9章4節:独立治安維持機構《聖人会》
「あ~、帰ってきたぁ~!」
王都での用事を片付けて自領に帰還した私は、いかにも田舎らしい景色を前に伸びをした。
ぱらぱらと雪が降る中、農閑期でやることがない農民達がアウグストの指導のもと剣術鍛錬に励んでいる。
領民の種族は様々だが、彼らは私を見ると一様に「領主様!」などと言って笑顔を見せ、手を振ってきた。
私も愛想良く手を振り返す。
アウグストだけは仏頂面のまま申し訳程度に会釈をした。民の前で「優しくて可愛いアイドル領主」みたいな面をしている私のことを未だに胡散臭く思っているのだろう。
種族も身分も問わず住む場所と食い物と仕事を与えている訳で、どんな野望を秘めているにせよ領主としての責務は充分果たしているのだから別に良いじゃないか。
それにしても、ダスクを討った私が彼の言う「人と魔の共存」をごく小さい規模とはいえ成立させているのは、何だか皮肉めいているな。
柵に囲われた一際大きな屋敷に帰ると、メイド服姿で掃除をしていたチャペルが不満げながらも「お帰りなさいませ、アステリア様」と出迎えてくれた。
彼女によれば、私が留守にしている間に天神聖団の頂点たる法王からの手紙が届いたらしい。
一体どういうことかと思い自室にあった封書を開封してみると、中身は招待状であった。
近日中に聖団領アレセイアにて、魔王戦争における勝利に貢献した英雄を集めて会合を開催するとのことだ。
たとえば表彰式というなら分かるが「会合」と来たか。何を話し合うつもりなのだろうか。
まあ断る理由もないし行ってみることにしよう。
***
後日。アレセイアまでの長旅を終えた私を聖職者たちが「ようこそおいでくださいました、アステリア王女殿下」と出迎えた。
市街は救いを求めてやって来た巡礼者でごった返しており、かなり居心地が悪い。
場所柄、人が多くてもおかしくないとはいえ、これは些か過剰に思える。
宮殿に案内されつつ巡礼者たちの声に耳を傾けてみる。どうやら今、この地には「《生命詠い》のトロイメライ」や《夜明けをもたらす光》が滞在しているようだ。
トロイメライ。いつからか表舞台に現れ始めた伝説のエルフ。民衆の間で信じられていた「死者を蘇らせる力」を持っていないことが判明して権威が僅かに損なわれたものの、今でも崇敬の対象としての人気は高い。
加えてかの《勇者》様まで居るとなれば混雑しているのも納得だ。
私が指定された部屋に入ると、そこは広々とした会議室だった。
中に居た者達の視線がこちらに集中する。疑念、敵意、親しみ、興味、込められた感情は様々だ。
大きな円卓の上座に座っているのはユウキと「二人」の仲間。「英雄」と聞いて人々が真っ先にイメージするのは大抵、私ではなく彼らだろう。それは今もそう変わっていない。妙なのはアイナだけが見当たらないことだ。
彼らの左側にはトロイメライと聖団騎士長アルフォンス。その隣にはエストハイン王国女王レン。
右側には、ここのところ会って話す機会に恵まれなかったウォルフガング。それと《ヴィント財団》代表にして西方連合一の有力貴族であるクロード。
クロードの隣に並んで座っているのはルアとフレイナ。《魔王軍》との戦いにおいて彼女達にはとても世話になった。ただ、ルアに関しては少し前に「とある理由」でちょっとした言い争いをしてしまったので、何となく気まずいものがある。
その逆側には空席が二つ。一方は私が座り、もう一方は壁に背を預けている男、アレス・クライハートが座ることになるだろう。彼は個人戦力最強と目されている冒険者であり、《魔王軍》幹部と一対一で戦って勝利した化け物だ。
最も手前に座っているのが私の姉、レティシエル。この場においては最も顔を合わせたくない人物である。
そして円卓の向こう側、部屋の最奥の椅子には白髪の老人――天神聖団法王が座っている。
錚々たるメンバーだ。もしかすると、ここに居る十四人だけでこの世界を支配出来てしまうかも知れない。
とはいえ共通の敵が居た魔王戦争時代ならともかく、今の状況では立場も思想も性格も違いすぎる私たちが協力出来る余地はないか。
ところで参加者の選定基準は何なのだろう?
