8章20節:再び王女となるために
連合軍本隊と合流したアステリアらは、改めてレインヴァールやルア等の友人と互いの無事を喜び合った。
彼らに限らず本隊に属する全員が、空洞域から駆けつけてきて危機を打開した援軍を称賛した。
ルアの能力を知らない殆どの人間は何故グリムグレイが負けたのかを理解出来ていなかったが、勝利という事実に夢中になっており手段など気にしていないようだ。
総軍の人数こそ最初と比べて大きく減少していたものの、士気はむしろ高まっている。
《権限》所有者や序列入りパーティメンバーといった英雄たちの活躍が人々を鼓舞したのである。
その一方。
帝都のすぐ東にある閑散とした農村地帯「ウィンスレット侯爵領」。かの地において一際目立つ屋敷の中は、暗澹たる空気に支配されていた。
応接室では、《魔王軍》幹部の一人であるリゼッタと領主の男性――こちらも魔族であり、《魔王軍》に忠誠を誓っている――が長卓を挟むように座っている。
両者ともに沈痛な面持ちをしているのは、先ほど《魔王軍》の偵察兵からある報告を受けた為であった。
「グリムグレイ様とバルディッシュ様が撃破されました! 連合軍の奴らがこちらにやってくるのも時間の問題かと……!」
この戦争は《魔王軍》幹部や彼らに共鳴する者にとって、初めから死を前提としたものである。
魔王ダスクは強い。これまでに紡いできた全ての絆の力を発揮すれば、一人で連合軍を壊滅させてしまえるかも知れない。
だが、もし負ければその瞬間に精神的支柱を失った《魔王軍》が瓦解するリスクだってある。
それよりは幹部クラスが自らの命と引き換えにしてでも敵の戦力を極力削る。
上手くいけば幹部だけで勝てるし、そうでなくともまだ帝都に残っている一部の民や兵士、皇族を逃がす時間は充分に稼げる。
これは幹部の側から提案したことだ。
ダスク自身は矢面に立つことを望んでいた。しかし、これが最も多くを生存させられる作戦であるのも確か。
そのことを彼も理解しているから、やむを得ず提案を呑んだのだ。
従って、リゼッタも領主もこの結果は予想していた。だが、いざこうなった時に平常心を保てるほど二人は「戦い」というものに染まっていなかった。
「なんで天上人なんかに負けてんだよアイツら……あたしが頑張らなきゃいけなくなったじゃん……」
頭を抱えて保身的な物言いをするリゼッタ。
実際のところ、ただひたすらに「安心出来る居場所で生き続けること」を望んできた彼女の心には強い恐怖心と苛立ちがあった。
しかし、こんなことを口にしたのは自分自身を奮い立たせる為であって、己の弱さに飲み込まれた訳ではない。
彼女にだって命を賭してでも守りたいものはある。仲間に対する友情もある。
それを示すかのようにリゼッタが涙をこぼしていたから、領主は彼女の気持ちを理解し、沈黙した。
ひとしきり泣いた後、リゼッタは弱々しく笑って言った。
「やればいいんでしょ、やれば。あたしは他の幹部みたいに強くないけど……それでも勝ってみせる」
「我々も最大限、助力致します。つきましては私めや兵士たちに、あなた様の魅了術を掛けて頂きたい」
「え?」
「あなた方に忠誠を誓った身とはいえ、やはり恐れは拭い切れませんから。『あなた様のことを思えば死など全く怖くない』といった覚悟を抱かせて欲しいのです」
「なるほどね……分かったよ。あんたら皆あたしの虜にしたげる」
*****
連合軍が山を下って帝都南方の平原に出た後は、後方支援部隊によって簡単な野営地が作られた。
私たち《ヴェンデッタ》をはじめとする戦闘要員はそこで三日ほど過ごし、体力回復に努めた。
テント設営や侵入防止用の柵の設置を行う工兵、帝都方面やウィンスレット侯爵領に対する偵察を行う斥候、被害状況の確認を行う各勢力の長、負傷者や病人の手当てを行う治療術士――彼らの働きぶりを何もせず眺めているというのも少しだけ居心地が悪かったけれど。
加えて、ルアが過度な消耗と寒さのせいで風邪を引いてしまった。本人は「勝ったのだからリアさんが気にすることは何もありません」と言ってくれたものの、やはり無理をさせた身としては申し訳なさもあった。
