8章11節:《紅の魔人》と《黄金の魔人》
《紅の魔人》と《黄金の魔人》。
決闘が始まった瞬間、二人は思考から自らと相手以外の全てを消し去った。
魔物や下級の戦士といった有象無象だけではない。バルディッシュの部下も、それと戦うリア達も、空洞域に取り残された者を救出している《竜の目》もだ。
両者ともに数秒ごとに《加速》を唱えているかのようなジクザクした軌道で空中を飛び回り、アレスは白黒二振りの聖魔剣を、バルディッシュは金色のハルバード――こちらも特異武装である――を振るう。
お互いにそれらを超越的な反応速度と機動力によって躱していく。
移動や攻撃の際に生じる衝撃波によって周囲の弱者達が拉げ、或いは落下死しているが、二人とも全く気に留めていない。
今、彼らの世界には彼らしか居ないし、誰も立ち入ることなど出来ないのである。
そんな攻防をしながら、アレスとバルディッシュは心の端に自分たちの過去を蘇らせていた。
二人はルミナス帝国圏で活動していた蛮族の中で生まれ育った、同年代の幼馴染である。
その蛮族は各地を渡り歩いて略奪を繰り返すことで生計を立てていた。
様々な種族の異性をさらっては子供を産ませていたので、主要な構成員は魔族であるものの半魔も多かった。
アレスもその一人であり、彼の父親は屈強な魔人――外見的には人間族に近い特徴を持つ魔族種――の族長、母親は可憐な人間族の女性だ。
無論「異種族恋愛」などという甘ったるい関係にあった訳ではない。族長は「略奪に入った村の中で最も容姿に優れた女を無理やり抱く」という趣味があり、女性はその被害に遭ったに過ぎない。
アレスは母親の特徴を強く受け継いだ為、体は華奢で顔立ちも中性的な美少年に育った。
しかし、この部族において男に求められるのは「強さ」「逞しさ」である。
強ければ半魔という社会的最底辺層でも尊重される反面、細く弱々しい男に居場所はない。
従って、アレスは人々から徹底的に虐げられた。母すらも「部族の価値観に反すれば自分が殺されるかも知れない」と考え、保身の為に息子を日々罵った。
バルディッシュは彼とは対照的な少年であった。
魔人の両親の間に生まれた純血統であり、アレスや他の半魔どころか平均的な魔族と比べても体格や実際の戦闘能力に恵まれている。
その為、子供たちのリーダー的存在であったし大人からも一目置かれた。
彼は暇さえあればアレスのもとにやってきて暴力を振るったり、ただでさえ僅かしか与えられていない食事や持ち物を堂々と奪い取るなどしていた。
当然アレスも撃退しようとはしたが、体格的に劣っており立場の弱さゆえに戦闘訓練も受けられない彼に勝ち目がある筈もなかった。
そして大人たちはバルディッシュの悪行を止めるどころか持て囃すばかり。
彼らにとっては子供も大人も関係なく、常に「弱い方が悪い」のだ。
弱いから殴られ、弱いから奪われ、弱いから誰も手を差し伸べないのである。
そんな地獄のような生活を送る中でアレスは思った――この世に「強さ」以外の価値基準は存在しない、と。
彼は戦いを経て強くなる為、略奪には参加せず孤独に魔物を狩る日々を送り始める。
本業に貢献していない役立たずに食事を分け与える者など一人も居ないから、飢えを癒やし体力を付ける為にどんな魔物でも食らった。
おぞましい見た目と味の血肉を食えたならまだ良い方で、獲物を逃して餓死寸前まで行くことも多かった。
そもそも戦いで負けて大怪我を負うことも少なくない。
酷い時は腕を骨折した上に感染症を患った状態で同族からはぐれたこともある。もちろん戦闘など出来ないから、腐肉と泥水を啜り食中毒に苦しみながら一ヶ月ほど森でひっそりと暮らしていた。
常人であれば百回は死んでいてもおかしくない少年時代を過ごしたアレス。
