8章31節:最高で最悪な援軍
《吸命剣ザッハーク》を手元に呼び戻して斬撃を繰り出したが、ダスクは《魔王剣アンラマンユ》で容易く受け止めた。
「ほう。この剣の圧に耐えるか……!」
いかにも魔王らしい不敵な笑みを浮かべるダスク。
まだまだ余裕ありげな感じだ。
それもそうだろう、こちらは「耐えている」だけで「上回っている」訳ではないのだから。
未だ勝機が見えないことに変わりはないし、それを見出すよりも早くザッハークに蓄えた生命力が尽きる。
一方、アンラマンユに使用時間の制限があるようには思えない。
更に言うと、ここまで来てもなおダスクの方には白の長剣という正体不明の切り札がある。単に戦闘で使えるような能力を持たないだけなのかも知れないが、それは楽観視というものだ。
《加速》で玉座の間を駆け巡り、《権限》による遠隔操作を活用して死角からの多重攻撃を繰り返す。
しかし、ダスクはその全てを的確に回避しつつ時折反撃も織り交ぜてくる。
こちらは「攻めに集中してようやくダメージを与えられる可能性が出てくる」といった状況なので、その反撃をもろに食らってしまい生命エネルギーの消費が更に早まる。
魔王はあまりにも強かった。
これまで戦った中で最強の敵を前にして、私は心の奥底に押し込んでいた無力感を直視させられていた。
これが、ここまでが私の限界なのか。
現代日本に生きていた頃、私は無力さ故に世界が見せる絶望に負け、周囲の「敵」にも負けた。不良に目をつけられた時だってレイジのことを「野蛮だ」なんて言いはしたけれど、実際こいつに守ってもらえなければどうなっていたか。
転生してからも憎き王族共に負けた。王家の中でお母様だけは私を大事にしてくれたこと、それとウォルフガングが剣術を叩き込んでくれたお陰で、奴らに対抗する力と自信を得られたのが幸いだった。
王都占領の日、私は下衆な魔族共に負けた。すんでのところで今の仲間たちが救ってくれたから何とか命を繋ぐことが出来た。
思い返してみれば私の人生なんて前世からして負け続きだったし、協力的な誰かが居なければ負けたまま終わっていただろう。
冒険者になってからもそれは同じ。
《ヴェンデッタ》の皆が居なければ奴隷狩りの拠点を潰すことは出来なかった。
ヴィンセントは単身で撃破出来たにしても、《狩人の刃》そのものは《竜の目》や《輝ける黄金》が居なければ攻略出来なかった。
ルアが居なければオーラフを倒せなかった。
ユウキが居なければエメラインを倒せなかった。
リゼッタも、バルディッシュも、グリムグレイも、仲間が居たからこそ倒せたに過ぎない。
そう、私など所詮はその程度。
創作物の中で見かけたような、たった一人で様々な能力を最高レベルで使いこなし、あらゆる問題を解決する「最強の主人公」とは違う。
独りじゃ何も出来ないことなど分かり切っていたのに、なぜ「独りで魔王と戦う」なんて無謀に挑んでしまったんだ。
こんなことならアウグストやアルケーと遭遇し、その強さを理解した段階で帝都から撤退した方が良かったんじゃないか?