偵察の結果、帝都付近と侯爵領には既に敵軍が展開しているということが分かった。
空洞域や山道での戦闘で敗北することまで織り込み済みであったかのような迅速さだ。
なお魔王ダスクは確認出来なかったらしい。あの男に限って一人で逃げ出すようなことはない筈だから、恐らくは帝都内部で私たちを待ち構えているのだろう。
何にせよ「全軍でもって速攻で侯爵領を制圧し、それから帝都を攻める」という当初の作戦を実行するのは難しそうだ。侯爵領を攻めたところで間違いなく、帝都側の軍が即座に反応するからだ。
幾ら連合軍が精鋭揃いであっても、練度の低い味方も大勢いる以上、まとまって動いているところを挟撃されるのは危険過ぎる。
従って、ローレンスは再び戦力を二分し、帝都側と侯爵領に対して同時に圧力を掛けることにした。
平原で真っ向から敵軍とぶつかるのがローレンスの指揮する王国正規軍および聖団勢力、侯爵領に向かうのが各地の王族や貴族を中心とした勢力だ。
冒険者は各自の判断でそのどちらかを援護する形になる。私の知人の中だと《夜明けをもたらす光》と《竜の目》が前者、《輝ける黄金》が後者に付くようだ。
ちなみにアレスとは未だに合流出来ていない。まあ、あいつがこの場に居たところで「頼れる仲間」として御し切れるかは微妙なところだが。
私は故あって侯爵領制圧に志願した。
正規軍の担当者がそれを受諾すると、出陣間際ではあったが一旦、仲間と共に《ヴェンデッタ》に割り当てられたテントに入った。
「どうかしたのですか? もうすぐ出発ですよ」
リーズが首をかしげる。
私はテントから顔だけ出して周囲に誰も居ないことを確認した後、仲間たちの前に戻って立ったまま話を切り出した。
「皆にだけは話しときたいことがあるの。他の誰にも言わないでね」
三人は緊張した面持ちで次の言葉を待った。それから再び口を開けるようになるまでに少々の時間を要したが、私は精一杯の勇気を振り絞った。
「他の連中が領地制圧に集中している隙に、私たちは侯爵領から直接、帝都に乗り込もうと思うんだ」
それを聞いた年上組が驚きを露わにした。
ライルは怪訝な顔で問う。
「なんでまた、そんな無茶を?」
「魔王、この手でぶっ潰したいでしょ。まぁ要するに抜け駆けしたいって訳」
「……リア、あんたまさか魔王の首を取って……!」
私が頷くと、ウォルフガングはどこか感心したように力を込めて言った。
「ついに決心してくれたか……!」
「うん。前にウォルフガングと話した時からどうしたものか迷ってたんだけど、やっぱり『王女に戻りたい』って思うから」
魔王戦争において活躍し、英雄となった上で存命であることを宣言する。
無論、半端な功績ではそのような宣言など無視され、私たちの追放も撤回させられない。だから、この手で魔王を殺すしかない。
ずっと前から考えていたことだ。
ただ、それを仲間に伝えることを躊躇っていただけ。
どの道いつまでも冒険者活動というぬるま湯には浸かっていられない。
私はこの世界を変えなければならないのだ。御剣星名の短くも失望に満ちた人生を肯定する為に。
私の言葉を聞いたリーズとライルは感激した様子であった。前者に関しては涙まで流し、呪血病に冒されていない方の手で私の手を握る程だ。
私の最終目標が「王女に戻ること」ではなく「王女の立場を利用して全てに復讐すること」だと知ったら、この子の笑顔はどうなってしまうのだろうか。あまり想像したくないな。
「不当な追放を受けて6年……ようやくその時が来たのですね! 冒険者としての日々を否定する訳ではありませんが、やはりあなたは王宮におられるべき方。あの場所に戻る為に必要なのであれば全力で助力致します!」
「俺も同じ気持ちだ。リアが正式な王女に戻ったら俺たちも今より安定した暮らしが出来るだろうし……っていう冗談半分は置いといて。俺にとって『仕えるに値する王族』はあんただけなんだよ。そんなあんたが他のいけすかねえ連中のせいで追放されたままってのは納得いかねえ」
