五日目
五日目
福は旅の遅れを取り戻すため、佐多岬を諦めることにした。
目的のある旅ではない、いつだって変更は可能だ。
諦める事で、得るものだってある。
都城から10号線に乗り換え鹿児島湾の北側を回り、鹿児島駅付近から3号線に乗った。
鹿児島を横断する形で、湯之元から北上を始める。
夏休みはあと何日も残っていない。宿題もほとんど終わっていないのだ。
どこかであと一泊したら、翌日は福岡に帰ろう。
途中のドライブインで昼食をとっただけで、ほとんど休まずに走り続け、四時間ほどで川内に着いた。
昔、父の運転する車で天草に旅行したことがある。
もちろん家族4人、あの時は楽しかった。
あの日渡った五つの橋を、逆のコースで辿ってみようと思い付いた。
別に、時を巻き戻せると思ったわけではないけれど・・・
阿久根から左に曲がり、389号線で蔵の元港に着いた。
そこから牛深港まで、フェリーで四十分の船旅だ。
この旅で初めての船だった。
牛深に着いた頃から、空模様が怪しくなってきた。
福はいつでもとり出せるように、カッパを荷物の一番上に置いた。
走り出してしばらくすると、ぽつりぽつぽつりと雨が降り出した。
まだ大丈夫だろうと多寡を括っていたら、次第に雨足が強くなってきた。
『カッパ着るか・・・』
福は大きな樹の下にバイクを止め、カッパを着て雨の中を走った。
すると今度は陽が差してきた。
『何だよ、せっかくカッパ着たのに』
福は面倒くさくなって、そのまま走ることにした。
すると今度は、カッパの中が蒸れて暑くなってくる。
『う〜たまらん!』
福は、我慢できなくなってカッパを脱いだ。
『もう、降るんじゃないぞ!』
福は、空を見上げて嘯くとまた走り出した。
峠に差し掛かったところで、また雨が降ってきた。
『またかよ!』福はがっかりした。
見ると、峠の頂点を境にして、向こう側が雨に濡れている。
『ここが雨の境界線か?』
仕方なく、せっかく脱いだカッパをまた身に着ける。
『もう、絶対脱がないぞ!』
福はゴーグルに着いた雨を手で拭いながらバイクを走らせる。
峠を降りてしばらくすると、また陽が照ってきた。
「もう、いやだ~」
こんな調子で、カッパを脱ぐと雨が降り、カッパを着ると陽が照った。
福はもうカッパを着ないことに決めた。どっちにしても雨と汗で全身びしょ濡れだ。
破れかぶれで走っていると、また地図にない分岐が現れた。
福は路肩にバイクを止めた。
『あの時と同じだ・・・』
迷っていると、どこからともなくカチガラスが飛んで来た。
「どっちに行けばいい?」福は声に出してカチガラスに訊いた。
カチカチカチ・・・カチガラスが嘴を鳴らし右側の道の上を飛んだ。
福は、迷わず右の道を選んだ。
しばらく走るとまた分岐に出た。
カチガラスは左の道を飛ぶ。
そんな事を何度も繰り返しているうちに、福にも正しい道が見えるようになってきた。
心を静めて見ると、一方の道が溶けた飴のようにグニャリと歪むのが分かる。
はっきりと見える道を選んで行くと、やがて上島に着いた。
『もう大丈夫!』福が空に向かって言うと、いつの間にかカチガラスは消えていた。
雨も上がり気持ちのいい風の中を走った。おかげで濡れた服もすっかり乾いてしまった。
島の北側を走るロザリオラインに乗って松島を目指した。
『あの時のホテルを探そう!』
福は、家族四人で泊まったホテルを旅の最後の目的地にしようと思った。
『多分、このあたりだと思うんだけど・・・』あたりの風景に見覚えがあった。
時刻はすでに午後四時を回っている。
松島橋の手前の海側に、白い瀟洒な建物が見えた。
『あそこだ、間違いない!』
奥松島あじさいホテルは、あの時のままの佇まいを見せていた。
福は、ホテルの駐車場にバイクを止めロビーに入っていった。
正面のフロントに、黒服のホテルマンがいた。
「今日、一泊なんですが部屋は空いていますか?」
福はおずおずと訊ねた。こんな汚い格好のライダーは泊めてくれないかもしれない。
「御一人ですか?」ホテルマンが訊いた。
「はい、そうです・・・」
彼は帳簿を捲りながら答える。
「生憎、シングルとツインの部屋は満員です。ダブルの部屋ならご用意できますが?」
「それって、料金は?」
支配人の提示した料金は、とても福には払えないものだった。
「あの・・・すみません、今日は諦めます」
福は、トボトボと玄関に向かって歩きだした。
「ちょっと待って・・・」
ホテルマンが、福を呼び止めた。
「もうこんな時間です、今からダブルの部屋が埋まることはありません。もし良かったらシングルの料金で提供できますが、いかがですか?」
「えっ!本当ですか」
「ええ、よろしければ」
「ありがとうございます!よろしくお願いします!」
福は、飛び上がって喜びたい衝動を抑えた。
「部屋は二階の216号室、私がご案内いたします」
福は、ホテルマンについてエレベーターで二階へ上がった。
「このお部屋でございます」
福は、扉の数字に見覚えがあった。懐かしい記憶がよみがえる。
「ここは、当ホテルでも最高に眺めの良いお部屋でございますよ・・・では、ごゆっくりお過ごしください」
ホテルマンは福にお辞儀をして戻っていった。
ドアを開けると目の前に海が見える。
「やっぱり、あの時の部屋だ!」
家族で泊まった、思い出の部屋だった。
中に足を踏み入れると、あの時の光景が瞳の奥によみがえった。
父も母も妹の多恵も、みんな楽しそうに笑っている。
きっと、俺たちを一所懸命に育ててくれていたのだ。
父へのわだかまりも、海の彼方に消えて行くようだった。
『帰ったら、もう一度父に会いに行こう』
ベランダに出るとそこには、今しも沈もうとする太陽が見えた。
オレンジ色の帯が、海の上を滑って、福に向かって伸びて来る。
『明日は家に帰ろう・・・』
福には、海岸の松の枝に止まるカチガラスの姿は、もう見えていなかった。
翌朝ラウンジで朝食をとった後、チェックアウトのためフロントに行った。
「ゆっくりおやすみになれましたか?」
昨日のホテルマンが福に訊いた。
「はい、おかげさまで。本当に有難うございました!」
「良い旅を、またお越しくださいませ」
福は、ホテルマンに頭を下げて外へ出た。
今日は快晴、絶好のバイク日和だ。