クラスメートの入門
クラスメイトの入門
クラスに岩崎という、体の小さな同級生がいた。子供の頃患った病気の後遺症で右半身が少し不自由だった。
岩崎はよく金子にからかわれていた。
あまり目に余るような時は、福はさりげなく近寄り岩崎に声をかける。
何か用事を頼むふりをすると、金子は仕方なく離れて行く。
ある日の昼休み、ほとんどの生徒が学食に行った後、福は岩崎に声を掛けられた。
「矢留君、僕に空手を教えて欲しいんだけど」
「えっ、空手を?」
「強くなりたいんだ・・・」岩崎は思いつめた顔をしている。
「だけど、空手をやったからって強くなれるわけじゃ・・・」
「いいんだ、でもこのままじゃ三年間やって行く自信がない、今より少しだけでも自信が持てたらいい」
「しかし俺にはまだ人に教える資格がない」
「だったら、道場に連れて行ってくれよ、矢留君が一緒なら怖くないだろう?」岩崎はすがるような目で福に訴えた。
「そうかぁ、空手の道場は、怖いところだと思っているんだな」福は初めて妙心館を覗いた時のことを思い出した。
「えっ!怖くないの?」
「少なくとも俺の通う道場は怖くない」
「だったらお願いだ、体も丈夫にしたいし!」岩崎は必死だった。
それまでじっと聞き耳を立てていた二人のクラスメイトが近寄って来た。
「俺たちも一緒に行っていいか?」鎌足が訊いた。
「君たちもかい?」
「理由は岩崎と同じだよ、このままじゃ、とてもこの学校では続かない」元松が言った。
「別に強くなって喧嘩をしようって訳じゃ無い、自分の身は自分で守りたいだけなんだ」
鎌足は中学時代野球部だったと言い、元松は離島の出身で、小さい頃から船に乗っていて、バランス感覚には自信があるのだ、と言った。
「そうか、なら今度の稽古日に連れて行ってやるよ。入門するかどうかは稽古を見て決めればいい」
「ありがとう!」
岩崎が嬉しそうに言った。
数日後、四人は道場の近くの公園で待ち合わせた。道場に着くと三人は、稽古を見ているようにと槇草に指示された。
三人は板張りにきちんと正座をして観ていたが、途中で足が痺れたらしくモゾモゾしている。
槇草は、あえて何も言わない。
稽古が終わった時、槇草は三人に訊いた。「どうだ、だいぶイメージと違っただろう?」
鎌足が痺れた足を摩りながら槇草に訊いた。
「寸止め空手ですか?」
「そうだ」槇草が短く答える。
「パンチンググローブとかキックミットは使わないのですか?」元松が言う。
「使わない」
「僕にもできるでしょうか?」岩崎が訊いた。
「やらなければできない」
鎌足と元松は、ちょっとがっかりしたみたいだった。
「俺はもっとガンガンサンドバックなんかを蹴るものだと思っていました」鎌足が言う。
「俺ももっとバンバン殴り合うものかと思ったよ」元松も鎌足の言葉に頷いた。
二人は最近流行りの空手をイメージしていたようだった。
「福、木剣を三本持ってきてくれ」
槇草は福に命じた。
福は奥の刀掛けから木剣を持ってきて、三人の前に置いた。
「さあ、一本ずつ木剣を持って、自由に動いてみろ」
「自由に・・・って?」鎌足が訊いた。
「相手がいると思って振るんだよ、まあシャドーボクシングみたいなもんだな」
三人は仕方なく木剣をとって動き出した。
始めは恐る恐る木剣を振っていたが、慣れてくると力任せに木剣を振り回し始めた。
さすがに岩崎は不自由そうだが、鎌足はバットを振るように、元松は山猿のように飛び跳ねながら木剣を振るった。
木剣がブンブンと唸りを上げる。
暫くすると、三人の動きが鈍り始めた。
疲れた訳ではなさそうだ、同じ動きの繰り返しに飽きてきたらしい。
三人の動きが自然に止まった。
「もう終わりか?」槇草が訊いた。
「なんだかやることがなくなって・・・」鎌足が言う。
「うん、つまらない・・・」元松も呟く。
槇草は三人に木剣を持たせたまま言った。
「なら、一人ずつその木剣で俺に打ち込んでみろ」槇草は鎌足を見た。「まず君からだ」
「打ち込むって、本気ですか・・・?」
「ああ、遠慮はいらない」
鎌足はバットのように木剣を持って、槇草の前に立った。
「行きますよ・・・」
槇草は頷いた。
木剣が当たったら、ただの怪我では済まない。福も唾を飲み込んだ。
槇草は構えない、左利きの鎌足の剣は、槇草の右腕を狙って飛んできた。
槇草は一歩下がると、鎌足の剣が鋭い音を立てて空を斬った。
鎌足は、その剣をバットスウィングのように振り切った後、振り子のように切り返して来た。
槇草は、その剣も後ろに下がって躱した、後ろは道場の羽目板だ。
『しめた!』鎌足は真上から槇草の頭上に剣を振り下ろした。
が、もうそこに槇草はいなかった。
ひょいと鎌足の右脇をすり抜けて後ろに立っている。
襟首を掴まれた鎌足が真後ろに引き倒された。
「わっ!」鎌足が叫ぶ。
鎌足の後頭部が床に激突する瞬間、槇草の左掌がふんわりと鎌足の頭を受け止めた。
鎌足には何が起こったのかわからない。
呆然とした顔で槇草を見ていた。
「次は君だ」槇草は元松に言った。
元松は、右手で木剣を持ち右脇に大きく引いて構えた。まるでヤクザの出入りだ。
元松が、ジリジリ迫る。
