8章18節:グリムグレイの切り札
フレイナがルアに対し《正義の誓い》の特性を手短に説明すると、彼女は半信半疑ながらも「今はこれに賭けてみるしかない」と結論付けた。
「どうか上手くやってくださいね、フレイナ」
「任せなさいな! 正直わたくし自身もまだ実感が追いついていないのですけれど、何とかいたしますわっ!」
「もう。不安になること言わないでくださいよ……では、時を動かします!」
ルアの宣言に合わせ、フレイナは抱えている鉄砲で空を狙う。
時間が再び流れ出すと同時に銃口から放たれたのは、弾丸ではなく嵐のように吹き荒れる炎そのものだった。
突然の出来事に誰もが意識を向けた。激闘の最中にあるレインヴァールらやグリムグレイでさえもだ。
紅蓮の嵐が空中の一点に集まって太陽のようになると、今度はそこから無数の炎弾が全方位に降り注いだ。
連合軍の人々は巻き込まれることを危惧して身構えたが、すぐにそれが自分たちの肉体を透過していることに気が付いた。
フレイナの炎は襲来する雪塊、そして追撃すべく姿を現した敵兵だけを選択的に焼き滅ぼしたのである。
「影響を及ぼす対象を限定出来る広範囲攻撃」。集団戦においては特に都合の良いその術技に、原理は分からないまでも味方は歓喜し、敵の生き残りは恐怖した。
「……まさか本当にこんなことが出来るなんて」
「あなたの方だって大概でしょうが。でも、これで対等になりましたわよ」
驚愕するルアに、フレイナは得意げな笑顔を見せた。
それにつられてルアもフッと笑う。
「私の方が上ですけど、凄かったのは認めますよ」
「今くらいは素直に褒め称えなさいな! 本当にあなたという人は……さて、まだ卑劣なる伏兵共は残っているようですし始末しに行ってきますわ」
「私も手伝います」
「良いんですの? あなたの代償は……」
「《術式》で敵の動きを止めるだけですよ。ここまでの戦闘ではっきりしました。どうやら自分で直接的に手を下さないのであれば制限には抵触しないようです」
「神を恐れず堂々と制限の穴を突く……あなたらしい性格の悪さですわね。そういうことなら一緒に行きますわよ!」
フレイナの活躍により士気が向上し、本隊は果敢に襲撃者の殲滅に乗り出した。
一方その頃、レインヴァールはグリムグレイと切り合いつつ、頼れる味方が現れたことを喜んでいた。
「凄いな……あれほどの《術式》は見たことも聞いたこともない。特異武装を持ってる感じでもないし、もしかして僕らと同じく《権限》の使い手なのか?」
「可能性は高いな。あのフレイナとかいう女、取るに足らない存在だと思っていたが認識を改める必要があるか」
戦況が目まぐるしく動く中でも変わらず淡々と話すアダムに対し、レインヴァールが苦笑いをする。
「『取るに足らない』って……とりあえずあっちは何とかなりそうだ。でも次もそうとは限らないから、やっぱりここは一気に畳み掛けよう!」
レインヴァールはグリムグレイを見据えた。
自分を囮とした奇襲作戦が失敗してもなお、彼の戦意は衰えていない。
別の部隊が存在しているのか、それとも本人が切り札を隠しているのか。
いずれにしても相手に次の手を打つ時間を与えるのは危険だ。
レインヴァールが再び気合を入れて攻勢を強めると、仲間たちもそれに続いた。
グリムグレイは急速に追い詰められていき、やがてレインヴァールの剣撃が大鎌に直撃する。
どうやら大鎌は特異武装でも何でもなかったようであり、拍子抜けするほどあっさりと砕け散った。
そして武器を失い無防備になったところにアダムやアイナ、オーラフの攻撃魔法が殺到。
グリムグレイは咄嗟に腕を構えたものの、魔法は篭手を破壊し内部にまで衝撃を与えた。
皮膚が裂けて真っ赤になった片腕を力なく垂らす。
傍目には絶望的と言う他ない状況だった。
だが「闇晶」と形容されし漆黒の鎧の中からは全く動揺が感じられない。
「くっ……まだやるつもりなのかッ!」
追い詰めている側であるのにも関わらずどこか焦燥を感じさせるレインヴァールの言葉に、グリムグレイはただ「愚問だ」と返した。
変化が起きたのはその直後からであった。
