52.神殿前にて
今日も朝から雪が降っている。
自室で身支度を整えながら、わたしはちらりと外を眺めた。四角い窓の向こうは太陽が隠れる曇り空。石畳には積もらないけれど、きっと芝生は真っ白になっているだろう程に、はらりはらりと雪が落ちてくる。
緩く巻いた髪を高い位置でひとつに結ぶ。
いつもより念入りに施した化粧の仕上げに、口紅を引いた。
タートルネックの黒セーター、黒のショートパンツ、足元はタイツにロングブーツ。太いベルトにマジックバッグと短剣がぶらさがっている事を確認して、フードにファーのついたコートを羽織った。
黒革の手袋をして部屋を出ると、リビングには既にラルが待っていた。
長い赤髪をうなじでひとつにまとめたラルは、わたしににっこりと微笑みかける。
ラルはいつものパーカーにモッズコート。綾織りのズボンにごつめのブーツでいつもとほとんど変わらない。お揃いの手袋をちょうどつけているところだった。
「行こうか、アヤオ」
「うん」
差し出された手に、自分の手を重ねる。力強いその手に安堵して、やっぱり胸が苦しくなった。
冒険者ギルドで、ギルドマスターから直々に任務を告げられたわたし達――わたしとラルと、『クオーツ』の面々――は、ギルドマスターと共にデルメルン大森林へと転移した。
独特の浮遊感に眩暈がしたと思ったら、もう大森林の入口だ。ジェットコースターに乗った後みたいにくらくらしているわたしの背を、ラルが支えてくれていた。
「国からの一団は後々合流する事になっているわ。私と『クオーツ』はここで待機。お前達が負けるような事があれば乱入するけれど、そうはならねーわね?」
「はい」
「ジェラルド、お前が止められなければ弟は災厄となる。兄として、族長としての役目をしっかりと務めるように」
「分かっています」
ラルの返事を受けて艶然と微笑むギルドマスターは、ほうきに横座りしてふわりふわりと浮いている。お伽噺の魔女のようなその姿がとてもよく似合っているから不思議だ。
「魔女みたい」
「みたいじゃなくて、本物の魔女なんだよ。このロリババア……がはっ!」
わたしの呟きに反応したライノに、ほうきに乗ったままでマスターが体当たりをする。ほうきの柄の先っぽがライノのみぞおちに入ったようだ。……というかライノもこりないな。
「……あの、ライノがよく言う、バ……なんとかって、何でですか?」
わたしは隣で笑っているシャーリーさんに、こそこそっと問いかけた。声を潜めて、はっきりとは言葉にしないように濁しても、シャーリーさんには伝わったようだ。
「……あの人、あの見た目でもう何百年も生きて――」
「シャーリー」
「あたしは何も言ってません!」
わたしと同じように小声だったのに、マスターにはしっかりと聞こえていたようだ。にっこりと笑いながら名前を呼ぶだけなのに、吹雪の中にでもいるかのように周囲の温度が急激に下がっていく。
「アヤオにも言ったわよね? 私は、見た目通りの……?」
「可愛い女の子です!」
ぴっと姿勢を正したわたしは、大きな声で言葉を繋げる。満足そうに頷くマスターは、笑っているのに目が怖い。マスターに年齢の話はしていけない。そう心に刻み込んだ。
「アヤオ、ジェラルド。気を付けてな」
「ありがとうございます」
メイナードさんがフルフェイスの兜の下から声を掛けてくれる。気遣うようなその様子に、わたしとラルは大きく頷いた。
「じゃあ、行ってきます!」
皆に大きく手を振って、わたしとラルは大森林へと足を踏み入れた。目的地は森の中に眠る神殿。シルヴィスはきっと来ているはずだ。
ひりつくような殺気を感じているのか、それとも森の入口で待機しているギルドマスターの圧倒的な存在感のせいなのか。森の奥へ足を進めても、魔獣や動物達が姿を現す事はなかった。この森に暮らす生物が息をひそめながらこちらを窺っている、そんな異様な雰囲気に包まれていた。
「今日はわたし達が神殿の確認に向かうって、シルヴィスの耳に届くように色んなところでこっそり流して貰ったわけだけど……シルヴィスは、ラルがぺルレアルの街にいるって知っていたって事だよね」
「うん、そうなるね」
「どうしてシルヴィスは、街を襲わなかったんだろう」
「リスクが高すぎるからだと思うよ」
陽の当たらない大木の下、凍った草の上を歩くと、足元でぱきりと音がする。見上げた木の枝には薄く雪が積もっていて、風に枝葉が揺れる度にきらきらと輝きながら落ちてきていた。
「街には守護団もいるし、ギルドマスターも冒険者達も沢山いるからね。奇襲ならともかく、既に対応されていては攻略するのも難しいと分かっているんだ。シルヴィスがいま最優先しているのはオレを殺すことで……あんまり言葉にしたくないけど、アヤオを奪う事も目的にしてると思う」
「ええと……あれでしょ、あの苗床発言」
わたしの言葉にラルは苦い表情をしている。草に隠れていた木の根に躓いてしまうけれど、ラルが腕を取って支えてくれた。そのまま手を繋いで、わたし達は更に奥へと進んでいく。
「そんな事には絶対させないから」
力強い言葉に、本当に大丈夫だと思えるから不思議だ。
それにしても……わたしよりも魔力の高い人種の女の人なんて、沢山いるんだけどな。それはやっぱり兄の傍にいる女っていうだけで、そういう対象に見られているのか。そうだとしたら随分と歪んでいるけれど……考えるだけ無駄かもしれない。
冷たい風が頬を撫でる。吐いた息が白く上っていく。
急に場所が開けた先、目の前には崖がそびえている。そこには神殿の入口があって、薄紫色をした壁に塞がれている。入口だけが露になって、建物自体は切り立った崖の中にあるようだ。
そのぽっかりと空いた場所の真ん中、崖を背にしてシルヴィスが待っていた。
赤い髪、青い瞳。ラルと同じ色彩でよく似ているはずなのに纏う雰囲気は全く異なる。
わたし達の姿を見たシルヴィスの口が、酷薄に歪んだ。