特訓練習礼儀作法
更新しました。
約一週間ぶりや。。
「ずれた。やり直し。」
その言葉と共に、『ドゴッ!!』と何冊もの分厚い本が術で頭の上に乗り、さらに一冊追加される。
「いたっ!!」
「諦めて受け入れた方がいい。それが結果。」
翡翠は無慈悲に言って私の上に積み上がった本を術でふよふよと浮かび上がらせていった。
「でも重いよぉ。」
ブチブチと文句を言いながら真っ直ぐに姿勢を直してそれをキープする。
そして、一冊づつ頭に乗っていく本を崩さないように姿勢を直した。
そう、この動作が私が今一番衝突している大きな壁だ。
礼儀作法の基本の動作は二度三度くらいで合格点が大体出た。
中高時代の面接の残りカスがこんなところで生かされるとは思わなかった。
教師を務めていた翡翠も驚くほどらしい。
教育ってやっぱり偉大だなぁ。
「細かい癖は、追々矯正していくとして大半は大丈夫だね。」
そう言って合格のご褒美に私が好んで飲んでいる薔薇茶をとびきり美味しく淹れてくれた。
ご褒美に嬉しくなった私は、調子に乗ってどんどんと翡翠が求める礼儀作法の基準をクリアして行ったが、重い物を頭に乗せてブレずに立つことと、その状態のまま動くこと。
この二点をクリアする事ができず約二週間の殆ど、私はその訓練ばかりしていた。
グラっと軸がブレて体が動く。
それと同時にバラバラっと本が床に落ちた。
「もう一度。」
何度目かの翡翠の疲れた声が部屋に響いたその時。
コンコンとドアがノックされて、部屋に中年の女性が入ってくる。
「皆様。お茶が入りましたよ。少し手を止めて、この婆のお菓子をお食べくださいな。」
入って来たのは、数日前蒼月さんに侍女として紹介された藍色の瞳が特徴的な紫蘭と呼ばれる人だった。
紫蘭は下流貴族の出身の四女で、家があまり裕福とはいえなかった為、紫蘭はずっと昔に蒼月さんの家に奉公に出されてまだ幼かった蒼月さんの教育係を務め、結婚と同時に一度辞めていった。
しかし今回、私の侍女になる人を決めるときに、秘密を守ってくれて尚且つ影に日向にサポートできる人物を考えていた時に思い当たるのが紫蘭しかいなかったらしい。
そう。紫蘭は数少ない蒼月さんが頭の上がらない人の一人なんだとか。
「紫蘭さん_!はい!」
「伽羅お嬢様。さんはつけてはいけません。婆はあくまで侍女。そこの線引きはちゃんとしてもらわないと、お菓子をお渡ししませんよ。」
「・・ごめんなさい。紫蘭。」
ピシャッと線引きをされてしまう。
紫蘭はおっとりした人に見えても公私の線引きはきっちりしている。
そうだった。曲がりなりとも私は貴族と呼ばれる身分になるんだ。
翡翠に教えてもらたことの一つでもある。
貴族、特に私は上流貴族の蒼月さんの娘になる。
上流貴族は、発言一つ振る舞い一つに責任を持つ立場になる。
言い方一つで紫蘭や他人が面倒を被ることだってあり得るかもしれない。
だからこそ、自分の意に沿わなくても今の自分を矯正していかないといけない。
そう言われた。
沙羅蘭の名前を隠す為伽羅の名前に改名し、沙羅蘭としての自分を矯正していく。
少しづつ沙羅蘭が消えていくような感じがした。
パン!
