10章2節:戦友との再会
独立治安維持組織「聖人会」が結成された後、私たち「聖人」はこのことを世間に知らしめる為の式典や各地での演説を行っていった。
前世で半ば引きこもりだったことが尾を引いており、王女に戻った今でも大勢の前で話すのはなかなか慣れない。「誰か代わりにボクの名前出しといて」なんて言って丸投げしたアレスや、私を除いた王家の連中に任せっきりなユウキが羨ましい。
この気持ちを共有出来るのは引きこもり仲間であるルアだけだろう。あの子と和解の機会を作れていないままなのが悲しいな。
そうそう。王家と言えば、奴らはこの件を肯定的に受け止めているようだ。
現在、ラトリア王国で最も力を持っているのは「ライングリフ派」と呼ばれる、「ラトリアと人間族を中心とする古き良き世界の到来」を望んでいる王侯貴族だ。頂点に立つのはもちろんライングリフであり、王妃やローラシエル、ローレンスも彼を支持している。
連中にとって「宗教的権威の拡大」と「国家を越えて介入出来る勢力の成立」は望ましいこととは言えない筈なのだが、奴らは批判するどころか「世界平和に貢献する素晴らしい取り決めだ」と語った。
過去と比べて衰退傾向にあるとはいえ未だに力を持っている天神聖団や、聖人会を発起したレティシエルに気を遣っているのだろうか。
或いはこの結果すらもライングリフ派にとって有利になる形で利用するつもりなのか。
彼らの思惑は分からないが、事と次第によってはあのレティシエルと協力せねばならない局面も出てくるかも知れない。
ともかく、私は王女としての仕事、領主としての仕事に加えて聖人としての挨拶までしなければならなくなり、聖人会結成から今までの一ヶ月間の殆どをブレイドワース辺境伯領の外で過ごした。
そして、ひとまず外での仕事が片付いて自宅に帰ってきたこの日、しばらく音信不通であった「彼」との再会を果たすこととなるのであった。
昼。私は応接室のソファに座ってお茶を飲んでいた。
テーブルを挟んだ向かい側にはアルケーが居て、私に憚ることなく美味そうにお菓子を貪っている。
その隣のチャペルはそこまで堂々としていないし、あまり目を合わせてくれないが、少なくとも父やアルケーと話す時は私の前であっても笑顔を見せる。
お茶とお菓子はこの子が自分から用意してくれたものだ。「あなたの好みなんて知らない」とか言っていたわりにはしっかり好みを押さえている。
アウグストは領民と共に、外で自主的に剣術の鍛錬を行っている。
一年前、もともと無遠慮だったアルケーはさておき、皇帝家の親子は私が命令したとき以外は自室で消沈してばかりだった。あの頃と比べたら今は随分と馴染んだものだ。
だからといって彼らが私のことを心から受け入れているとは思わないし、こちらも彼らのことを信用し切るつもりはないが。
今は利害の一致でこうして共に生活しているだけであり、私たちは飽くまで仇敵同士だし、彼らが復讐や祖国の復興を企んでいるのだとしたらいつかまた敵対することになるだろう。
そんなことを思いながら二人を眺めていると、アルケーは背もたれに体を預けてため息をついた。
「うーむ、研究のモチベーションが湧かない……」
「はあ。最近、ここで休憩してばっかりだったのはそういうことかぁ」
現在、アルケーには自由に《術式》を開発してもらっている。無論、内々で活用する為だ。商売に使えば私がアルケーを確保していることがバレてしまう。
どう見ても気分屋かつ個人主義者なので、やる気を保ってもらえるようにあえて具体的な命令は出していないのだが、それでも駄目か。
「レイジが居たことの有難みをよく実感させられているよ」
「……謝らないからね」
「いや、別に責めてる訳じゃない。君達の側にも戦う理由はあっただろう。それはそれとして、あいつが私にとって唯一無二の理解者であり協力者だったのは確かだ。加えて……」
「《絆の誓い》?」
「ああ。長いこと一緒に居たから、あれで強化された自分自身に慣れ過ぎてしまった。今じゃ少し《術式》を使っただけでマナ欠乏だよ」