確かにこの好機を逃せば次にいつ成り上がるチャンスが来るかはわからない。でも、だからって負けたら意味がないだろう。
どうせ一度死んだ身である私が死ぬのは構わないけれど、仲間を巻き込んでいるんだぞ。
こうなる可能性はちゃんと頭に入っていた筈なのに、彼らを付き合わせて一体何をやっているんだ。
戦意が萎え、立ち回りも悪化していく。
そこにダスクの剣が迫り、ザッハークによる強化を貫通して私の左腕の皮膚を切り裂いた。
「痛ッ……!」
思わず声を上げ、後退してしまった。
腕に力が入らない。血がだらだらと垂れてくる。
後で誰かに治療してもらえば元に戻る程度とはいえ、しっかりと傷を負ったのは久しぶりだから少しぎょっとした。
「謝らんぞ」
「クソが……謝られても困るっての」
強がって悪態をつく。
大丈夫、まだやれる。左腕が使えなくたって《権限》さえあれば剣を操れる。
さあ、戦い続けろアステリア。
右手だけで《静謐剣セレネ》を持つ。他を周囲に浮遊させる。
剣は全てゆらゆらと震え、今にも床に落ちそうだった。
私の理性は未だ「戦え」と叫び続けているけれど、感情の部分が既に沈みかかっているのだ。
一歩が踏み出せない。それどころかみっともなく逃げ出して、泣き出したくなる。
お願いだから誰か助けてよ。一緒に戦ってよ。
ダスク本人の圧倒的な技量に《魔王剣アンラマンユ》の能力が合わさった結果だろうか。相対する私の心は弱り切って、惨めに祈ってしまった。
――そんな時、祈りに応えるかのようにあいつは来た。来てしまった。
「リアっ!」
玉座の間に入ってきたのは、私が最もよく知る人物にして、いま最もこの場に現れて欲しくない、最高で最悪な援軍だった。
「……《勇者》レインヴァールか」
「僕を知っているのか、魔王」
「貴様はルミナスでも有名だからな。『舐め腐った若造』と批難する者と『《勇者》の名に恥じぬ高潔な男』と称賛する者、両方居るがね」
私はダスクを無視して、隣まで歩いてきたユウキの胸ぐらを片手で掴んだ。
「なんで来ちゃったんだよ……」
「リア、その怪我……!」
「私のことはどうでもいいっ! 何でここに来たって聞いてんの!」
「アダムに『お前だけでも戦線を抜けて魔王を討ちに行け』って言われたんだ。それでレイシャに送ってもらった」
私の手を優しく握り、離させるユウキ。
彼の話を聞いて「英雄は二人も要らん」というアダムの発言を思い出した。
目的は分からないが、間違いなくあのエルフはユウキの「英雄としての権威」に固執している。今回のもつまりはそういうことだろう。
「飽くまで僕らの役割は正規軍の支援だから、最初は断ったんだよ。僕なりの考えがあって最終的には従うことにしたけどね……にしても、まさか君たちに先を越されてたとは思わなかった」
「『君たち』……ここに来るまでに仲間と会ったってこと!? 皆は無事だった!?」
口ごもるユウキであったが、少しだけ逡巡する素振りを見せたのち、苦い顔をしたまま答えた。
「大丈夫だよ、みんな生きてた。敵も全滅させたみたいだ。援護に来るのは体力的に難しそうだったけれど」
それからユウキは目を背けるように、私達を静観していたダスクと向き合う。
よく見れば彼はあの青く光る剣を出しておらず、丸腰で魔王と対峙している。
こいつ、まさか。
「魔王ダスク。僕は戦う為にここに来た訳じゃないんだ」
「ほう……?」
「今すぐ抵抗を止めてくれないか。もうすぐ連合軍もここに到着する。君たち《魔王軍》に勝ち目は無いんだ。だから……」
魔王に対して説得を試みるなど、ユウキが幾らそういう奴だからって正気の沙汰とは思えない。
五十年近く人類と戦い続けてきた男が今更「勝ち目がないから」と諦められるものか。
それとも何か説得できる余地があると言うのか? ダスクの正体に勘付いているようには見えないが。
ダスクも私と同じく「あり得ない」と思ったようで、鼻で笑った。
「黙って死ね、とでも?」
「違う! 僕は君に関する色んな噂を聞いて思ったんだよ……『魔王は本当に悪い奴なのか』って」
「我は魔族を人の国に送り込み、『奪い、犯し、殺し尽くせ』と命令してきた巨悪だぞ?」
「結果的にはそうなったかも知れないけど、君がそういう奴じゃないってのは何となく分かるんだよ」
「敵である貴様に何が分かると言うのだ?」
