この島には全裸中年男性が出る
「全裸中年男性になれるのはお前しかいないんだ。頼む!」
「はぁ、そういわれましても」
三歳年上の上司から、“全裸中年男性”になることを半ば強制されているのは、佐藤という男であった。
“全裸中年男性”になれ、と言われているからには、現在は半裸くらいの服装なのかと思いきや、もちろん服を着ているし、中年男性と呼ばれるには佐藤はいささか若すぎる。
この佐藤、去年までは若手の有望株であった。今でも有望株なのかもしれないが、本社ごと地方に移転された今では、有望も何もあったものではない。
社会のパラダイムシフトに合わせて、佐藤が務める企業は、軍艦巻き島へ本社移転することになった。
本社勤務のうち、引っ越すことが難しい者は、所属はそのままにテレワークとなる。
単身赴任が可能な者、社畜、独身貴族、社畜、浮気がバレて家庭内に居場所がない愚か者、社畜、新入社員、社畜、そして社畜が総勢二百名、島流しが如く、軍艦巻き島に送り込まれた。
佐藤はどれか、といえば、独身貴族であるが、佐藤をあらわすのに最もふさわしい呼び方は、凋落した哀れなピエロである。
佐藤は、人格こそ良いと評されることはないが、若く、顔も良く、大学も有名どころで、女性の扱いが上手かったことから、それなりにモテた。
社会人になってからは、大学時代から付き合っている彼女と添い遂げるつもりで女遊びをすることもなく一途でいたのだが、本社移転により、運命が変わった。
彼女は軍艦巻き島などという田舎には住みたくない、と言い張った。
田舎でも暮らしていけるだろうと考えていた佐藤とは、音楽性の違いが発覚したのであった。
彼女はポップで流行を追うことを愛していた。
佐藤は冒険心に欠けているもののロックを好んだ。佐藤はカントリーミュージックも愛せるし、EDMだって聞くし、クラシックも聞くし、ホワイトノイズだって音楽だと思える質であった。
そういう音楽性の違いにより、男女関係が解散する。よくある話であった。
軍艦巻き島は、橋を渡れば都会と呼べる街に行ける。
とはいえ、電荷の名を持つスーパーまで車で二時間かかるので、田舎であった。「電荷に行くのも遠すぎる。無理」というのが、彼女の最後の言葉であったことは、想像に難くない。
さて、この軍艦巻き島、田舎であるがゆえに、古くから伝わる妙な風習が残っている。
佐藤を含めた転勤組は、社宅としてあてがわれた平屋に住むことになった。
近所との付き合いも大切だからと、町内会に顔を出したが運の尽きである。
理解しがたい風習を目の当たりにすることになった。
理解しがたいと言っても、牛の首を崇め奉るだとか、先祖の霊にとりつかれたまま変な歌と踊りを披露するだとか、そういった類のものではない。
ただ単に、町内会の役職に、耳慣れないものがあるというだけであった。
町内会では、町内会長、副会長、書記、全裸中年男性、という四つの役職を持ち回りで担当している。
現町内会長から、笑顔で説明を受けた佐藤たちは、自分たちの中から、全裸中年男性を決めてほしい、と言われ、役職の押し付け合いになった。
得体の知れない謎の役職であるし、庶務あたりのことを方言でそう呼んでいるとしても、町内会の仕事を引っ越してすぐに受けることは避けたいだろう。
新人に町内会の仕事をさせるわけにはいかず、既婚者は全裸中年男性という響きの役職につくことに難色を示した。
独身であり、全裸中年男性という言葉からは程遠い容姿である佐藤が適任だろうと、佐藤を除いた全員が心を一つにした。
彼女に振られた傷心もあったのだろう。
佐藤は全裸中年男性の仕事を受けることにした。
全裸中年男性は、持ち回りの巫覡のようなものである。
年に一回ある祭りで、特別な衣装を着て、というか、その名の通り何も着ないで、神聖な場所でお清めをする役職である。
祭壇のような場所で、朝から酒を飲みながら、全裸で過ごし、終わったら服を着て家に帰る。
住人たちは祭壇に近寄らないよう気を付けているようで、姿を見るのは酒を持ってくる町内会長くらいのものである。
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祭りの日、お役目を果たすべく、はせ参じた佐藤に、町内会長は、服を入れるカゴと瓶ビールを数本持ってきた。
「全裸中年男性の仕事は、ここで日が暮れるまで全裸でいることだ。ここの神様は全裸が好きらしくてな。服を着ないことで気が休まらないなら、ビールでも飲んで気を紛らわせてくれ」
それから町内会長は、服と福をかけたダジャレのような風習であることとか、娘が反抗期に入ったことだとか、人の良さそうな笑顔で世間話をしてから、去っていった。
佐藤は、服を丁寧に折りたたむ。カゴに入れ、正座をしながら、しばらく目をつむっていた。