グリムグレイの踏み込みの速度とパワーが先程までと比べて格段に増したのだ。
武器を失っても体当たりで大木を吹き飛ばし、それらを片手で掴んで振り回している。無傷な方の腕だけでなくもう一方も使って、だ。
「こいつは今まで本気を出していなかったのか」と、誰もが考えた。
届いていた筈の攻撃が届かなくなり、捌けていた筈の攻撃が捌き切れなくなったので、一転して守勢に回らざるを得なくなる。
特にフェルディナンドとエミルは回避能力に劣る為、レインヴァールは二人を後退させた。
ただでさえ余裕がないのに戦力を減らすのは愚行だと彼自身も理解はしていたが、それでも犠牲を出したくなかったのである。
ここからグリムグレイを「殺さずに」撃退するにはどうすればいいか――そんなことをレインヴァールが思っていると、アダムが彼を睨みつけた。
「レインヴァール! 全力を出せ!」
「言われずともやってる!」
「いいや、お前は殺しを躊躇っている。相手は《魔王軍》幹部だぞ、加減して倒せると思うな!」
図星を突かれ、歯噛みするレインヴァール。
この期に及んでも彼は相手の命を奪わないことを考えていた。
《勇者》とはそういう男である。
エメラインと戦った時ですら、アステリアが容赦なく致命傷を与えただけで彼の方に殺意はなかった。今回もまた同じ感覚でグリムグレイと相対しているのだ。
だが、その気質こそが今の劣勢を導いていた。
グリムグレイもそれを見抜き、指摘する。
「そのエルフの言う通りだ。《勇者》よ、お前はこれまでも我が同胞たちを殺さずして撃退してきたらしいな。私にもそれが通用すると思っているのなら随分と舐められたものだ!」
彼はどうしようもなく怒っていた。
道徳的に考えればレインヴァールの在り方は間違いなく「正義」と言える。
命は大切なものだ。故に人殺しは言うまでもなく悪だし、そもそも争いなんて起こすべきではない。
だが、世界は道徳では動いていない。
この世には目的を果たす為なら殺しを厭わない者が居る。自らの命が失われても構わないと思っている者も居る。
そういった類の人間にとってレインヴァールの姿勢は侮辱そのものだった。
「私はお前たちを殺しに来たのだぞ! そちらも殺す覚悟で来い!」
レインヴァールはグリムグレイの言葉を聞いてはっとなった。
「味方も敵も救うこと」を諦めた訳ではないが、少なくとも目の前の男にとって「殺さないこと」は救いでも何でもないと理解したのである。
「……結局、前世と何も変わらないのかよ。どうして同じ人間なのに憎み合い、奪い合い、殺し合いたがるんだよ」
レインヴァールは誰にも聞こえないよう小さく呟いた。
そして「人にこんな破滅的思想を抱かせる世界は変えなきゃいけない」と改めて決意しながらも、今は全力でもって敵を迎え撃つことにした。
瞬間、グリムグレイが白い爆光に包まれた。
レインヴァールが加速の《術式》で接近し、莫大なエネルギーを剣に集めて斬撃を繰り出したのだ。
以前にもレーザーを放ってベヒモスを一撃で葬り去っていたが、同じことを至近距離で行った為、より威力が向上していた。
これこそが彼の全力。躊躇さえなければ彼はあの《紅の魔人》にも匹敵し得る攻撃性を発揮出来るし、事実、魔物と戦う時はそうしている。
「なるほど。その気になれば出来るではないか、《勇者》」
眩い光の中から現れたグリムグレイは鎧を失っており、布製の地味な鎧下をさらしていた。
今まで鎧に隠されていた体型は人間族の屈強な男性と大差ないものの、頭部や手足、皮膚などはかなりドラゴンに近い。転生者たちが彼のような竜人種を初めて見た時は皆「ファンタジー作品に登場するリザードマンのようだ」と感じていた。
ともかく、彼は武器だけでなく《闇晶の魔人》という名の由来である防具すらも完全に破壊されるという窮地に陥った。
それにも関わらず、まるで動じていない。
「もしや、まだ力を隠しているのか」。腕を負傷させた時のことも踏まえてそう考えたレインヴァールは、慎重に出方を窺った。
そして、予想通りグリムグレイは傷ついて弱まるどころか更に強さを増すのであった。