天井を仰ぎ、遠い目をするアルケー。
この自由人にこんな表情をさせるほど、レイジとは深い関係だったのだろうか。それこそ恋人だったりして。
まあ、その辺りについて根掘り葉掘り聞くのはやめておこう。どうせいつかは道を違えるのだ、歩み寄り過ぎるのは良くない。
「私は魔王の代わりにはなれない。だからこんなことしか言えないけど……頑張って。助けてあげたんだからさ」
「おっと、それを言われると弱いな。何とか気持ちを切り替えてみるよ」
アルケーは伸びをした後、自室に戻っていった。
私もそろそろ仕事に戻ろうかと考えたところで、ドアノッカーの音がする。
チャペルが応対しに行き、少しして客人を連れてくると、私は驚いて目を見張った。
「久しぶり、リア」
一年前よりも少しだけ伸びた金髪。どことなく険しくなった顔。疲れを感じさせる笑み。
僅かに雰囲気は変わっているが、間違いなく、一年前までずっと一緒に戦ってきた親友だった。
「ライルっ!」
彼のもとへ駆け寄ると、私は差し出された手を両手で握った。
利害関係のみの付き合いが増えたからこそ、彼のような信頼に値する人間が会いに来てくれたことが心の底から嬉しいのだ。
私はチャペルに追加のお菓子を持ってくるよう指示し、ライルをソファに座らせた。
彼は、お茶を出したあと退室していくチャペルの背中を訝しげに見ながら、こんなことを言った。
「あいつら自由にしてんのか。地下牢にでも閉じ込めておいた方が良いんじゃないか? 脱走とかするかも知れねえだろ」
ライルは一年経ってもあの三人のことを受け止められていないようだ。
無理もない。私だって「利用する為だ」と理性で割り切ってはいるが、ダスクとの約束さえなければ出会ったその場で怒り任せに斬り殺していたかも知れない。
「大丈夫、あの子たちも馬鹿じゃない。いま私を裏切ってもリスクしかないって分かってる筈だよ。それよりライル自身の話をしてよ。旅はどうだった?」
「楽しかったぜ。ラトリア勢力圏、東方諸国、西方大陸……だいたい巡ったよ。まだ魔族の支配が続いてる領地は流石に避けたけどな」
「戦争に勝ったとはいっても、旧ルミナス帝国圏の全てを掌握した訳じゃないからねえ。ま、時間の問題かも知れないけど」
「ああ。そういや、リーズんとこにも行ったな」
「ってことは、あの子のお兄さんにも?」
「会ったよ。恋人だったことも、自分がスラム出身だってことも素直に話した。罵られる覚悟もしてたんだが、むしろ『妹が世話になった』って感謝してくれたよ」
「なはは。王女として会ったことはあるけど、思想的にも性格的にも穏やかな人だよね。領地運営で忙しい筈なのに」
「貴族にもああいう人はちゃんと居るってのを改めて実感したよ。そういや領地と言えば、リアの方はどうなんだ? あんたも大概忙しいだろ」
それから私たちは互いに近況を報告して盛り上がった。
ちなみにチャペルはお菓子を持ってきた後、空気を読んで席を外した。
ライルは淀みなく楽しげに話してくれたが、その奥にどこかわざとらしさを感じてしまった。単に旧交を温めに来たのではない、他の目的があることは明らかだ。
ひとしきり話すと、彼は少し黙り込んだ後、今までとは打って変わって重々しく口を開いた。
「リア。変なことを聞くかも知れないけど、気にせず答えて欲しい……あんたは今後どうしたいと思ってる?」
「へ?」
「王女様に戻って、領地と権威を得て、それで終わるような奴じゃないだろ、リアは」
ライルは私に何かを期待しているように思える。
それが一体なんなのかが分からずにしばらく逡巡したが、やがて私は彼を信じ、正直に野望を明かすことにした。
差別に満ちたこの世界を変えようとしていることを。停滞している呪血病の研究を進めようとしていることを。
そして、それらを現実的なものとする為、どんな手を使ってでも女王になろうと考えていることを。
最低な境遇に生まれ、運良くウォルフガングに拾われてからも辛い経験をたくさんしてきたこの青年ならば、きっと理解してくれる筈だ。