槇草は相変わらず、ただ立っている。
元松が剣を繰り出そうとする。
槇草が少し前に出る。
元松が剣を引く。
元松がまた打とうとする。
槇草がまた少し前に出る。
また元松が剣を引く。
何度となく同じ動きが繰り返された。
元松が頻りに首を捻っている。
意を決して元松は剣を振り上げた。
槇草がニッと笑う。
元松は剣を振り上げたまま固まった。
槇草はゆっくりと元松に近づいて剣を奪った。
元松はその場に尻餅をつく。
茫然自失とはこのことだろう、元松はぽかんと口を開いたまま動けなかった。
「君は・・・もういいだろう?」槇草は岩崎に言った。
「いやだ、僕もやります!」岩崎は前に進み出た、不自由な右足のせいで躰が大きく揺れる。
岩崎は左手に剣を持ち、利かない右手を軽く添えて槇草に向かっていった。
がむしゃらに剣を振るが全く当たらない。一分程動いたところで、岩崎はへたり込んでしまった。肩で大きく息を吐いている。
「力が入らない分、君の剣が一番生きているよ」槇草は岩崎に言った。
「空手がやりたければ、来週からおいで」槇草は、それだけを言ってさっさと道場を出て行った。
四人は来た時に待ち合わせた公園の芝生に車座になって座った。
「どうだった?」福が訊いた。
「あの人すげーな」鎌足が言った。
「俺は全く動けなかったよ、全てを見透かされている感じだった」元松が腕を組んで呟く。
「僕は何だか躰が軽く感じたよ、気持ち良かった」岩崎が嬉しそうに言った。
「でもあれはどういう意味なのかな?」
「なんのことだ?」
「木剣を持って自由に動いただろう、あれなんの意味があるんだ?」
「ウ〜ン、これは師匠の受け売りなんだけど」福は宙を睨んで平助の言葉を思い出していた。
「師匠って、如水館の館長だろ、槇草さんより強いのか?」元松が訊く。
「ああ、いつも子供扱いされている」
「えっ!あの人が?スッゲー!」
「それでその師匠がなんて言っていたんだ?」鎌足が福に話の先を促した。
「えっと、素人に自由に剣を振らせると三分と保たないんだそうだ。縦を斬って、横を斬って、斜めを斬ったらそれで終わり。動きがパターン化してしまうって」
「まさに今日の俺たちだ」
「それじゃ自由に動いていることにはならないだろう?」
「そうだよなあ」三人は頷く。
「だけど『型』は無限に動けるって。型に嵌まるって不自由そうだけど、本当に自由になりたかったら『型』をやれって」
「『型』なんて役に立つのか?」鎌足が半信半疑で訊いた。
「生きている『型』なら役に立つって師匠が言ってた」
「ふ〜ん、よくわからないなあ?」元松が首を捻る。
「型を本当に身につけるには時間がかかる。手っ取り早く強くなりたいんだったら、他所の道場へ行ったほうがいいな」福が三人を見回した。
「僕はやりたい!」岩崎が叫んだ。
「そうだな、俺もよくは分からないが槇草さんのようになりたいとは思う」鎌足が言った。
「俺もあの不思議な技の正体を知りたいが・・・」
「とにかく一週間考えてくれ、もしやろうと思ったら来週の同じ時間に、ここに集合だ」
福はそれぞれの思いに任せることにした。
次の週、福が公園に行くと岩崎と元松がいた。
「やあ、気持ちは決まったかい?」福が訊いた。
「うん、僕はやることに決めた」岩崎はやる気満々だ。
「俺もやる」元松も言い切った。
「鎌足は来てないな?」福が呟く。
「ああ、奴は迷っていたからな」元松が言った
「最近、学校の近くに空手の道場が出来たんだって」
「そうか、そっちに行ったのかな?」福が訊いた。
「そうかもしれない・・・」
「仕方ない、じゃ、行こうか」
三人は如水館に向かって歩き出した。
「お〜い、待ってくれ〜」鎌足の声がしたので三人は足を止めた。
鎌足が追いついて来た。
「他の道場に行ったのかと思った」福が言った。
「うん、昨日見学に行ったんだけど、ものすごく怖かった」よく見ると鎌足の右目には青痣があった。
「その目どうしたの」岩崎が訊いた。
「稽古を見ていたら、いきなりスパーリングをやらされたんだ」
「誰とやったの?」
「白帯の中学生だったけど、もうボコボコにやられた」
「それでこっちに来たのか?」
「そういうことだ、矢留よろしく頼む」鎌足は福に頭を下げた。
「はは、災難だったな」四人は笑いながら歩き出した。
道場について三人は槇草の前で床に手をついた。
「宜しくおねがいします!」声を揃えた。
「おや、君は・・・鎌足君だったね、その目はどうした?」
鎌足は福達に話した事情をまた説明した。
「そうか、それは災難だったな」
「矢留にも同じ事を言われました」
「それで、うちで良いのかな?」
「はい!絶対に頑張ります」
「三人とも親御さんの許可は貰ったのか?」
「はい!」
「それじゃ、今日から稽古だ」
「稽古着は・・・?」鎌足が訊いた。
「今日はそのままでいい、次の稽古までに揃えておくといい。福、場所を教えてやってくれ」
「はい、わかりました」
「それから、福、手解はお前だ。準備体操が済んだら基本から教えるんだ」
「えっ!俺がですか?」
「もう出来る筈だ、習うより教える方が数倍難しい、心してかかれ!」
「はい!」
こうしてクラスメイト三人が同門になった。