10章6節:懐かしき少女の幻影
盗賊団が現れてからそれほど経たないうちに、私は違和感を覚えた。
彼らはこちらに攻め込まず、既に数が減っている魔物の群れを盾にしながら弓や投石などによる散発的な攻撃を仕掛けてくるだけなのだ。
わざわざ出てきたわりには消極的すぎる。
では何か切り札があるのかと言えば、明らかに盗賊共はこちらを恐れているのでそんな風にも思えない。
となれば、こいつらは囮と考えるのが妥当だろう。
領地の占拠は飽くまで「上手く事が運んだら」という程度で、実際の目的は領主である私の屋敷に狙いを絞った強盗といったところか?
はっきり言って今のブレイドワース辺境伯領は田舎も田舎だから、他に狙う価値のある場所など無い筈だ。
仕方ない。少し不安もあるが、ここは仲間たちに頼るとしよう。こういう時に役立つのが《乙女の誓い》である。
私は大量の長剣を倉庫から召喚、遠隔操作して敵を食い止めつつ、アウグストと五人の衛兵を呼びつける。
それから状況を説明し、《魔王剣アンラマンユ》とライルに託している《迅雷剣バアル》を除いた全ての聖魔剣を彼らに渡した。
「……なるほど、陽動か。しかし剣を私たちに預けてしまって良いのか? 必要になればすぐに呼び戻せるとはいえ」
アウグストが普段よりも少し柔らかい口調で問う。
彼は自身の正体を知る関係者以外が近くに居る時はいつもこのように話している。むしろこっちが素で、尊大な話し方をしている時は「皇帝」というペルソナを被っているに過ぎないのだろうが。
「きみ達のことを信じてみることにした。仲間として、ね」
「……そうか。では私はこれを拝借する」
そう言って彼が手に取ったのは《勝利剣ウルスラグナ》だ。
「良いの? それ、全ての聖魔剣に適合できる筈の私ですら能力を発動させられないんだけど……もしかして何か知ってる?」
「いいや。ダスクですら一度も能力を使ったことがないらしい。だが、そのことを差し置いてもこれは良い剣だ」
「ふぅん。まあいいや、きみなら剣技だけでも結構やれるだろうし」
私は「それじゃあ任せたよ」と続け、盗賊たちに背を向けて駆け出した。
*****
ライルとチャペルがアステリアの屋敷に到着した時、内部には既に賊が侵入していた。
ライルは連れてきた衛兵たちにその殲滅を任せ、自身は外で敵の増援を撃退することに専念する。
《迅雷剣バアル》による長射程攻撃を前にして屋敷に接近できる者はおらず、短時間で援軍は尽きた。表には出さないものの、ライルは訓練の成果がさっそく現れたことに喜んでいた。
その頃には内部の争いの気配も収まっており、「制圧が終わったのだろう」と考えたライルは確認の為、チャペルと共に屋内に入っていった。
だが、彼らは予想だにしなかった光景を目にすることになる。
盗賊だけでなく衛兵までもが皆、傷を負い意識を失っていたのだ。
「まだ見えない何かが潜んでいる」――そう気づいたライルは、不安そうなチャペルを守るように先導し、ゆっくりと足を進めていくのであった。
ライルは通路まで来ると立ち止まり、周囲を警戒した。
彼はここで敵を迎撃しようと考えたのだ。
チャペルを護衛しなければならない以上、意識外からの攻撃を受けかねない屋外や広い部屋に居るのは危険だ。
このような閉所ではバアルの能力も活かしにくいが、それを承知でリスクを最小限に抑えるという判断をしたのである。
ひりついた空気の中、ライルの背中と壁の間に立っているチャペルは自らの胸を押さえ、弱々しく声を掛けた。
「ごめんなさい。何も出来なくて……もう守って頂かなくても結構ですので……」
「黙ってろ」
「チャペルが居なければもっと戦いやすくなる筈です。それに、チャペルのことは嫌いなのでしょう?」
「嫌いだよ。でも、あんたを見捨てたらリアの信頼に背いちまう……って訳だから大人しくしててくれ」
その言葉に、チャペルが「それほどアステリアを大事に思っているのですね」と返そうとした時であった。
突然、真横に人影が現れ、短剣の刃がきらめく。
会話の最中であっても注意を怠らなかったライルは即座に反応し、バアルを振るって刺突を逸らした。
短剣の持ち主は後ろに跳び、ライルと目を合わせる。
相対する二人。気配遮断のせいで先程は視認できなかったその少女の姿を見て、ライルは驚きを露わにした。
両サイドでまとめた茶髪。可愛らしい猫耳と尻尾。表情こそ挑発的であるものの、どこか懐かしさを感じる顔立ち。
「ネル!?」
かつての仲間の名を呼んだ後、すぐにライルは首を横に振った。
有り得ない。彼女はもう地上に逝ってしまった筈だ。他人の空似だろう。
乱れた心を無理やり抑え込み、戦闘態勢を取る。
そんなライルの内面を見透かすかのように少女は嘲笑った。
「へぇ。その名を知ってるとなると、あんたがライルってことニャンね。僥倖ニャ」
