8章8節:空洞域侵攻戦
早朝。太陽が出始めている中、私たちは迅速に戦闘準備を整えた。
昨日と同じようにゲオルクが皆の前に立って指示を出す。
「各自、まずは隊列を意識せずパーティごとに自由に動いて空洞域の先を目指せ。突破後は周囲の安全を確保した上で待機しろ」
その後、彼は群衆の中に居る私に視線を向けた。周りの傭兵や冒険者、民兵も同じようにする。
「道は《ヴェンデッタ》が切り開く。オレたちも空から遊撃する。《クライハート》は……その気になったらぜひ手伝ってくれ。他の連中はそれに続いてくれればいい」
「なんか急に無茶振りされた……」
私が肩をすくめるとゲオルクはにやっと笑った。
感情的には「リーダー代理なんだからそっちが先陣を切ってくれよ」と思わなくもないけれど、実際のところ適切な判断ではある。
恐らく狭い戦場における突破力ならば彼ら三人よりも私たちの方が上だろう。
こっちは伊達に「前衛が三人」とかいうRPGならばアンバランスもいいところなパーティで戦ってきていないのだ。
「墓標荒野で《勇者》と共に敵将を討ったお前の実力、頼りにさせてもらうぞ。もちろん他の三人もな」
「はいはい。一人でも多く向こう側に到達させられるよう頑張ってみるよ」
そう答えると、まず私たちの戦績を知っているであろう者達が反応した。
彼らは周りの連中に《ヴェンデッタ》の名を広め始めたのだ。
「名誉をかなぐり捨てて社会の闇に潜み、世を正してきた影の英雄」と。
或いは「困難な依頼ばかりを引き受け、達成してきた狂人たち」と。
やれやれ。正体を悟られたくないからずっと目立たないように動いていたというのに、ゲオルクはなんてことをしてくれたんだ。
しかし逆に考えれば、私の姿を人々の記憶に刻みつけるのに良い機会とも言えるか。
そう、いつか真の名を明かす時に備えて。
私が外套をようやく脱ぎ去って長い桃色の髪をさらけ出すと、人々は歓喜に沸いた。
容姿に魅了されたのか、或いは――魔物の軍勢と戦う様を見た者は察していただろうが――外套の下の人物が「王都解放や墓標荒野の戦いで貢献した《ヴェンデッタ》のリア」だということが分かったからか。
とりあえず「王女アステリア」を外見まで含めてよく知っている人物はこの場には居ないようで、見える限りでは誰も私の正体に勘付いていないようだ。
私は仲間たちを見て頷いた。その視線に込めた意図を汲んで皆も外套を脱いだ後、私たちは群衆から出て《竜の目》の隣に並んだ。
「ゲオルク、指示はこれで終わり? ならもう行動を開始するよ」
「ああ、任せたぞ《ヴェンデッタ》」
「うん。それじゃあ……皆、ついてきてッ!」
私は人々に向かって声を張り上げるとすぐに反転し、空洞域の先を見据えて走り出した。
地上の魔物とワイバーンが一斉にこちらを睨む。
いいぞ、来い。防御役など私たちのやることではないが、少しでも犠牲を減らす為ならヘイトくらい買ってやる。
私は「みんなが生き残る道」などという理想を信じていないから敵は容赦なく殺してきた。「効率的勝利」の為にたくさんの命を諦めもしてきた。
そんな人間であっても、誰かが無駄に死ぬところを好き好んで見たい訳ではないのだ。
やがて私達が魔物共との交戦距離に入ると、奴らはまとめて飛びかかってきた。
「二人ともお願いッ!」
私の叫びにウォルフガングとリーズはすぐに反応し、速度を上げて私よりも更に前に躍り出た。
二人の剣撃に斬り伏せられていく魔物たち。そこにワイバーンが側面から急襲を仕掛けようとした。
「やらせないよ!」
私は聖魔剣を射出し、敵を空中で射抜いていく。
