22.一難去っても高らかに響く声
食われる!
分かってはいるのに体が動いてくれなかった。アサルトライフルを作ろうにも魔力が足りなくて、出来たのは恐怖から逃れようとぎゅっと目を瞑る事だけ。
でも痛みや衝撃はいつまで経っても襲って来なかった。体が浮く感覚がしたかと思えば、頬を擽るのは気持ちのいい風。それから、安らぎさえ覚える程の温かさ。
恐る恐る目を開けると、わたしはラルに横抱きにされていた。ラルの肩越しに見えるのは大きな翼。白と黒の羽根が入り交じった美しい翼だった。
更にその向こうでは、わたしに襲いかかってきたコウモリを人の形まで大きくしたような魔獣――プテロプス――をタパスさんが斬り伏せている。
「……ありがとう、ラル」
恐怖や安堵、衝撃だとか色んな感情が胸の中で綯い交ぜになって、溢れ出た声は掠れていた。ラルが眉を下げて微笑むと、背中の両翼は一瞬で姿を消してしまった。
「いまのは……」
「オレの能力。話していない事もたくさんある。……ちゃんと話すから」
「……ん」
ラルの表情は固い。何かを恐れているような……何となくだけど、そう思った。
わたしが地面に降りても、ラルはわたしの手を握って離そうとはしなかった。その温もりに癒されているのはわたしの方で、わたしからも手を握った。
剣を鞘にしまったタパスさんがわたし達に近付いてくる。ラルが少し体を強張らせるのが伝わって、わたしは手に力を込めた。
「アヤオ、無事か」
「大丈夫です」
「ジェラルド、能力を把握しているな?」
タパスさんの問いに、ラルは小さく頷いている。ただそれを、今この場で口にするつもりはないようだった。タパスさんもそれ以上追及する様子はない。
「あとで報告するように」
「……はい」
冒険者の能力はある程度、ギルドとしても把握しておかなければならないからだ。
もしかしたらラルは、記憶を取り戻しているんじゃないか。そんな事をふと思った。
「タパスさん、落ち着いたようにも見えるんですが……この後はどうなるんですか?」
負傷者も運ばれてこない。あれだけ響いていた戦闘音さえ聞こえなくなっている。
わたしの問いにタパスさんは小さく頷いた。
「神殿の封印が解けていない事はマスターが確認したそうだ。綻び始めている箇所が数点見つかったから、近いうちに神官を呼び寄せる事にはなるようだが。その綻びも人為的な何かがあったわけではなく、経年劣化のようなものらしい」
タパスさんが状況を説明し始めると、周囲に冒険者達が集まってきた。皆、疲れた顔をしているけれど、ほっとしたように力を抜いている。それはわたしもだった。
「魔獣の討伐も予想していた以上の成果が上がっている。君達のおかげだ。冒険者ギルドの一員として礼を言う」
「街の状況は?」
冒険者の一人が手を挙げて発言をする。
そうだ、この森の魔獣が落ち着いても……街が襲われていたら。キリアさんや大家さん、顔馴染みの店主達を思い浮かべたわたしは、息を飲んだ。
「無事だ。守護団と騎士団で、魔獣の群れを討伐する事に成功したと報告が来ている。しばらくは警戒態勢が続くが、大きな問題ではないだろう」
タパスさんを囲む冒険者達からも安堵の息が漏れる。ざわつき始めた周囲を片手で制したタパスさんはニヤリと口端を持ち上げるような笑みを浮かべた。
「此度の任務に就いてくれた君達には冒険者ギルドからだけでなく、領主からも褒賞が出るようだ。期待してくれ」
わぁっと歓声が上がる。
焚き火の明かりに照らされる皆の顔は、達成感や充足感に満たされているようだった。
隣に立つラルの顔を見上げると、いつも通りの穏やかな表情をしているだけ。周りの皆みたいに浮わついている様子はなかった。
「良かったね、褒賞だって」
「でも……オレはアヤオと無事に帰れる事の方が嬉しいかな」
「ふふ、そうだね。今日のご飯はお弁当を買って帰ってもいい?」
「もちろん。……体調悪い?」
心配そうに眉を下げたラルがわたしの額に手をあてる。その手が頬へと滑り落ちた。
「顔色が悪いねぇ。気付かなくてごめん。抱えた方がいい?」
「ううん、大丈夫。魔力回復薬を飲み過ぎたせいだから。あの薬、どうも合わなくて……あんまり飲むと気持ち悪くなっちゃうんだよね」
「吐きたくなったら言って。歩けなさそうならいつでも抱えるから」
「ありがとう」
気遣ってくれる。甘えさせてくれる。それだけでこんなにも気持ちが落ち着く。嬉しくなって笑みが零れた。
「いま竜車がこちらに向かっている。数台到着するから分散して乗ってくれ」
「ここには誰も残らないのか?」
「私を含め数人が残る。君達は帰還して貰って構わない」
タパスさんと冒険者がやり取りをしている声が聞こえてくる。タパスさんは残るのか……きっと疲れているだろうに、そんな素振りは全く見せない。凄い人だと改めて思うし、尊敬する。
「アヤオ!」
掛けられた声に振り返ると、森の奥地から冒険者達が連なって現れた。先頭を歩いているのは『クオーツ』の三人だ。
三人は顔や装備を血に汚しているけれど元気そうにしている。その様子にほっとして、安堵の息が漏れた。
「無事だったんだね、よかった」
「心配される程の事じゃなかったけどな。でもそうだよな、俺の事が心配で不安で仕方なかったんだよな?」
「無事であるよう願ってたけど、それはライノだけじゃなくてみんなに対してだよ」
ライノはわたしに向かって、両手を伸ばして近付いてくる。それを避けようとするよりも早く、わたしはラルの背中に隠されていた。
「なんだよ、ジェラルドも来てたのか」
「オレはアヤオの護衛任務でねぇ」
「アヤオの……? おいアヤオ、やっぱりウチのパーティーに入れよ。護衛なんていらねぇ、オレが守ってやるからよ!」
「お断りします」
前線で魔獣討伐していたわりに元気だな。
シャーリーさんも笑っているし、メイナードさんは鬼みたいな兜を脇に抱えて穏やかな表情をしている。二人も怪我はないようでよかった。
聞けば前線にも回復師は手配されていて、軽傷のうちにどんどん回復していたらしい。それで間に合わない負傷者がテントに運ばれていたようだ。
一仕事を終えた、明るい朗らかな雰囲気。
あとはもう帰るだけ。ギルドでキリアさんに顔を見せに行かないと……。そんな事を考えながら竜車の到着を待っていた。
「アヤオ・ユキシロ! ライノ様から離れなさい!」
「げぇ……」
響く声。
反射的に漏れた呻き声。
わたしをびしっと指差しながらオルガさんが立っている。呻き声はわたしと……ライノのものだった。
てか離れるも何も、くっついていないんだけどな。もう今日は何度溜息をついたものか、自分でも分からなかった。