「なはは。流石に魔王を倒せばあのクソ親父もクソババアも私たちのことを認めざるを得ない筈だよ」
私が冗談めかして言うと、ウォルフガングは呆れたようにため息をついた。
「お二人にそのような物言いをするんじゃない……それで、俺も当然ながらお前に従うが、勝算はあるのか? 魔王は言うまでもなく強敵だし、まず俺たちだけで城壁を突破するのだって簡単ではないぞ」
「突入に関してはこっそりフレイナちゃんに協力を頼んでおいたよ。実は侯爵領の方に志願したのってあの子が居るからなんだよね。平原を突っ切るより迂回した方が帝都を攻めやすいって理由もあるけど」
短い間とはいえアカデミーでフレイナを見てきたリーズは、頷いて納得を示す。
「確かにあの方なら引き受けてくれそうですね」
「私が王女であることは明かさなかったんだけれど、『魔王を迅速に倒して戦争を終わらせたい』と言ったら『乗りますわよ』って即答してくれたよ。直情型なあの子らしいや」
「帝都突入はあのお嬢様の力を借りるとして、肝心の魔王はどうすんだ? ウォルフガング先生でも取り逃がしちまうくらいの奴だったんだろ?」
ライルが続けた。私は少し口ごもったが、率直に答えることにした。
「……やれるって信じるしかない。一応、前は激戦の直後で万全な状態じゃなかったから、魔王との対決に備えて体力を温存出来れば結果は変わるかも知れない。それにあの時と違って魔王の側も退けないだろうし」
「根性論かよっ! あんたらしくもない無謀さだな」
「自分でもそう思う」
言い訳じみた「勝算」を聞いて苦い顔をするライル。
帝都の状況もダスクの能力についても何も分かっていないから、こう言う他ないのだ。
奴の身体能力に対抗するため、《吸命剣ザッハーク》に蓄えた力をセーブしてはいるが、それだってどこまで通用するか分からない。
確かにいつもであれば、もっと作戦を練った上で攻め込むだろう。
しかし今回は慎重に情報収集を行う時間も、それを考慮して対策を立てる時間もない。
かといって他の者を巻き込むというのも無理がある。フレイナは私と縁があって、なおかつ性格がああいう感じだから乗ってくれただけだ。
《竜の目》はこういった企みには関わりたがらないだろうし、《輝ける黄金》は実力的に厳しいものがある。
そしてユウキ達は絶対に頼れない。あいつが魔王、つまり時崎黎司と出会う前に全てを終わらせなければならないから。
こんな作戦とも呼べないものに仲間を巻き込むことに何となく負い目を感じていると、リーズは強気な表情を見せた。
今だって呪血病で体が痛む筈なのに全くそれを感じさせない。こういうところはやっぱり「お姉ちゃん」みたいだなって思う。
「分かりやすくていいじゃない。結局、戦いで最後に物を言うのは根性よ」
その言葉を聞いて「やれやれ」とでも言いたげに肩を竦めるライルだったけれど、少し間を置いてから首肯する。
「まぁウチの大事なお姫様が根性を求めてるって言うなら、たまには頑張ってみるさ。それに……」
リーズの方に目をやり、照れくさそうに頬を掻くライル。
「何よ」
「いや、好きな女の子の前でカッコつけるのも悪くはねえかなと……」
「もう! そういうことは本人の前で言っちゃったらダメでしょーが!」
「リア様の言う通りよ。ホントあなたって……別に、変に格好なんか付けなくたって良いわよ」
「そりゃ『いつもカッコいい』ってことか?」
「……女の子にデレデレしてる時と斜に構えたようなこと言ってる時以外は、それなりに」
冗談を言ったつもりであったのに真面目に返された為か、ライルは更に顔を赤くした。
こいつがこの子に惚れた理由がよく分かるな。私だって男だったらきっとリーズに惚れていただろう。
さて。いつまでもイチャイチャしていて欲しい気持ちではあったが、残念ながら出陣の時間が迫っている。
私は咳払いをした後、皆の顔を順番に見て言った。
「みんな。これまでで一番きつい戦いになると思うけれど、どうか付いてきて欲しい」