5.身元の分からない子ども
タパスさんの腕に抱かれている子どもは、ぐったりとしていて動かない。
その体は骨と皮だけで、痩せこけるなんてものではなかった。肩あたりまでの赤髪は適当に切られたのか不揃いで、顔には大きな火傷の痕。暴行されたのか腕も足も黒く変色してしまっている。
薄く開いた瞳は昏く濁った青色だった。
「アヤオ、回復できるか」
「もちろんです」
掛けられた声に我に返ったわたしは、タパスさんが床に下ろした子どもの側に膝をついた。助けたいと願いながら両手を翳すと、精霊がわたしの手に両手を添えるのが見えた。
「翠の風 蒼の風 舞う風重ねて深きを織らん 織舞治癒」
わたしの使える回復魔法の中で、一番効力の高いものだ。
対象者は一人に限られるけれど、傷を治すのはもちろん、体力も大幅に戻す事が出来る。わたしは魔力の受け皿が少ないので、これは一日に一回しか使えないのだけど。
翠と蒼の糸が精霊の掌から紡がれる。それはあっという間に二色のグラデーションが鮮やかなベールとなって、子どもをそっと覆い隠した。少しの時間が経ってそのベールが消えた時には、子どもの呼吸は落ち着いているように見えた。
変色していた傷も綺麗に治っているけれど……火傷の痕は消えなかった。
「……火傷痕は彼の心の傷とリンクしているのかもしれん。気に病むでないぞ。見事な回復術だった」
部隊長さんが、優しい声で言葉を掛けてくれる。
わたしは何と言っていいか分からずに、ただ会釈だけを返した。
「タパス殿、ご苦労だったな」
「任務を果たしただけだ」
「地下に居たのはこの子どもだけか?」
「ああ。あとは……全員死んでいた。身元の確認が出来るかも怪しいな」
「なんと……」
タパスさんの言葉に、部隊長さんは天を仰いだ。タパスさんの顔もひどく険しい。
そんな場所で、この子どもは過ごしていたのか。同情せずにはいられないし、可哀想だと思う。それが傲りだったとしても。
わたしは子どもの手をそっと握った。細くて冷たい手に、悲しささえ感じてしまう。
不意に、子どもが手を握り返してきた。顔を見ると、その昏い瞳からは涙が零れていた。
声を掛けようと口を開くも、それは部隊長さんの声で遮られた。
「アヤオ殿、その子どもの身元を照会する。少し離れて貰っていいだろうか」
「あ、はい。すみません」
わたしは子どもの手をぎゅっと一度強く握ってから、その手を離した。わたしの手よりも冷たい感触が、指先にまで残っているようだ。
その場を離れたわたしは、壁際へと移動した。タパスさんもわたしの隣に来ているが、何も話しかけないでいてくれる。敢えてそうしているのだろうと、その気遣いが有り難くて甘える事にした。
部屋を見回すと、救援部隊の人達が魔導板を使って身元を確認していた。この国では生まれた時に【命波】というもので身元を登録する事が義務付けられている。【命波】とは魔力とは異なり、『生命』そのもの。生命の波動は一人一人異なっていて、それを偽る事は出来ない……とアカデミーで習ったような。
もちろんわたしも、転移してきてすぐに【命波】を登録している。
「……この子ども、【命波】が登録されていないな」
部隊長さんの声が固くなる。
あの子どもはどうなるのだろう。家に帰れないのか。いや、それよりも……義務である登録をしない家とは……。
わたしが内心で動揺していると、タパスさんが部隊長さんへと近付いた。なんとなくわたしも後をついていく。
「……この子どもは恐らく亜人だ」
「お前の嗅覚がそう言っているのか?」
「衰弱が激しくて、はっきりとは読み取れんがな」
亜人。
タパスさんのような獣人でもなく、わたしのような人間でもない。
人間に似ているが、人間にはない特殊な能力や身体的な特徴を持つ種族の事だ。冒険者には亜人の人も存在するので、わたしは何人か見た事もある。
亜人はその種族ごとに集落を作る。
王国内に居ようとその管轄下にはなく、友好を前提に独立した権限が与えられているとアカデミーで習った覚えがある。それだけ、亜人の能力は強大なのだと。
この子どもが亜人なら、【命波】の登録がされていないのも納得出来る。
「ふむ、しかしそれだと困ったな。身元の照会が出来ぬとなれば、この者が何故奴隷になったか、その履歴を辿るのも難しい」
「あ、あの……!」
魔導板を手に困った様子を見せる部隊長さんに、思わずわたしは声をかけていた。
部隊長さんとタパスさん、二人の視線がわたしに集まる。屈強な二人にじっと見られて、少し居心地が悪いけれど、わたしは顔の横に手を上げた。
「その子、わたしが面倒を見てはだめですか?」
「アヤオ、同情しているなら――」
「同情なんですけど、放っておけないというか……だめですかね」
「アヤオ殿なら身元の引き受け人に申し分はないが、君がそこまでする事はないだろう」
タパスさんも、部隊長さんもわたしに言い聞かせるようだった。
わたしがそこまでする事はない。確かにそれはそうなのだろう。初めて会った、奴隷の子ども。この子がどんな人物なのかも分からないし、もしかしたら凄く酷い子かもしれない。でも、わたしは……あの昏い瞳から流れた涙を、そのままにはしておけなかったのだ。
「とりあえず、回復して事情を聞けるようになるまででも」
「……ギルドには子細報告するように」
「おい、タパス殿」
「アヤオが決めた事だ。こいつは決めたらそれを曲げない」
「いや、そんなに頑なな女ではないつもりですが……」
タパスさんの中で、わたしはどういう評価をされているんだろう。ちょっと詳しく聞きたい気持ちもするが、タパスさんが笑うのを見て、まぁいいかと流してしまった。
部隊長さんはまだ納得していないようだが、冒険者ギルドのサブマスターでもあり、優秀な冒険者でもあったタパスさんに一任してくれるようだ。
わたしは子どもの側に膝をつくと、また手をぎゅっと握った。相変わらず濁った青色の瞳には、覗きこむわたしが映り込んでいる。
「わたしはアヤオ。うちで元気になろうね」
話しかけた言葉に、返事はない。それでもわたしが握る手に、少しだけ力が籠った気がする。
この子が元気になれますように。家に帰る事ができますように。
伝わる温もりに、そう願った。
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