三日目
三日目
宿を出て、来た道と同じ道を辿って10号線に出た。
『今日は本土最南端の岬、佐多岬まで行こう』
天気は快晴、暑くなりそうだ。
『ちょっとハードだな、あまり寄り道はできないぞ』
延岡から佐多岬まで地図で見ても200キロ以上はある。福は気合を入れてバイクのスロットルを回した。
バイクは快調に走る、バイク屋のオヤジさんが言っていたのは本当だった。
『見かけは悪いが、整備は完璧だ、なにせ俺がやったんだからな・・・』
こんなに快調に走ると、走ること自体が楽しくなってくる。
手段が目的に取って代わる。
10号線は日豊本線と並行して走るほぼまっすぐな道だ。
なんの苦もなく三時間弱で宮崎市に着いた。
「この分なら、夕方までには佐多岬に着きそうだな」
朝早く、高千穂を出てきたのでまだ一時前だ。
ここからは220号でさらに南下することになる。
『ちょっと青島に寄って行こう』
福は中学の修学旅行で青島に行った時の事を思い出した。
『山本が鬼の洗濯岩で本当にハンカチを洗っていたよな。山根さんがそれを見て笑っていたけど、可愛かったな』
そんなことを考えながらニヤニヤしていると青島に着いた。
青島は干潮になると九州と陸続きになる。
しかし、弥生橋を渡れば満潮でも問題はない。橋の両側に奇岩が広がる。
島には青島神社があった。海幸彦山幸彦の神話がある神社だ。
お賽銭を入れ、旅の無事を祈る。
弥生橋を戻りかけると、海から突き出た奇岩の上にカチガラスが止まっていた。
『嫌だなぁ、また何か起きるのか。でも宿のお婆さんは、カチガラスが僕を守ってくれるって言ってたな・・・』
そんな事を考えながら橋を渡り終えた。
再びバイクに跨がり南下を始める。
暫く行くと道が二つに分かれていた。
『あれっ、こんな道地図にあったっけ?・・・ま、いっか、きっとどこかで繋がっているんだろう』
福は一瞬迷ったけれど、幅の広い方の道を行くことにした。
三十分ほど走っただろうか、道は緩やかな登りにかかってくる。広かった道幅もいつの間にか狭くなり、杉木立ちの中を縫うように走っていた。
『変だなぁ、海沿いの道のはずだけど?・・・引き返そうか』
そう思った時左手の海沿いに、白い筋のように走る道路が見えた。
『あっ、きっとあの道だったんだ!』
すぐ先に左に下る林道がある、『きっとこの道を行けば、あの道に出られるぞ!』
福は迷わず林道に入った。
下っているはずなのに、周りの空気が冷たくなってきた。バイクはいつの間にか雑木林の中を走っている。
やがて林は鬱蒼とした森に変わる。しかし海は一向に見えてこなかった。
人の気配どころか、鳥の気配すらしなくなった。
福はバイクを止める事にした。
エンジンを切ると静寂が訪れた。耳にホワイトノイズが騒がしい。
『ここはどこだろう?』福は不安になってきた。
道はまだまだ奥まで続いていて、まるで出口の見えないトンネルのようだ。
どれくらい経っただろう。もう、闇が福の周りを包み始めている。
枯れて真っ白になった巨大な杉の木の上に、眉のように細い月がかかっているが、まるで描き割りのように現実味がない。
その明かりで、かろうじてものの影が浮かんで見える。
行こうか引き返そうかと迷っていると、遠くで微かにエンジン音が聞こえた。耳を澄ましていると、だんだんとその音が近づいてくる。
音が間近に迫った時、突然ハイビームのライトが福の目を射て、大型のバイクが、福の目の前で停止した。
「こんなところで、何をしているんだい?」
フルフェイスのシールドを上げて若い男が福に尋ねた。目が今夜の月のように細い。
バイクはホンダのCB350、キャメルゴールドのタンクの最新型だ。
「道に迷ったみたいなんです、どっちに行けば国道に出られますか?」福はホッとして男に訊いた。
「う〜ん、これから下りるのは危険だな、土地の人でなけりゃ道に迷うよ」
「困ったなぁ・・・」
「君はテントを持っているようだね、僕はこれから彼女の家に行くんだ。途中にキャンプができる場所があるからそこまで案内してあげるよ。明日、明るくなってから下りればいい」
福は、できれば一緒について行きたかったが、まさか彼女の家までついて行くことはできない。
「ありがとうございます、お願いします」
「じゃ、ついておいで」
男は、福がエンジンをかけるのを待って、バイクを発進させた。
福は後ろについて、森の奥へと入って行った。
しばらく走ると、開けた場所に出た。
「ここだよ」男はバイクを止めて、福を振り向いて言った。
「ここは・・・?」
