなければ変えられない」と思い、つい物理的に手を出しそうになっていた。
だが、保護してしまった以上はそんな安直な手に走るのではなくしっかり教育しなければならないと思い、自らを抑えたのである。
きっと今までネルに対してそういう接し方をした人は居らず、それゆえにこうなってしまったのだろうから。
幸い、彼女は怒られた直後にすぐ気を取り直して楽しげに先頭を歩いているくらいの気丈さはあるから、過度なまでに繊細に扱う必要はない筈だ。
こういうことには不慣れである私でもどうにかやっていけるだろう――ーそう思ったところで、面倒事が起きた。
曲がり角を曲がった時に、ネルが人にぶつかって転んでしまったのだ。
その拍子にマントがめくれて、彼女の腐り落ちた腕が露わになる。
ぶつかった相手は二十歳ほどの、身なりの良い金髪の青年。奇しくも彼は、冒険者界隈における「有名人」――フェルディナンドであった。
彼は周りに侍らせている人間やエルフや獣人の美少女たちと共に、怒りと侮蔑が入り混じった視線でネルを刺した。
「こ、このぉッ……みすぼらしい上に呪血病を発症させた最底辺のゴミが僕に触るなんてッ!」
「きゃー!! この下賤の民、フェル様に触れないで!」
「さっさと失せなさいよクズ!」
「消えなさい!」「ゴミ虫!」「スラムで野垂れ死ね!」「誰かコイツを殺して!」
呪血病発症者への忌避感と状況そのものへの恐怖から、周囲の無関係な人々が距離を取って無言で見ている中、私たちは泣き出しているネルの傍に駆け寄った。
いつもの作り笑いで場を収めようとする。
「ごめんなさい。うちの子がぶつかっちゃったみたいで。後で言い聞かせておくから、どうか許してくれればな~って……」
私が軽く頭を下げると、ネルもそれを見て真似をした。
しかし、こちらが下手に出て調子に乗ったのか、フェルディナンドたちの暴言は更にエスカレートしていった。
「ふん、飼い主ならさっさと殺処分しろ! 汚い上に病んだ獣など生きているだけで人様や僕の迷惑だ!」
「そうよ!」「フェル様の言う通りだわ!」「存在そのものが迷惑なのよ!」
なんだか状況がどんどんややこしいことになりそうなので、苦笑いしながら「逃げようかな~」などと考えていると、ついにウチの直情径行女剣士がブチ切れてしまった。
リーズが《迅雷剣バアル》を抜き、フェルディナンドに突きつける。
彼は一瞬だけ恐怖し、その後は怒りで端正な顔を歪めた。
「……さっきからその物言いは何? 確かにぶつかったのはこちらの責任だわ。でも、あなた達は『みすぼらしい』だの『呪血病』だの関係ないことを殊更に非難して、この子の存在そのものを否定してる。そちらのほうが性根が腐ってるわ!」
「ひぃっ……! こ、この僕を否定すると言うのか!」
「言葉で正そうとしても伝わらないだろうから、決闘をしましょう。勝ったらこの子に謝りなさい!」
あ~、こうなっちゃったか。
私やライルが呆気にとられている一方、「良い大人」な風でいて意外と血の気が多いウォルフガングはニヤリとしていた。
「なに笑ってるのさ。ああなっちゃったら止められないよ、あの子」
「若人に活気と勝気があるのは良いことだ。私も若い頃は、自らの保身ばかり考えてラトリア王国を守ろうとしない騎士たちに喧嘩を売ったりしたものだ」
「そーいう問題じゃないでしょ、全く……」