確かに全員が何かしら優れた能力や地位を有しているが、魔王戦争の英雄は他にも居る。《夜明けをもたらす光》のアイナもそうだが、ライルだって招待されていてもおかしくない筈だ。
あれこれと考えていると、レティシエルが立ち上がってムッとした。
「アステリア! 遅いですよ。あなたが最後です!」
「ごめんなさい、姉様……移動で想定以上に時間を取られてしまって」
形だけでも謝っておくと、姉はフフッと笑った。
「……もう、真に受けないで下さい。誰も怒ってませんから。北方の辺境からの長旅は大変だったでしょう」
「ええ、まあ……」
「さ、そこに座って下さい。クライハート様も。皆揃いましたので、早速ではありますが始めましょう」
「はいはい。なるべく早く終わらせてね~。長話は嫌いだから」
アレスがそんなことを言いながら席に座る。私も隣の空席に腰掛けた。
険悪とは言わないまでも微妙な関係になってしまったユウキや女公組はともかく、ウォルフガングとは久闊を叙したかったのだが、もう会合が始まってしまうようだ。
レティシエルが法王の方を見ると、彼は頷いて口を開いた。
「さて。書にも記した通り、諸君は魔王戦争において英雄と呼ぶに相応しい活躍をした。そこで、『神に選ばれし者』を意味する『聖人』の称号を与える」
「私たちは天神聖団、つまり宗教という、国家を超越した存在からのお墨付きを頂けるという訳です」
流暢に補足説明を行うレティシエル。それに法王が続く。
「諸君はこの称号と名誉に恥じぬよう、それぞれの利害を超え、世界全体の秩序の為に動いて貰いたい。そして、これを実現するため、諸君には各国に介入して秩序維持活動を行う……また聖人同士の相互監視を行う独立機構、《聖人会》を結成して頂きたい」
ふむ、これが本音か。
どこまで上手くいくかは分からないが、この場に招待された「影響力のある十三人」を制御下に置くと共に、必要に応じて実質的な私兵として扱おうという魂胆だ。
聖団め、百パーセント政治的な意図じゃないか。
それぞれ思うところがあるのか神妙な面持ちで黙り込む中、レイシャはいつも通り何も考えていなさそうな顔で「はい!」と挙手をする。
「ねえねえ、『聖人』ってどれくらいえらいの? 王様や貴族よりもえらい?」
なんとも直截的な質問である。
それに答えるのはアルフォンスだ。聖団関係者として予め説明を受けていたのであろう。
「この称号は歴史的快挙を称えるにあたって新しく生み出されたもので、単純に比較することは出来ない……が、例えば王や貴族が暴君に堕ちたとして、そういった者を止めるのは聖人として正しい在り方と言える」
要は「国家の思惑に反する行動を取った場合でも自分たちが後ろ盾となって擁護しよう」と。当然、聖団にとって害にならないことが前提だろうが。
次にウォルフガングが口を開いた。
「どういった基準で我々が選ばれたのだろうか? 魔王戦争での活躍という意味であれば無視出来ない者は他にも大勢居る。少なくとも連合軍を率いたローレンス殿下はレティシエル殿下と同様、この場に招いて然るべきだろう」
それに対し、ローレンスと同じ王族であるレティシエルが返す。
「ほら、私たち十三人は『特別な力』を持っているではありませんか。それは特定の国家や組織の為ではなく、世の安定の為に使われるべきだと思うのです」
「特別な力……もしかして《権限》か?」
私が思っていたことをユウキが代弁する。
「ええ。トロイメライ様は神の奇跡たる《権限》の所有者を見抜く目をお持ちでいらっしゃいますから、それを頼りに所有者を特定し、こうして集まって頂きました」
私は円卓を囲んでいる者達を見回した。
