成長
成長
鎌足謙司十六才
九州北部の炭鉱町出身。
中学時代は野球部のピッチャー。性格は温厚だが、負けず嫌いである。
父はサラリーマンで、気性の荒い地元の高校を嫌い謙司を高岡学園に入学させた。
今頃、もっと良く調べるべきだったと後悔しているだろう。
故に、謙司は寮住まいである。
空手を始めて半年ばかり立った頃。彼が商店街を歩いていると向こうから中学生が二人歩いて来た。一人は鎌足が如水館に入門する前に見学に行き、ボコボコにされた道場の門下生だった。
向こうも鎌足に気付いたようで、もう一人に何事か囁いていたが、やがて笑いながら鎌足のところにやって来た。
「やあ、あの時のお兄さん、うちに入門するのはやめたのかい?」
年上に対して舐めた言葉使いだ。鎌足はムッとして中学生を見返した。
「ちょっとやり過ぎたかなって、反省していた所なんだ」
ニヤついた顔のままで中学生が言った。
「何の用だ・・・」
「実はね、向こうにいる友達がうちの道場に入門するかどうか迷っているんだ。お兄さんがあの時みたいに相手をしてくれたら、きっと決心がつくと思うんだけど」
「また、俺をボコボコにしたいのか?」
「そういう訳じゃないんだけど・・少しは手加減するからさ・・・ねっ」
鎌足は、さすがに頭にきた。
「いいだろう、どこでやる?」
「そこの川原でどう?」
「分かった、行こう」
鎌足は、二人の中学生に挟まれた形で、橋の脇から川原に降りて行った。
「橋の下なら誰にも見られないから、お兄さんも恥をかかなくて済むよ」
中学生は、既に勝ったつもりでいる。軽く両手を顔の前に挙げて構えを取った。
鎌足は腰を落として、両拳を正中線上に置いた。
中学生の表情から余裕が消え、いきなり右のハイキックを放って来た。
その瞬間鎌足が真直ぐに踏み込むと、右の直突きが中学生の顎を正確に捉えた。
中学生は、ゆっくりと後ろに倒れて伸びてしまった。
「男子三日会わざれば刮目してみよ・・・だ」
鎌足は、もう一人の中学生の方を向き『お前もやるか?』と目で訊いた。
中学生は、黙って首を左右に振った。
元松三木男十六才。
長崎県の離島出身。
小さい頃から父の漁船に乗っていた為、足腰が強く特にバランス感覚は絶妙で動きも俊敏だ。
その為、学校では”海猿”と呼ばれていた。勉強はあまり得意ではない。
島に高校は無く、入れそうな高校を探して高岡学園に来た。
故に、元松も鎌足と同じ寮住まいだ。
真面目な性格で、言われた事は懸命に実行しようとする。いつだったか、福が蹴りの稽古を指示すると、もういいと言うまでいつまでもやっていた。
元松は、高校を卒業したら警察官になるのだと言った。
『その為にも、武道を身につけていた方が有利だからな』
もう将来のことを考えていのか、と福が訊いたら、『俺は頭が悪いから体力勝負だ』そう言って笑った。
「今度映画に付き合ってくれないか?」
ある日、元松が福に言った。
「いいけど、なんの映画だい?」
「ブルース・リーの燃えよドラゴン」
「ああ、今話題のカンフー映画ね。俺も見て見たかったんだ」
「じゃあ、今度の日曜日はどうだ?」
「分かった、十時に駅で待ち合わせよう」
元松は、十時少し前にやって来た。
電車に乗って中心部にある街まで出て、川沿いにある映画館に入った。
映画は、最初から大迫力だった。主演のブルース・リーはすでに亡くなっているのに、観客は興奮の渦に巻き込まれている。
アクロバチックな技が、次々と出てくる。ダブルヌンチャクにも度肝を抜かれた。
日頃から、派手な技には懐疑的な福も、映画の迫力には圧倒された。
映画館を出て歩きながら、元松が言った。「凄かったねぇ、俺もあんな風になりたい」
元松は、興奮していた。
「うん、俺も興奮したよ」それは正直な気持ちだった。