「僕が敵として出会ってきた魔族って、君のことを心から慕っていそうな人ばかりだったんだ。本当にただの下衆野郎ならそうはならなかったと思う。そんな君を死なせたら負の連鎖が続いてしまう」
「……だったらどうする?」
「『君が僕に負けて降伏した』ってことにすれば、誰も僕の言葉を無視出来なくなる。君を生かすことが出来る筈だし、すぐには難しいだろうけれど魔族が安心して暮らせる場所だって用意出来る筈だ!」
「随分と大きく出たものだ」
そうか、さっきユウキが言っていた「僕なりの考え」とはこれのことか。
こいつにも英雄になる理由があると。
それなら尚更、こいつだけはダスクと戦わせる訳にはいかない。
私はユウキを押し退けて前に出た。
「黙ってろ。どうせ世界はきみの理想になんか耳を貸さない。それに、あっちだって退く気はないだろうし」
「で、でも……!」
「私が独りであいつを殺す。きみはどっか行け!」
「殺すだなんて……まず、そんな怪我をした状態でどうにか出来る相手でもないだろ! 君が無茶をする必要なんてどこにも……」
「舐めんな! こっちにはあるんだよ! 自分の為にもみんなの為にも私は復讐を果たさなきゃいけないんだ!」
「復讐したって何も生まれないだろ!」
「私たちが前に進める!」
気づけば前世の頃みたいに乱暴にまくし立てる私が居た。
こいつと喋っていると本当にイライラさせられる。
その点、演技にせよ巨悪に徹しているダスクはずっと賢明だ。
「ねえ、早く再開しようよ。説得とか聞くつもりさらさらないんでしょ?」
「当然だ」
頷き、私たちに剣を向けるダスク。
「待ってくれ! こうして会ってみて思ったんだ、君の纏う雰囲気にはどこか覚えがあるって」
「何の話だ?」
「悪ぶってるけど本当は凄く優しい、僕の憧れのヒーローだったんだ。君もそういう人なんだろ!? ちゃんと話せばきっと分かり合える!」
ユウキの言葉を聞いて、私はビクッと身体を震わせた。
一方、ダスクも思うところはあるのだろうが表向きは平静を保っている。
この件に関してだけは、敵であるあいつに対して奇妙な連帯感を抱いていた。
「誰のことを言っているのか分からんが我はそのような人間ではない。それに、貴様の言葉には価値がない」
「価値がない、だって?」
「いいか、大抵の人間は自らの利益にならないことはしないものだ。それどころか『魔族の居場所』など作ろうものならこちらにその気がなくとも奴らは『害悪になり得る』と考え、排除する。そんな人間共を権威で説得することは出来ない。必要なのは権力だ」
「そ、それは……」
「たとえば貴様が名声を活かして成り上がり、この世界を支配するというのであればまだ現実的と言える。だがそうではないのだろう?」
「世界を支配するだなんて、そんな魔王みたいなこと……」
「ならば、やはり貴様は理想だけを見ていて現実を見ていない。信じるに値しないな」
反論できなくなるユウキに向かって、私は冷たく言い放った。
「ねえ帰ってよ、邪魔なんだよ。魔王も、私も、戦う以外の選択肢はないんだ。他の道なんて君一人しか望んでない」
「……駄目だ」
ユウキの手に光が集まり、剣の形を成していく。
「どうしても戦うしかないのなら、せめて一緒に戦う! 君を殺させやしないし、もちろん魔王だって殺さない! 無力化して、それで話を聞いてもらう!」
「きみはまだそんなことをッ!」
こっちはユウキの為を思って「帰れ」と言っているのに。
かっとなって手を振り上げたが、彼の頬を叩くことは出来なかった。
結局、私一人じゃ勝てないことは紛れもない事実だ。逆に、ユウキが居れば勝てる可能性は充分にある。
だったらもう、好きにさせておけばいい。
そうだ、私がユウキを気遣うのはおかしいじゃないか。
こいつに苦しんでもらう為に目の前で自殺してやったというのに、何をいまさら善人ぶっている。
いま優先すべきは自分自身と仲間達である。ユウキが真実を知ってここに来たことを後悔したとしても、それは仕方のないことなのだ。
だから、私を恨まないで。
「……分かったよ、一緒に戦おう。何を言っても無駄っぽいしね」
「ああ!」
御剣星名。雨宮勇基。時崎黎司。
今、この最終決戦の場で、私たち転生者の運命は再び交差した――この上なく残酷な形で。