昼頃からは、会社の同僚や上司が、たまに祭壇まで来て、囃し立てた。
「本当に全裸になるのか。やっぱ佐藤にしかできないわ」
「これ持ち回りなんすよね。俺もそのうちやるのかぁ。やりたくねぇなぁ」
「回ってきたらダイエットしないとな」
佐藤は適度に流しつつ、ビールを飲み交わして、日が暮れるのを待った。
同僚たちも飽きたのか、午後のおやつ時には見物人がゼロになった。
暇になった佐藤は祭壇の周りを観察して時間をつぶすことにした。
小山の頂上、開けた場所の中央に三メートル×五メートルほどの木でできたベッドのようなものがあり、佐藤はその上に一日中いたのであった。一応きれいなシーツが上にかぶせてあるので、全裸で寝転がっても汚れることはない。
奥には達筆すぎて読めない何らかの神様の名を書いた石碑が、でんとそびえている。
神聖な場所だからか周りには他にほとんど何も置かれておらず、祭壇を作る際に金を出したであろう、地元の住人の名が掘られた石の柵が周りを囲んでいるくらいである。
やることもないので、佐藤は名前を読んでみた。
「山本ゲン、田中商店、漁師組合、南家、秘密結社・異常独身男性、山本トメ、松村太郎、……」
一通り読み終えた佐藤は、することもなくなり、ビールも尽きたので、カゴに入った服を眺めて、あと少しか、とつぶやいて、そのまま横になって目をつむった。
酔ってさえいなければ、もしくは、もう少し注意力があれば、佐藤はこの後の事態を引き起こさなかったかもしれない。
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目を覚ました佐藤が見たのは、夕日に照らされた空っぽのカゴと、困った顔の町内会長であった。
カゴの中身はどうしたのか、という目線を送る佐藤に対し、町内会長は言った。
「儂が来た時にはカゴは空だったよ。異常独身男性のやつらだろうね」
「なんですって?」
「秘密結社・異常独身男性さ。全裸中年男性の儀式は、家に帰るまで続くと主張する、強硬派だ」
「つまり、全裸で家に帰れということですか」
「仕方ないさね。どうせほとんど人もいないんだ。こうなったら全裸で帰っておくれ」
田舎ゆえに服屋は閉まっているし、町内会長の家は佐藤よりも遠い。
祭りの日に他人の家を訪問してはいけないという決まりがあることも後出しで教わってしまった。町内会長に誰かから服を借りてくるよう頼むこともできないということだ。
若干嘘くさいものを感じながらも、佐藤には服を手に入れる算段がつかず、混乱が進んだ。
町内会長も秘密結社・異常独身男性に属しているという可能性を考えた佐藤であったが、真偽いかんによらず、全裸を強いられることには違いないため、町内会長の所属については考えるのをやめた。
祭壇から自宅までは五キロほどである。
会社の知り合いならともかく、地元住人に出会うのは気まずい。
地元住人以外に出会ったら通報すらされることだろう。
佐藤二十八歳、人生の中でもトップクラスのピンチであった。
日が暮れてからなら、田舎で暗いから、と己に言い聞かせながら佐藤は走っては、こそこそと隠れて周りの様子を伺いつつ、長い帰路についた。
草むらから飛び出てくるウシガエルや、野良猫におどろきつつも、人の姿を見かけることなく、進んでいく。
慣れてくると案外解放感を感じるようで、佐藤の表情は徐々に明るくなっていくのだが、それを見る者はいない。
メロスの気持ちを理解しながら、佐藤は駆ける。
「この解放感を伝えることが、秘密結社・異常独身男性の真の目的だったのではないか?」
満足げな佐藤は、平屋までたどり着いた。
佐藤の家は手前から三つ目である。
佐藤は油断していた。
一番手前のドアが開く。ガラリ。
「ぎゃっ。お、お父さん! 変態が! 変態が出た!」
既婚の高橋さんの家であった。単身赴任なのだが、祭りということもあり、高校生の娘が、旅行で来たということを、佐藤も聞いていた。
「何っ、待ってろ、今とっちめてやるか……ら……?」
佐藤は駆け出した。
顔面蒼白であった。
事情を理解したらしい高橋さんには通報はされなかったようだが、尊厳を失った佐藤は、しばらくは独身を貫いたという。
その代わりと言っては何だが、仕事に打ち込んだ佐藤は出世し、歴代最速で役員まで上り詰めたという。
全裸中年男性を務めたことにより、服を失い、福を得たのだと、飲み会の席で度々口にした。
親父ギャグのセンスは、すっかり中年男性である。
この島には全裸中年男性という役職がある。
全裸中年男性に選ばれた時には、秘密結社・異常独身男性に気を付けてもらいたい。
あなたを真の全裸中年男性にしようと虎視眈々と狙っているかもしれないのだ。
(了)