その時、映画館から中国服を着て髪をブルース・リーの様にカットした若い男が出て来た。
きっと何度もこの映画を観ているに違いない、所作も目付きもすっかりリーになりきっている。
呆然と見ていたら、こちらの視線に気がついたのか男が近付いて来た。
「私に何か用か?」リーのような流し目で男が言った。
「いえ、別に用はありません」
「お望みなら相手になるが?」男は完全に映画の世界に入り込んでいる。
福は笑いをこらえて、「実は、あんまりお兄さんがブルース・リーに似ているので、見とれていました」と言ってみた。
「私はリーではないが、その後を継ぐ者だ」その男は真面目な顔をして言った。
「良かったら、俺の技を見せてやろうか?」
「い、いえ、それは・・・」
「遠慮するな」男は執拗に迫って来る。
「矢留、見てみようぜ、面白そうだ」元松が福の耳元で囁いた。
「アチャー!アチョー!アチャアチャアチャ・・・アチョー!」その男はブルース・リーの様に構え、ブルース・リーの様に絶叫しながら、後ろ回し蹴りや横蹴りを繰り出した。
なんとか形にはなっているが、とんでも無くオーバーアクションだ。
『隙だらけですよ』と言いたくなるのをぐっと我慢して、福は手を叩いた。
「凄い凄い、いや、いいものを見せて頂きました。お兄さんありがとう、では急ぎますのでこれで・・・」
福は、元松の背中を押して歩き始めた。
「ちょっと待て。今日は気分が良い、特別に稽古をつけてやろう」
すっかりその気になった男は、二人を呼び止めた。
「い、いえ、急ぐので・・・」福がそう言って断ろうとした時、元松が口を開いた。
「矢留待て、俺が稽古をつけて貰おう!」
男は、ブルース・リーの様に立って腕を組んだ。そして右手の人差し指を立てチョイチョイと動かした。「さあ何処からでも掛かって来なさい」
元松が構えても男は余裕の表情を崩さなかった。
いきなり元松が横蹴りを放った。
男は受ける間も無く吹っ飛んで、地面に転がって呻いている。
「なんだかシラケちゃったね・・・」元松は、元気なく呟いた。
「そうだな、ドーナツでも食べて帰ろうか・・・」
「そうしよう」
岩崎明は十七才、他の三人が早生まれなので四人の中では最年長だ。
子供の頃に患った病気で右半身が不自由になった。そのため躰も小さく非力である。
妙心館に入門したのも、少しでも強くなりたかったからだ。
明は稽古衣を着けて自宅の裏庭に立った。
軒下を見上げると、ミツバチが巣を作っている。
『僕は僕なりに、稽古の方法を考えるんだ』
明は、箒の柄でミツバチの巣を突いた。怒ったミツバチが、明の周りを飛び始める。
「さあ来い、僕が相手だ!」
明は、自由の利く左の手で箒を振り回す。しかし蜂には一向に当たらない。
『う〜ん、速い!』明は唸った。
ミツバチの数は、どんどん増えていく。目の前に飛び回る蜂を必死で叩くと、一匹の蜂が地に落ちた。
「やった、よし次はどいつだっ!」明は箒を構え直した。
と、一匹の蜂が稽古衣の後ろ襟から中に入り、明の背中を刺した。
「痛ッ!」明が叫ぶ。
それを機に、蜂は次々と明を刺していった。
明は堪らず家の中に飛び込んだ。
結局三箇所ほど刺されていた。
「完敗だ・・・」明が呟いた。
「明、どうしたの?」奥からの母がした。
「裏庭で稽古をしていたら、蜂に刺されたんだ」
「まぁ、何やってるんだろうねこの子は。空手もいいけど程々にね」
母は、蜂に刺されたところに薬を塗ってくれた。
明の母は小学校の教師だ。
身体の不自由な息子が、心配で仕方がない。だから、甘やかして育てたところもある。
空手は、明が初めて自分からやりたいと言った稽古事だ。だからこそ福は責任を感じていた。
福は時々、明の家に行っては一緒に稽古をしている。
玄関の方から、母の声がした。
「明〜、矢留君が来たよ。また一緒に稽古をするんだろ〜」