「何者だ!?」
「ちょうど良い機会ニャ。あんたも殺すニャ」
容姿に反し、ネルとは似ても似つかないふざけた口調で紡がれる言葉に苛立つライル。
「答えろ!」
「ん~、まぁ名前くらいは教えてあげるニャン。『リル』って言うニャンよ」
「リル……」
この者とネルが同一人物でないにせよ、何らかの接点があることは明らかであった。
予期せぬ形で蘇った過去にライルが動揺した隙を、リルと名乗った少女は見逃さない。むしろ動揺を誘う為にあえて名乗ったのだろう。
勢い良く床を蹴って迫る。それと同時に《幻影》を詠唱。リル本体から虚像が生まれ、ライルの背後に居るチャペルめがけて疾走した。
ただでさえ隙を突かれているのに加え、分身の《術式》の使い手と戦った経験がない為、ライルは強い焦りを感じていた。
だが、彼はアステリアと共に数々の修羅場を潜ってきた男である。窮地に陥っても決して思考停止はしない。
まずはバアルの能力によって背後に回ろうとしているリルを狙い電撃を放つ。
ライルが持っているのは長剣。対してリルは短剣。正面から戦えば圧倒的に後者が不利である。故に本体は背後狙いの方――という先入観の裏をかいたリル。
しかしそういう「卑怯さ」を、戦闘スタイルという面において同類であるライルはよく理解していた。
とはいえ今の自分の任務が「チャペルの護衛」である以上、万が一は避けねばならないから、無意味に終わる前提でライルはそちらに向かって攻撃をしたのである。
予想通りそれが虚像であったのを確認すると同時に、彼は「走れっ!」と叫んだ。
その意味を理解したチャペルは慌てて反転し、ライルから離れる。
後はこのまま突っ込んできた本体の刺突を躱せばいい――筈だったのだが、ここで「剣術の適性が皆無」という欠点が響いてくる。
ライルは腕を真っ直ぐ伸ばし、強張って剣を構えていた。誤った姿勢が祟り、読み合いでは勝った筈なのに反応が遅れたのである。
リルは重心を下げ、腹部を狙って短剣を突き出した。僅かに身体を逸らしたライルは致命傷こそ受けなかったものの、脇腹を少し切り裂かれてしまう。
「っ……!?」
鋭い痛みを感じ、思わず声を上げるライル。
同じ状況でもアステリアだったなら、リーズだったなら、ウォルフガングだったならこの一手は通らなかっただろう。
そんな悔しさに襲われ、しかしすぐに振り切って後退する。
「あんた、なかなかやるけど動き自体は大したことないニャンねえ。次で終わらせるニャ」
「畜生……俺に護衛とは無茶振りをしてくれたもんだぜ」
ライルは表では愚痴をこぼしつつも、一つ決心をした。
以前の《迅雷剣バアル》の持ち主であったリーズは「自身の周囲に電気の壁を発生させ、接近してきた敵を迎撃する」といった能力の使い方をしていた。
この剣の強みを遠距離攻撃に見出したライルが意識していなかった技である。しかし、今の戦いにおいてはこの上なく有効であろう。
「ぶっつけ本番だがやってみるしかねえか……」
そう呟いたライルは敵を見据え、待ち構える。
先に動いたのはリルだった。《隠匿》を唱え、思い切り短剣を投げつける。
気配を掻き消したのは自分自身ではなく短剣の方だ。
向かう先が曖昧になった刃は正確な回避を許さない。ライルは体勢を崩しながらも横に大きく跳ぶしかなかった。
そこを狙い、別の短剣を抜きながら接近するリル。
ライルは考えた。このまま例の技で迎撃しようと試みたところで、リルほどの強者であれば素早く下がって避けてしまうだろう。そして、一度見せた技は警戒される。
当然、《術式》による牽制は有効であるものの、「練習したこともない技を実戦で使おう」という時に《術式》の発動に集中を割くような余力は彼にはなかった。
だから、これしかない。
「《発破》ッ!」
ライルはリルの後ろを凝視し、炎弾を撃つ《術式》を詠唱した。わざとらしい程に大声で。
対し、リルは彼の視線を読んで「このまま前進して仕留めるのが最適解」と判断した。
だが、それこそがライルの狙いである。
「頼む、《迅雷剣バアル》!」――そんなことを心の中で強く願い、そして、恋人の愛剣は応えた。
ライルを中心に青白い電気の壁が展開されていく。
「ニャニャっ!?」
狼狽するリル。「後ろに攻撃が飛んでくる」と想定していた彼女は既に後退できない程に勢いを付けてしまっており、そのまま眩い光に突進。全身を痺れさせ、意識を失った。
「ふう……何とか通用したか」
結局、炎弾が放たれることはなかった。
ライルはリルが《発破》の効果を知っていることに賭け、詠唱するフリをしたのだ。
《術式》を安定して発動させる為には詠唱が必要である一方、相手はそれを聞くことで適切な対応が出来る。
しかし、その弱点を逆手に取った戦い方も存在するという訳である。