紫蘭が手を叩いた。
「さあさあ皆様。おしぼりで手を拭いて美味しいお菓子。召し上がってくださいな。」
ジメジメし出した空気を払拭するように、お茶とお菓子をテーブルに置いていく。
被せが外れるとフワッとベリーの甘酸っぱい匂いが広がっていく。
お皿の上にあったのは、一口サイズに切り分けられたベリーのジャムが掛けられたパンケーキだ。
白磁の品の良いポットでカップに注がれていくのは、薄緑に色づいたミントティー。
フワフワと登っていく湯気は、あたりに広がってスッキリとした香りが、部屋に漂った。
カップを取ってミントティーを一口飲む。
『コクッ』
「・・美味しい。」
「ああ。ミントの香りがいいな。」
ほっこりと紫蘭のお茶を飲む事。
最近この時間が厳しい特訓の中での楽しみなのだ。
さっきまで練習用に使っていた床に積まれた本を机に上げながら紫蘭が首を傾げる。
「それにしてもお嬢様はここのところ姿勢の練習ばかりなさっていますが、そんなに難しいのですか?」
「うん。バランスを保つってなかなか難しいんだね。歩こうとすると、すぐ崩れてしまうから。」
「そう難しいものではないと思いますよ。」
「そう?」
「一本の棒になりきったように歩いてみると、随分と楽になりますよ。」
「一本の、棒ですか。」
「はい。これから儀式や社交の場などに出るときに、重厚感のある衣装を着る事があります。その時に、なんの訓練もなしに重い衣装を着れば、体が重量に負けてしまい、着るのではなく衣装に着られてしまいます。そうならない為にも、こういった訓練の積み重ねというものは非常に大切な事なのです。」
「要はおしゃれは訓練!なのです!」
「は、はい。」
紫蘭のおしゃれへの情熱というものが少しわかった気がした。
ただ少し熱が入りすぎて、ちょっと引いてしまった。
「と、いうわけだ。位階が決まればすぐお披露目と、誓いの儀式が待っている。こうして私と特訓できる時間もあまりないよ。」
うえぇ。大変なことになりそうなことになりそうだ。
「紫蘭の言葉を参考にして、もう一度試してみよう。」
茶器を置いて、翡翠は本に手をかざしブツブツと何かを唱えて再度本を浮かび上がらせていく。
私も茶器を置いて本が浮かぶ真下に行った。
本の下に行くと、教えられた通りの姿勢をとっていく。
右、左、真ん中、つま先、芯を通すように、棒を通すように立ってみる。
・・・?
ふと、全身の感覚が変わったような気がして、思わず右手を伸ばす。
見た目は何も変わらない。
ただ少し、今までとは違って何かが変わったような気がした。
「そろそろいいかな?」
「あ、うんお願い。」
スッと翡翠が手を動かすと、一つ、二つ、三つと本が頭の上に乗った。
「どう?動ける?」
「あ、うん。なんか、さっきと違って動きやすくなってる感じがする。」
「いける?」
「やってみる。」
私は一歩、前に足を出してみた。
頭に乗った本が落ちる気配はなく、ほっと息を吐く。
「気を抜かない。もう一歩。」
ちょっとの成功に浮足立っていた私に、ピシャッと翡翠が言った。
いけない、いけない。気を引き締めないと。
真っ直ぐ視線を戻して右足、左足と交互に出していく。
1.2.3.4_
何度も何度も、右左と足を出して壁きわまでいくと、そこで私の頭がぐらっと傾く。
「おっと。」
本は倒れる前に翡翠が手をかざし術で頭上に浮かび上がった。
「ふう。ありがと、どうだった?私の歩き方?」
期待を込めた目で翡翠を見る。
「うん。。よくできたと思う。」
「お上手でしたよ。お嬢様。」
ニコニコと私の成長を喜んでくれた紫蘭に対して翡翠の反応は梅を食べた顔のように渋い。
なんでだ。さっき本落とさずに歩ききったのに、なんでそんなに渋い顔するんだ。
しばらく翡翠はブツブツと何か独り言を呟くと、急にガバッと立ち上がりツカツカとドアに向かい部屋を出ようとする。
「ちょ、ちょっと待って!翡翠!どこいくの?」
慌てて呼び止めると、クルっと険しい表情で振り向く。
「急用を思い出した今日の特訓はもう終わり。」
そう言って、勢いよくドアを開けると返事をする間もなく走り去って行った。
「翡翠様、旦那様にこの前廊下は走るなと怒られていたような?」
首を傾げて呟いた紫蘭の独り言が現実になったのはまた別の話。
・裏話・
実際に頭に本をのせて歩くやってみましたが結構失敗しました。