彼が生存出来たのは半分とはいえ人間族より強靭な魔人だからというのもあるが、それ以上にどんな絶望的な状況に陥っても闘争心を絶やさなかったというのが大きいだろう。
「これを乗り越えれば自分はもっと強くなる」と、人間離れした精神力でもって信じ続けたのである。
そういった生活を続け、望み通り幾らかの強さを獲得してからは冒険者や傭兵にも戦いを挑み、殺して食らうようになった。
自分にはない強さを持っていると感じた相手ならば男も女も人間も獣人もエルフも魔族も関係なく無差別に食い殺した。
やがて十五歳になった頃、彼はとうとう自分を地獄に産み落とした「強者」である母を殺し、父にも真っ向勝負を挑んで殺した。
現在持っている黒の魔剣はかつて父が使っていたものである。
その能力は「周囲の生命に対する体力吸収」、適合条件は「愛する者を殺すこと」。
そう、彼は復讐心を全く抱いていなかった。親だけでなく同族やバルディッシュに対してもだ。
弱さは罪であり、強さは愛すべきもの。故に彼は自分を虐げたもの全てを愛していた。
そして、それらを乗り越えることで自らをより高めると共に強者たちへの愛を証明したいと願ったのだ。
さて。部族の掟では族長を殺した者が新たな族長になることが決まっていた。
バルディッシュも含めた人々は掟に従うことをアレスに求めたが、当の本人は群れて生活の為に村を襲うことにまるで関心がなかった。
彼の頭の中にあるものは「自分より強い誰かを殺す」、ただそれだけである。
だから彼は言ったのだ。
「ボクを倒して従わせればいい。世界ってのはそういうものなんだろう?」
弱々しい子供であったアレスの挑発を無視することなど、戦いの中で生き続けた蛮族の男たちには出来なかった。
だが部族内で最強であった族長を実力で下し、魔剣まで獲得した彼に敵う者はおらず。
その圧倒的な強さにまだ息をしている男は恐れ慄き、女は媚を売った。
そんな中であってもバルディッシュだけは決して退かず、アレスに一対一の決闘を挑む。
彼はかつて単なる蛮族の子に過ぎなかったが、幼馴染の生き様と成長を見続けたことで、いつの間にか同じように強さの求道者と化していた。
その為、「族長を超えた『友』を更に超えてやろう」と意気込んだのである。
しかしアレスは強すぎた。結果としてはバルディッシュの敗北であり、彼はこれまで戦いを挑んできた男たちと同じように死ぬ――筈だった。
バルディッシュは戦闘中にアレスの魔剣で左目を貫かれ、人生で初めての恐怖を味わったことで、衝動的にその場から逃げ去ってしまったのだ。
「もうこの部族に固執する価値はない」と感じたアレスは、親友との決着が付かなかったことを心残りに思いつつも自身に縋り付く同族を無視し、より強い存在を求めて旅を始めた。
一方でバルディッシュにとってこの経験はただ一つのトラウマとなった。だからこそ、更なる強さを求めて魔王ダスクに挑んだのである。
「……懐かしいなぁ」
空洞域を縦横無尽に駆け巡りながら、アレスはぽつりと呟いた。
バルディッシュが言葉と攻撃を交えて応える。
「お前に左目をやられた時の悔しさ、今でもよく覚えてるぜ」
「ボクだって悔しいよ。美しい決闘の場において『自分も相手も生き残る』なんて結末は有り得ないんだ。でもキミは逃げてしまった」
「ホント、人生最大の汚点だ。今度こそどっちかが死ぬまで戦うとしようぜぇ!」
「元よりそのつもりさ!」
暴力の奔流が空に渦巻き、無関係な魔物や人間を薙ぎ倒していく。
二人の間にあるのは「熟練の武人同士の技巧に富んだ攻防」というより、もはや災害と災害の衝突だった。
だが恐ろしいのは、アレスもバルディッシュもまだ本気を一切出していないということ。
彼らはここまで純粋な肉体の力だけで戦っていたのだ。