7.ジェラルド
翌朝。
よく眠っている子どもを残して、わたしは買い物に出た。あの子がうちで生活するには色々と買いたさなければならないからだ。
その中で一番多く買い込んだのは、衣類だった。わたしはやはり浮かれているのかもしれない。
帰宅してそっと寝室を伺うと、子どもは既に起きていた。
背中を丸めるようにして、ベッドの上に座っている。わたしの立てた物音に気付いたのか、勢いよく振り返ってきた。
「おはよう。よく眠れた?」
その顔には戸惑いの色が強い。
昨日はほとんど意識がない状態だったから、わたしの事も覚えていないのかもしれない。
わたしは荷物を持ったまま、子どもに近付いた。眉を下げてはいるが、警戒はされていないと思う。……たぶん。
「わたしはアヤオ。昨日一緒にいたんだけど、覚えてる?」
子どもは小さく頷いた。良かった、覚えてはいてくれた。
「君の名前は?」
子どもが口を開くも、言葉が出てこない。掠れたような吐息混じりの声が漏れるばかりだ。子どももそんな自分に動揺しているのか、喉を両手で押さえている。
「傷は全部癒えているから、喉になにか問題があるわけではないと思うんだけど……。ああ、もしかしたら君の火傷と関係あるのかな。無理しなくていいよ」
わたしはサイドテーブルからメモ帳とペンを取って、彼に渡した。それを素直に受けとると、彼は細い線で字を紡いでいく。
【ジェラルド】
「ジェラルド。君の名前だね」
【ラル】
ラル。
これは愛称だろうか。
「ラルって呼んでいいの?」
問いかけると頷いてくれる。そんなやり取りが何だか嬉しくて、わたしは顔を綻ばせていた。
「よろしくね、ラル」
わたしの言葉に頷いたラルは、またペンを走らせていく。
【助けてくれてありがとう】
「どういたしまして。それで、ええと……ラルがどこから来たのかとか、色々聞きたい事もあるんだけど、まずはご飯にしようか。お粥を作ってあるの」
ご飯という言葉に、ラルが目を瞬かせる。
それから泣きそうに顔を歪めたものだから、わたしまでついつい泣いてしまいそうになるほどだ。わたしはそれを誤魔化すように、ラルのくすんだ赤髪を撫でてから立ち上がった。
トレイに載せているのは、お粥というよりも重湯。
ラルの様子から、胃腸に優しいものにした方がいいと思ったのだ。もし他に食べられるようなら、いくらでも準備をするつもりでもいる。
それからお水とお茶。どちらも常温で、好きな方を飲んで貰おうと思って。
ベッドに座るラルの膝に、トレイを載せる。
わたしもベッドの縁に座って、トレイが傾かないように手で押さえていた。
「自分で食べられそう?」
ラルは目を輝かせながら、頷いた。
震える手でスプーンを持つと、重湯を掬って口に運ぶ。飲み込む時には咳き込みそうになっていたものの、水をゆっくりと飲む事で落ち着いたようだ。
もう一匙、更にもう一匙。
ラルはゆっくりと、重湯を口に運んでいく。その口元が嬉しそうに綻んでいて、わたしはもう泣いてしまいたくなっていた。
どれだけ辛い思いをしていたのか。同情しない方が無理な話だ。
ラルは器の半分ほどを食べたところで、スプーンを置いた。先程までよりもしっかりした手つきでコップを持つと、お水を飲み干して息をつく。
「良かった、食べられて」
【美味しかった。ありがとう。残してごめんなさい】
「ううん、食べられるだけ食べてくれて嬉しい。少しずつ、食べる量を増やしていこうね」
書く文字もしっかりと線が太くなっている。
それに安心したわたしは、トレイをサイドテーブルに置いてから、ラルの両脇に手を差し込んで抱き上げた。うん、軽い。小一の弟よりも背が大きいのにだいぶ軽い。
「さて、寝かせてあげたいんだけど……お風呂に入ろう。それから髪も切ってさっぱりしよう」
わたしに抱き上げられたラルは困ったように眉を下げている。両手をわたしの肩に置いて降りようとしているようだけれど、そんな力があるわけもなく。
抵抗も気にせずにわたしはラルを浴室まで運んでいった。弟が幼稚園児の時に、お風呂嫌! と逃げ回っていたのを捕獲した事を思えば、こんなの抵抗にも入らないよね。
このアパートは大家さんが日本人な事もあって、まるっきり日本のアパートと同じ作りをしている。浴室にある浴槽とシャワー設備に、本当にここは異世界か? と思うくらいだけれど、埋め込まれた魔石を見るとやっぱり日本じゃないんだなぁと実感する。
服を脱がすと更にラルの抵抗が強まった。まぁそれも仕方ないよね、出会って二日の女に全裸にされるとか、いくらラルが子どもでも嫌だよね。
わたしはラルにタオルを渡して腰に巻いてもらうと、髪と背中だけを洗ってあげた。髪は何度も洗って、ようやく指が通るくらいになった。骨の浮き出た背中も泡まみれにしてから、あとはラルに任せて浴室を後にした。
浴室続きの洗面所に着替えを置いておく。
ラルがお風呂から上がるまでに洗濯もしちゃおう。
わたしはベッドからシーツを剥がすと、洗濯物をまとめて『浄化機』に突っ込んだ。
これは洗濯機……とは違うな。
洗濯機くらいの大きさの箱に、汚れ物をいれて蓋をする。魔導回路のスイッチを押すと浄化魔法がかかって表面の汚れを落としてくれるという、わたしにとっては物凄く画期的な機械なのだ。この世界では当たり前のものらしくて、わたしの衝撃はあまり理解してもらえなかったけれど。
元々この世界に暮らす人からしたら『何が珍しいんだ?』って不思議らしいし、別世界からの転移者からしたら『最初はそうだよね』って生温かい目で見られてしまう。
洗濯機より楽じゃん。
綺麗になったシーツを、またベッドにかける。他にも浄化機にかけていたタオルを畳んでしまったり、服をクローゼットにしまったりしているとラルが洗面所から顔を覗かせた。
「さっぱりしたねぇ。気持ち良かった?」
大きく頷くラルは、先程までよりも表情が明るい。
わたしの用意したTシャツと長ズボンもサイズが合っているようだ。わたしがうんうんと頷いていると、ラルが書く仕草をした。
何かを伝えたいのだと、紙とペンを渡すと大きな文字が書かれていく。
【ありがとう】
嬉しそうに笑うラルにつられるように、わたしも笑った。
汚れも落ちて露になった鮮やかな赤髪をわしゃわしゃと撫で乱すと、ラルの笑みが更に深まった。