「廃校になった小学校だよ、このグランドなら誰も文句は言わない」
「・・・」
「それじゃ、僕は行くよ、気をつけて・・・」目が意味ありげに笑っている。
男は、赤いテールランプを光らせて闇の中に消えた。
『まいったなぁ』一人残された福はグランドを眺めて呆然と立ち尽くした。
突っ立っていても仕方が無いので、校舎から一番離れた場所にテントを張った。
テントの天井に、懐中電灯を吊るして寝袋に潜り込む。こうなれば、少しでも早く寝て、夜が明けるのを祈るしか無い。
目を瞑って眠ろうとするのだが、こういうときに限って目が冴えてなかなか眠れない。
悶々とした時間が過ぎる。
何かに集中していた方が、少しは気が紛れるに違い無い。
福は、ガバと跳ね起きて、リュックから彫りかけの仏像を取り出した。
サクサクサク、指先に神経を集中する。
サクサクサク・・・肥後の守が軽快に動き出す。
サクサクサク・・サクサクサク、心が、木片に入って行く。
サクサクサク・・・徐々に恐怖心が薄れていった。
どのくらい経っただろう、膝の上の仏像は、もうだいぶ、輪郭を現し始めている。
サクサクサク・・ザッザッザッ
『・・・』
サクサクサク・・・ザッザッザッ
『ん?』
福は、肥後の守を持つ手を止めた。
ザッザッザッザッザッ・・・
テントの外で音がする。
『何の音だ?』
人が大勢で歩くような音だ。
ザッザッザッザッザッザッ・・・
音が次第に大きくなる。
福は、恐る恐るテントの覗き窓から外を覗いた。
「わっ!」
思わず、福は声をあげていた。
そこには、お椀の様な鉄兜を被り先っぽに剣の付いた銃を担いだ兵隊が、二列縦隊で行進していたのだ。
福の声に気付いたのか、一人がこちらをジッと見ている。
その兵隊が躰の向きを変えて、こちらに向かって歩き出した。
と、まるで魚の群れが一斉に向きを変える様に、他の兵隊もこちらを向いた。
いつの間にかテントの周りは、兵隊に囲まれてしまった。
福は金縛りにあった様に動けなくなった。もう、声も出ない。
兵隊は包囲の輪をだんだん縮めてくる。
『もう、だめだ!』福は、覚悟をした。
その時、遠くから、バイクのエンジン音が聞こえてきた。
福は最初、あの男が戻ってきてくれたのかと思った。
だが、エンジンの音が違う、もっと低くて重厚な音だ。
急に、テントの外が明るくなった。
バイクのヘッドライトが、グランドを照らし出す。
みると、兵隊の影が消えていた。
代わりに、バイクに乗った人影が見える。
福は、恐る恐るテントの外に出た。
「あっ!バイク屋の・・・」
その人は、黒づくめの服装に、真っ白なハンチングをかぶっていた。
福は初め、バイク屋のオヤジさんかと思ったのだが、歳が違う。どう見ても二十代の青年なのだ。
「大丈夫かい?林道に下りたあたりから、君の姿が見えなくなったんで探していたんだ」
「えっ、なぜ俺のことを?」福は不思議に思って男に尋ねた。
男は、それには答えず、「ここは戦時中、陸軍の練兵場があったところでね、死んだ兵隊の魂が成仏しきれずに、今も調練を続けているんだ」と言った。
「・・・」
「こんなところに長居は無用だ。さっさとテントを片付けて、俺についてくるがいい」
福は、慌てて荷物をまとめて、シートに括り付けた。
「じゃ、行くよ」
男は、低いエンジン音を轟かせて走り出した。
福は、テールランプを睨みながら、はぐれない様に必死で着いて行く。
まだ後ろから、兵隊が追いかけて来る様な気がした。
「・・・君、君、こんなところで寝ていると風邪をひくよ」
福は、誰かに揺り起こされた。
「えっ、ここは・・どこですか?」福は寝ぼけた眼をこすりながら尋ねた。
「どこって、ここは油津の駅だよ、夜中にバイクで来たのかい?」
よく見ると、若い駅員だった。福は、駅の待合のベンチで寝ていたのだ。
「すみません、すぐに出て行きます」
福は慌てて起き上がる。
「いいよ、いいよ。それより、そこの洗面所で顔でも洗ってきたらどうだい、目がひどく腫れているよ」
駅員は、優しく言って向こうに行ってしまった。
「あれは、夢だったのかなぁ?いや、そんなはずはない、確かな実感がある」
福は、昨夜起こった不思議な出来事を思い出してみる。
荷物の中から、彫りかけの仏像を取り出した。
「ほら、やっぱり、随分と彫れているじゃないか・・」
福はなんとかあの現象を理解しようと努めたが、答えは見つからなかった。
「まっ、いいか。でも、あのバイクどっかで見たことあるよなぁ」
こうして、四日目は油津の駅から始まった。
カチガラスが一羽、駅舎の屋根から福を見下ろしていた事に、気付いた者はいない。