夏休み奇譚
夏休み奇譚
手首の傷も大方癒え、福は夏休みに入るとすぐに原付の免許を取った。
いつか野田翠を後ろに乗せて走りたい、という気持ちもあったのだが、先ずは一人旅の足が欲しかった。
テントと寝袋さえ積んで行けば、交通機関を使うより遥かに安上がりだ。
天岡がバイクに乗っている、また学園祭でバイクの展示をする。
みんなとバイクの話をしているうちに、バイクに乗ってみたくなった。
その為、夏休みの三分の二をアルバイトに費やすことにした。残りの一週間で旅をする。
肉体労働の方がバイト代が高いと言われ、福は瓦屋でバイトをすることにした。
仕事は、新築や葺き替えの現場にトラックで瓦を運ぶ、積み下ろし作業だった。
瓦は、五枚ずつ藁縄で縛ってある。それをバケツリレー式にトラックに積んだり、現場に下したりする。
トラックに乗れるのは三人、福はいつも真ん中で瓦の受け渡しをした。
バケツリレーと言っても直接手渡すわけではない、瓦を放るのである。
最初福は、瓦を一度しっかりと受け止めてから、次の人に放っていた。
これがいけなかった。
瓦の重量を、全部腰で受け止め、さらに腰をひねって投げることになる。
初日、家にたどり着いた時にはもう腰が言う事を聞かなかった。
次の日、痛さを堪えて仕事をしていると職人さんが笑いながら教えてくれた。
「飛んできた瓦の勢いを殺さないように、次へ放るんだ」
福は膝でリズムをとりながら、なるべく勢いを殺さない様に放る工夫をした。
そうすると腰の負担が軽くなった。
調子に乗ってやっていたら、今度は膝にきた。
毎日、躰のどこかが痛む、筋肉がガチガチだ。
こんな調子で一週間が過ぎた頃、急に仕事が楽になった。
躰が効率の良い動きを見つけ出したらしい。
その動きを意識化してみると武術の順体になった。
腰を捻らず浮身をかけて躰ごと方向転換をする。
バイト代を稼ぐつもりが思わぬ副産物を得た。
バイトの期間が終了し、バイト代を貰った福はその足で近くのバイク屋へ行った。
そこは、汚い店の前に中古のバイクを数台並べただけの、町の修理屋だった。
「バイクを見せてください!」福は店の奥に向かって声をかけた。
奥の作業場から出てきたのは、全身真っ黒な油にまみれて、でも、頭には真っ白なハンチングをかぶった鷲鼻のオヤジさんだった。
「原付のバイクが欲しいんです」
「そこに二、三台ある、好きなのを持って行きな」
オヤジさんが指差す方を見ると、薄汚れたバイクが並んでいた。
「どれでも諸経費込みで三万円だ、買い得だぞ」
福は、五万円は覚悟していたから、意外な安さに驚いた。
「見かけは悪いが、整備は完璧だ。なにせ俺がやったんだからな」
オヤジさんは、自信たっぷりに言った。
福は、グレーのタンクに赤い翼のマークの入ったバイクに目を留めた。
「ホンダのCL50、スタートはキック、クラッチはロータリー式だ、素人には扱いやすい」
「これにします」福は、レトロなスタイルが気に入った。
ふと、店の奥に目をやると、一台だけ異彩を放つバイクが目についた。
型は古そうだが、黒と銀の車体がピカピカに光っている。
「あれは?」
「あれか?あれはメグロの650cc、俺の誇りだ」
オヤジさんは福が選んだバイクに目を戻し、「二、三日したら取りにきな、ちゃんと準備しといてやるよ」と、言った。
「お願いします」福は、頭を下げて店を後にした。