36.おいしいごはん
ぺルレアルの街に戻って、わたし達はいつもと変わらない生活を送っていた。
冬籠りの為に薬草類を採取したり、時々現れる魔獣を討伐してはそれで報酬を稼いだり。
秋もすっかりと深まって、北の山ではすでに雪が降っているらしい。王都付近でも毎朝のように霜が降りているとか、顔馴染みである屋台の店主が話していた。最近はティラミスの他に『チャンルチャンル』というスイーツも売り始めている。
これも異界からのお菓子で、牛乳粥にカラフルなお団子と生姜を入れたものだけど……聞けばタパスさんの世界では一般的なスイーツなんだそうな。色んな世界のものを取り入れる、この世界の柔軟さが好きになってきているかもしれない。
「うぅん……」
思わず漏れてしまった声は、ラルにも聞こえていたようだ。
わたしの隣を歩くラルが、不思議そうに首を傾げている。
「やっぱりチャンルチャンル食べたかったの?」
「気にはなるけど、牛乳と生姜ってところで、ちょっと怖じ気づいてる」
「タパスさんは嬉しそうだったねぇ」
「やっぱり自分の世界のものがあると嬉しいよね」
今日もギルドで採取したものや、倒した魔獣の買い取りをしてもらったのだけど。カウンターの奥でタパスさんが珍しくおやつを食べていたのだ。それがチャンルチャンル。
いつもは鋭い隻眼が細められて、嬉しそうにスプーンを口に運んでいた。
「じゃあ別の悩みごと?」
「別なような似たような……夜ごはんは何を食べる?」
空腹を訴えるように鳴ったお腹を両手でおさえながら、わたしは笑った。今日はおやつも食べないでお仕事に励んだから、すごくお腹が減ってしまっているのだ。
「オレが作るよ、と言いたいけど……今すぐ食べたいんだね?」
「食べたいのです。ラルもお腹空いたでしょ?」
「空いたねぇ。食べてく?」
「食べてこー」
軽い調子で外食が決まる。
おうちごはんも好きだけど、外食も楽しくて大好きだ。この世界は色んな料理が食べられるから飽きないっていうのもある。
「さて、それじゃ何を食べる?」
「あそこにしようよ。多世界料理屋さん」
「いいね」
この世界だけでなく、様々な国の料理を提供してくれる大衆食堂。最近のわたしのお気に入りでもある。
そうと決まれば早速向かおう。意気揚々と一歩を踏み出した時、強い風にわたしの髪が乱される。
「寒っ!」
「もう秋も終わりだねぇ」
笑いながらラルがわたしの手を握る。温かなその手を揺らしながら、陽の落ちた街の中をわたし達は歩いていった。
お野菜とチーズが挽き肉で巻かれて、更にベーコンで包んで焼き上げたミートロール。様々な野菜をからっと揚げたチップス。トマトと魚介の真っ赤なスープ。
香草たっぷりの色鮮やかな生春巻。綺麗に並んだ薄切りレモンの上に乗せられたパリパリのチキンソテーには、更にレモンを絞って食べるらしい。
わたしにはオレンジジュース、ラルの前にはエール。
テーブルいっぱいに並べられた様々な料理に、嬉しくなって笑みが零れた。それぞれちゃんとその世界での名前があるんだけど、覚えていられなかったりする。
「じゃあ今日もお疲れさまでした」
「お疲れさまでした」
グラスを掲げてからジュースを飲む。程好い酸味と甘さがとても美味しい。ラルは最近ではエールを好んで飲んでいる。未成年ではないと知ってはいたけれど……いや、十五で成人となるこの世界ではわたしだって既に大人だ。
「……美味しい?」
グラスに満たされた琥珀色。蓋をしているような細かな泡。よく両親が飲んでいたビールにそっくりだ。
「うん。アヤオも飲む?」
「前にちょこっと飲んだ事があるんだけど、苦くて……」
「そのうち美味しく感じるようになるよ」
グラスを傾けながら飲むラルは、苦さを感じていないようだった。それともその苦さが美味しいのか。エールを飲んでいるだけで大人っぽく見えるのは不思議だと思う。