ライルもまた、三次元機動で動き回るターゲットに対して的確に《発破》を命中させて爆殺する。
近接戦闘主体のウォルフガングとリーズに最前線で戦ってもらい、全距離対応の私や《術式》を器用に扱えるライルが支援攻撃を行うと共に背後も抑える。
ある程度は互いをカバーするものの、仲間の力を信じているから「守ること」よりも「攻めること」を優先する。
これこそが偏ったパーティなりの連携というものだ。
当然、それぞれが単独でも高い技量を持つからこそ成立しており、素人が真似をすればすぐに各個撃破されてパーティが崩壊するだろう。
私たちは素早く露払いをしていき、そこに人々が追従する。
少し地面が盛り上がっているところから後方の状況を確認すると、私たちや少し後ろで「一応」戦ってくれているアレスの近くに居たり、最後尾で序列九位に守られている者は概ね問題なく移動出来ているようだ。
しかし中央が激しい攻撃に晒されている。
その辺りを守っている序列十位や《竜の目》の抵抗も虚しく、ワイバーンの突撃によって人々がどんどん端に追い詰められて落下していく。
ルルティエが何体かのワイバーンを支配して一部を救ったものの、大半は雲の下に消えていった。
この惨状は《竜の目》の能力不足が原因ではない。むしろ彼らはどのパーティよりも多くの敵を捌き、多くの仲間を救っている。特にルルティエはこの場で最も活躍していると言えよう。
序列十位だって堅実な戦いぶりを見せている。
とにかく人数に対して道が狭すぎるのが問題なのだ。
分かり切ってはいた。これは最初から犠牲が出ることを前提として立てられた作戦なのだと。
後方支援部隊の殆どが山道組に同行しているのもつまりはそういうこと。
悔しいが仕方がない。ここで援護の為に後退したところで進軍速度が落ちれば結局は犠牲が増えるだけだ。
私がやるべきは進行方向の安全を確保し、より早く皆を向こう岸まで到達させることである。
私はユウキとは違うからそれくらいの割り切りは出来るし、今までもずっとそうしてきたのだ。
一体どれだけの味方が死んだのか――それを気にかける余裕もないほどに魔物を屠ることに集中し、前へ前へと軍を進ませる。
それから二時間ほど休みなく戦い続け、私たちの視界にようやく空洞域の向こう岸が入ってきた。
これまでは魔物が道を埋め尽くしていて先を見通せない程だったというのに、終端に近いこの辺りは不自然なほどに何も居ない。ワイバーンすらもだ。
後ろの見知らぬ冒険者達は「やっと解放された」などと呑気に喜んでいるが、先頭に居る私たちはむしろ状況が悪くなっていることにすぐ気が付いた。
大穴を抜けた先に幾つかの人影が見えたのだ。
魔物共は動物的本能に基づいてこの者達から逃げていたということだろうか。
そんなことを考えていた時、上空から尋常ならざる圧力を感じた。
私が反応するよりも早くウォルフガングが叫ぶ。
「皆、前に向かって走れッ!」
私やリーズとライル、一部の冒険者はその言葉に従って反射的に全力疾走し橋を渡り切る。
そして後ろを振り向くと同時に強烈な風が吹き付け、たまらず目を閉じた。
再び目を開けた時には遅れた連中がみな吹き飛ばされて落下していた。
代わりにそこに居たのは、ハルバードを肩に乗せて気怠げにしている男だ。
乱れた金の短髪に逞しい肉体、隻眼、一対の角と黒い尾。
ただ立っているだけでも見る者を動揺させる圧倒的な存在感。
《魔王軍》幹部の一人――《黄金の魔人》バルディッシュ。
数秒前の私は勘違いをしていた。
先の草原や空洞域に居た魔物共はこの先で立ち塞がっている奴らから逃げていたのではない。この男たった一人に恐れ慄いていたのだ。