レティシエルの言葉を信じるのであれば、ここに居る全員が《権限》所有者か。
殆どの者は《権限》を持っていることを知っていたか、或いはそうであってもおかしくないような人物なので驚きはなかった。ウォルフガングについても魔王との決戦を終えて王都に帰還した後、本人から聞いた。
意外なのはクロードくらいだが、それだって単に私があの怪しげな男のことを殆ど知らないというだけである。
なるほど、ライルが呼ばれなかったのはそういう理由か。アイナも第一位の中で唯一、《権限》を持っていないということだろう。
それにしても、だ。
「あの……姉様は予めこの会合の意図をご存知になっていたのですか?」
レティシエルの態度が気になって質問してみると、あいつは胡散臭い笑みを浮かべたまま言った。
「はい。実は聖団の方々にこの提案をしたのは私とアダム様なんです」
ユウキもレイシャも知らなかったのか、二人してアダムの顔を見た。彼は何も言わず、続きを促すようにレティシエルに視線をやった。
「近年、戦後社会の覇権争いを見越して各国、特に我がラトリア王国が軍備拡大の傾向にあります。このままでは再び大規模な戦争が起こりかねません……それも、今度は人間同士で」
「姉様はそれを避けたかった、と?」
「ええ。あのような悲劇はもう見たくないのですよ。ラトリアの王女であっても……いえ、王女だからこそ、我が国が暴走した時にはそれを止める責務があると思っております」
善人ぶるな。お前のことだ、どうせ本心ではろくでもないことを考えているのだろう。
王室時代を思い出して吐き気を堪えていると、退屈そうにしていたアレスが口を開いた。
「ボクは戦争のない世界なんてつまんなくて嫌だけどな~。まぁそれはそれとして、聖人ってやつになればボクらは今以上に名声を高められて、もっと強者に挑んでもらえるんだろ? ボクは大賛成だよ。何なら十三人で殺し合いでもして最強の聖人を決めようじゃないか」
マイペースな「最強」に対し呆れたようにため息をつくレン。
「お主は変わらんのう……ああ、わらわも聖人会とやらの結成に賛成じゃ。二人の王女殿下と公爵家の娘、騎士団長殿の前で言うことでもないが、ラトリアが覇権主義的な動きを見せた時に待ったを掛ける為の機構は必要じゃからのう」
「ならば私は祖国が不当な扱いを受けぬよう、監視の為に聖人会に参加するとしよう」
ウォルフガングが険しい表情で言った。
「えっと……私もラトリア貴族なので国益を損なうようなことは出来ませんが、それでもよければ」
「わたくし達はウォルフガング殿と同じ立場ですわね」
ルアとフレイナが同調する。
次に口を開いたのはユウキとレイシャだ。
「正直、僕にはアダムやレティが何を考えているのか分からないけれど……でも、国の思惑に縛られず、誰にでも手を差し伸べられるっていうなら僕も賛成だ。『勇者』ってそういうものだと思うから」
「レインがいーならレイシャもいーよ。あと、もちろんレイシャたちが動く時は今、宿で待ってもらってるアイナも一緒だからね」
それに続いたのはクロード。
「ボクも歓迎ですよ。元々『ヴィント財団』を運営している身ですし、同じく国の枠組みを超えた権威を与えて下さるというのであれば願ってもないことです。国際社会の平和の為に尽力させて頂きましょう」
既に合意済みであろう聖団勢とアダム、レティシエルが私の方を見た。
聖団はともかく、後の二人の思惑が分からないのは不気味だ。
とはいえ現状、兄や姉よりも立場が劣っている私にとって好都合なのも事実。
取り込まれない程度に利用してやろう。
「……私も賛成です。ぜひ協力させて下さい」