全てを話し終えた時、ライルはようやく、わざとらしさのない笑顔を見せた。
「……やっぱり、あんたを信じて良かった」
「ここまで言わせたからにはそっちの意図もちゃんと話してくれるんだよね?」
「当然だ。俺、旅をする中で思ったんだよ……やっぱりリアの仲間で居たいって。だから……頼む、また一緒に戦わせてくれ!」
ライルが深々と頭を下げる。
予想外の答えだった。「私の野望の意味を正しく理解しているのだろうか」と不安になるくらいには。
「本気で言ってる? 《魔王軍》みたいな分かりやすい敵と戦うのとは訳が違う。誰かの怒りを代わりに晴らしてやる訳でもない。これから私は私個人の判断で貴族や王家に喧嘩を売ることになるかも知れないんだよ……最悪、ウォルフガングやルアちゃん達と戦う可能性だってある」
「覚悟の上だ! その『リア個人の判断』も含めて信じてるんだよ」
「私の願いが叶っても、きみ自身が今より幸せになることはないのは何となく分かってるよね? なのに一緒に戦うだなんて全然らしくないよ」
「それでも良い!」
「チャペルちゃん達のことだって、形だけでも許せるの? 勝手に暗殺なんかしたら流石のきみでも……」
「分かってる! リアの邪魔になるようなことはしない!」
鬼気迫る勢いで言うライル。その瞳をじっと見つめ、私は聞いた。
「ねえ、何がきみをそこまでさせるの? お金はもう充分あって、ここには恋人も恩師も居なくて、近衛騎士に戻らないなら私に仕える義務もない……それでも戦う理由は何?」
「俺さ、魔王戦争が終わったらこの世界が少しはマシな方向に変わるんじゃないかって期待してたんだよ。リーズが命を燃やして戦ったんだから、そうでなきゃおかしいって」
「その理屈が通用するならどれだけ良かったか……」
「ああ。旅をしていて感じさせられたよ……相も変わらずこの世界はクソだった。さっきは楽しかった思い出ばかり抜き出して話していたが、ホントのところは悔しくて仕方がなかったんだ」
誰か一人が居なくなったところで世界は変わらない。誰もが「死」を最も悲しいものだと理解できる筈なのに、同時に「この世で最もありふれた、つまらない摂理」として一蹴してしまうから。
私だってそうだし、そんな自分が嫌いだ。
これは前世で私が抱えた絶望の一つである。だからあの時、自らの死を前にしてユウキが狙い通り泣いてくれたことが最高に嬉しかったのだと思う。私の死は、ちゃんと悲しいものだったのだ。
ライルは本当の気持ちを打ち明けた後、この地獄で見てきた無数の惨劇を滔々と語り始めた。
平民や貴族から経済的、精神的、物理的な弾圧を受け、ただでさえ苦しい生活を送っているのに更なる苦境に追いやられる下層市民たち。
元ルミナス勢力の盗賊や、魔王戦争が終わって仕事がなくなった傭兵崩れは、弾圧する強者ではなく彼らのような弱者から搾取する。
そんな犯罪者たちの取り締まりを名目に、何ら罪のない弱者までもが「社会の汚点」として処分されていく。
恵まれた者だけがより恵まれ、不幸な者はより不幸になる――そんな構造は魔王戦争終結によって改善されるどころか悪化していく一方だ。
ライルはこれをどうすることも出来ず、深い無力感に苛まれていた。故に、私に賭けたということだ。
「……俺はもう充分幸せになったんだよ。自分の為じゃなくてあんたや世界の為に戦うことに異存はないんだ。だから、この選択を後悔したりもしない」
なるほど、決意は固いということか。
実際のところ、ライルが居てくれると非常に助かるのは事実だ。
彼ほど信頼出来る人物はそうそう居ない。実力だって充分にある。
危うさを感じることは否めないが、それならばむしろ、ここで突き放すよりは傍に置いておく方が安全と言える。
思考の内で自らを納得させる理由を列挙した後、私は頷いた。
「分かった。本気だって言うなら……後悔しないって言うんなら、私としては大歓迎だよ。またよろしく、ライル」
今度は私から手を差し伸べ、それをライルが両手で握る。
こうして私たちは再び戦友となるのであった。