「さて、それではいただきます」
「いただきます」
二人で手を合わせて食事を始める。
ナイフとフォークを使ってミートロールを一口大に切ると、チーズがびよんと長く伸びる。巻き取るようにして口に運ぶと、うん、美味しい。ベーコンの塩気もちょうどよくて、お肉を食べてるって満足感がすごい。
ラルはチキンソテーを切り分けて、口に運んでいる。美味しいと頷いているけれど、ふと思ってしまった事がある。それを口にしていいのか迷っていると、ラルが不思議そうに目を瞬いた。
「どうかした?」
「……前にも食べてたから、気にしていないのは分かっているんだけど」
どう聞いたものかと言い淀むわたしに、ラルは苦笑いをしている。
「鶏肉を食べてること?」
そうです。
言わずともどうして分かったのか。
「顔に出てる」
フォークを置いて両手で頬に触れると、可笑しそうにラルが笑った。
「ハルピュグルの力が使えるっていうだけで、鳥そのものじゃないからねぇ。鶏肉を食べる事に抵抗はないよ」
「それなら良かった。今までも鶏肉料理を出していたから、本当は嫌だったんじゃないかと思って」
「嫌だったらちゃんと伝えているから安心して」
「これからも嫌な事は遠慮しないで言わないと、ダメだからね」
「アヤオもね」
わたしは大きくうなずいて、食事を再開する。揚げられた野菜がとてもカリカリしていて美味しいんだけれど、これは何だろう、蓮根かな……。
わたしの知っている蓮根の穴の開き方ではないんだけれど、味は蓮根だ。
「……なんかいいよね」
「何が?」
蓮根が?
食べたかったのかと、蓮根をひとつお箸でつまんでラルに差し出す。それに口を寄せてぱくりと一口で食べてしまったラルは、可笑しそうに肩を揺らした。
「いいよねってのは、『これからも』って言ってくれるアヤオのさりげなさだったんだけど。ああ、でもこの野菜は美味しいね」
そんな甘やかな顔でにっこり笑われると、顔が赤くなるのも仕方がない事だと思う。
ラルはわたしが恥ずかしがるのを見て楽しむところがある。悪い癖だぞ。
わたしは何も言い返せずに肩を竦める事しか出来なかった。
誤魔化すようにフォークを持ち直して食事に集中する。
「冬籠りの為にしておく事ってある?」
「うぅん……去年は、いまのうちに稼いでおいて冬の資金にしてたんだけど。今年は充分過ぎる程に稼げているからね。回復師の仕事も回ってくるだろうし……あ、今年は魔獣討伐するパーティーに一時加入して欲しいってタパスさんが言ってた」
「魔獣討伐か……」
ラルは難しい顔をしている。考えている事は分かる。わたしを魔獣討伐に連れて行きたくないのだ。
相変わらずの過保護っぷりに苦笑しながら、わたしは魚介スープに入っている海老の殻を剥いていた。海老の殻剥きは得意だったりする。頭の先っぽを持って、くるりとひねる。腹の方から指を入れれば、尻尾まで簡単に剥けてしまう。
綺麗に剥けた海老を口に入れる。トマトの風味もするのに、海老のだしがすごい。
「わたしは後方で回復魔法を使うだけだよ。わたしの側にはラルが居てくれるでしょう? 支援する形の一時加入だから、戦力とするわけではないそうだし」
「タパスさんがそう考えても、加入した先のパーティーはそう思わないかもしれないしねぇ。一時加入しないで、オレ達だけで討伐したらだめかな」
「討伐依頼を受ける気なんてないくせに」
「バレたか」
悪戯っぽく笑ったラルが、わたしのお皿に生春巻を載せてくれる。早速それを頂くと、口の中いっぱいに広がる独特の香り。紫蘇でもないパクチーでもない、なんだこれ。
わたしが口を動かしながら目を丸くしていると、堪えられないと言わんばかりにラルが笑う。口元を押さえているけれど肩が震えているから、笑っているのは簡単に分かる。
そんな時間がなんだかとても楽しくて、テーブルの上が綺麗になる頃には満月が空で輝いていた。