焦り
焦り
「昨日の天岡君の試合、すごかったな!」鎌足が顔を上気させて言った。
「うん、俺興奮しちゃったよ」元松が頷く。
「田岡も強かったね!」岩崎も珍しく興奮している。
「俺、昨日寮の部屋で突きを千本やったよ」鎌足が言う。
「えっ、お前も!俺は筋トレやった」元松が胸を張った。
「何をやったの?」岩崎が訊く。
「腕立て百回に、腹筋三百回」元松が得意げに答えた。
「すげー!」
「今度、鉄アレーでも買おうかな」
「俺も、通信販売でバーベルが欲しい」鎌足も負けじと張り合う。
「いいなぁ、二人とも。僕はお母さんが許しちゃくれないよ」岩崎が項垂れた。
「岩崎のお母さん、学校の先生だったな?頭固そうだもん」鎌足が気の毒そうに言った。
「あっ、矢留君が来たよ」岩崎が言ったので、話はそこで中断した。
「すまん、待たせたな、じゃ行こうか」福は三人を促した。
四人は、いつもの公園で待ち合わせて如水館に向かう。この日は天岡の試合後初めての稽古日だった。
「矢留、天岡君の怪我はどうだった?」歩きながら鎌足が訊いた。
あの後、福が近くの病院へ付き添って行ったのだった。
「全治一ヶ月だって。右足の腱が伸びちゃったそうだ」
「復帰できるのか?」
「それは大丈夫だそうだ」
「よかった」岩崎がほっと息を吐いた。
稽古が始まってすぐ、福はあることに気がついた。
「どうしたんだ?みんなやけに力が入っているぞ」
「そうかなぁ、いつもと同じだと思うけど・・・」元松が首を捻る。
「それより、もっとキツイ稽古はしないのか?」鎌足が不満げに言った。
「始めは正しい動きを習得するのが先だ。間違った動きが身についたら修正するのは大変だぞ」
「かったるいんだよな、そーゆーの。もっとハーハー言って汗をかかないと強くなれん気がする」
「師匠から言われたんだ。始めはすごくゆっくりやらないと一生後悔するって」
「そうかぁ?」
「ソコッ!何をしゃべっている、稽古に集中しろ!」黒帯になったばかりの酒井に怒鳴られた。
「はい、すみません」四人は酒井に謝って稽古に戻った。
稽古後、福は一人稽古をするからと言って如水館に残った。
福は槇草に言った。
「ゆっくりやる事の大切さが、なかなか伝わらなくって」
「ああ、そうだろう、酒井に注意されていたろ」槇草は笑っている。「特に鎌足と元松にはあの稽古は苦痛だろう。アクセルとブレーキを同時に踏んだ状態だからな」
「みんな、早く結果を出したいのです」
「目の前のケーキに飛びつきたいんだ」
「ケーキ?」
「行動と結果が同時に得られる、その場で満足できる」
「そうか!」
「武術の稽古は米を作るのと一緒だ、今年苗を植えたら収穫は来年だ。焦っても米は早くはできない」
「それを伝えたいのですが・・・」
「無理だよ、自分で失敗して気付く他に方法はない」
「だけど・・・」
「焦るな焦るな、焦るとミイラ取りがミイラになるぞ。それよりも俺の相手をしろ」
「はい、お願いします」福はそれ以上何も言わなかった。
二人はお互いの動きを確かめるように、稽古を始めた。