波紋
波紋
翌日、学校へ行くとすぐに職員室に呼ばれた。
「事情は警察から聞いた、間違いはないか?」
担任の大久保は、それだけを福に聞いた。
「はい、間違いはありません」
「学園としても警察沙汰になったのだから、何らかの処分を検討してはどうか、という意見も出たのだが、正当防衛が成立しそうだし、今回の処分は見送りになった」
「正当防衛?」
「ああ、相手の男は今、市内の総合病院に入院しているそうだ」
「怪我がひどいのですか?」
「うん、前歯が全部折れていたそうだ」
「・・・」
「警察は、お前が空手をやっているということで、過剰防衛も疑ったらしいが、相手がナイフを持っていた事と、お前がまだ黒帯ではないということで不問になった」
「でも、あの場合手加減なんか出来ませんでした」
「わかっている、学園長からも寛大に対処するようにとお達しがあった」
大久保は、福に軽く頷いて、教室へ戻るように言った。
『悪いのはアイツなのに、なぜ過剰防衛を疑われなくちゃならないんだ』
福は、なんだか納得のいかない気持ちで教室へ戻った。
教室へ戻ると、今度はクラス全員から質問攻めにあった。
「ナイフを持ったヤクザと戦ったのか?」とか、「一撃で倒したそうだな」とか、噂は尾ひれをつけて、どこまでも大きくなりそうだった。
いちいち否定するのに疲れた頃、ぼそりと天岡が訊いた。
「矢留、怖くはなかったか?」
「必死だったから・・・、でも、今思い出すと怖くなるよ」
「だろうな、刃物は人から理性を奪う」
天岡が、無事で良かったな、と言った。
教室の雰囲気が湿っぽくなった時、ひょうきん者の坂本が言った。
「だけど、そんなことを言ったら、母ちゃんたちは毎日理性を失うことになるんじゃないの?」
「ん?そうか、毎日台所で包丁を持つものな、アハハハハハ」天岡が愉快そうに笑う。
皆もつられて笑ったところで、一時限目の国語の教師が入ってきたので、この話はこれでお仕舞いになった。
昼休み、鎌足、元松、岩崎の三人が福の周りに集まった。
「俺たちも、矢留みたいになりたいよな」
鎌足が、元松と岩崎に同意を求める。
「俺、矢留の言う事を、これからもっと真面目に聴くよ」
「矢留君、しばらく稽古は出来ないだろう?その間に僕たちの稽古を見てくれたらありがたいけど・・・」
「いいけど・・・、でも本当は、俺の稽古を良く見ていて欲しいんだ、言葉では伝わらない事がいっぱいあるからね」
「分かった、矢留、早く稽古に復帰してくれよな」
鎌足が、いつになく真剣な顔で言った。
放課後、野田翠が校門の前で待っていた。
「矢留君、大丈夫?」翠は心配そうに訊いた。
「大丈夫だよ」
「でも、痛そう」
「麻酔が切れた時は痛かった、でも今は痛み止めを飲んでいるから」
「そう、学園祭の準備に支障はないの?」
「うん、俺がこんな状態だから、みんなが手伝ってくれる」
「良かった、でも無理はしないでね」
「ありがとう、そうするよ」
「それじゃ、私、ピアノのレッスンがあるから」
翠は、手を上げてバス停に向かって走り出したが、すぐに立ち止まって振り返った。
「矢留君が無事で、本当に良かった!」
翠は、再び駆け出して行った。
家に帰ると、多恵が不安な顔で待っていた。
「お兄ちゃん、お店大丈夫かなぁ?」
「大丈夫だよ、無門先生にお願いしてきたから」
「福、帰ったのかい」
店の方から母の声がした。
母は、ドアから顔だけ出して言った。
「今日、県警から、石原という刑事さんが来たよ、お前無門先生に何か頼んだのかい?」
「うん、刑事さん何か言ってた?」
「あの男だけどさ、近くのスナックが、うちが繁盛しているのに嫉妬して、よこしたんだって」
「それで?」
「あの刑事さんが、ちゃんと話をつけてきたから、もう大丈夫だって。今度、先生にはお礼をしなくちゃね」
「そう・・・」
「さあ、働くぞぉ!」
母は、もうドアを閉めて、店の方に戻ってしまった。
「よし、多恵、晩飯でも食うか?」
福は、妹を促して台所へ向かった。