21.回復魔法乱舞
用意された椅子に座って、テントの壁にある窓から外を覗く。窓といってもガラスが嵌めてあるわけではない。網目状の布が張ってあって、その上にはくるくると布が巻き上がって留めてある。
警戒しながら見回りをする冒険者の姿が見えるけれど、ラルとタパスさんは側にいない。大丈夫だとテントから出したのはわたしなのに、何だか不安を感じている自分に気付いて溜息が出た。
「聞いているの? あなたはライノ様を傷付けているって分かっているのかしら」
「だから、わたしとライノの間には何もないってば」
「でもライノ様は、あなたとは特別な仲だと言っていたわ」
「ライノが勝手に言ってるだけですー」
「……何よそれ。ライノ様にそれだけ好意を向けられているって、私に自慢しているのかしら」
「もうやだ、話が全然噛み合わない」
ライノも人の話を聞かないし、自己中心的に話を進めるところがあるけれど……オルガさんは更にその上をいく。話していて疲れることこの上ない。さっきまでよりも大きな溜息が出た。
「覚えておくのね。ライノ様はあなたが異界人で物珍しいから構っているだけだって」
「はいはい」
「私は異界人なんて認めていないのよ」
「存じておりますぅ」
「あなた達はこの世界の理を乱す存在。あなた達のもたらす知識は、災いを引き起こすに違いないわ」
「それは分からないけど、オルガさんは異界の食べ物なのにティラミスがお気に入りだよね?」
「な、な、ななななんでそれを……!」
なんでというか、屋台でティラミスを幸せそうに食べているのを見掛けたから。気付かれたら絡まれて面倒な事になるから、近付かないで迂回したけど。
オルガさんは顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせている。きつめの美人が可愛らしい雰囲気になるけれど……分かり合えそうにはないな。
オルガさんに背を向けて、また窓から外を伺った時に急ぐ足音と怒声が聞こえた。
「負傷者だ! 頼む!」
血塗れの剣士に抱えられているのは、魔導師風のローブを着た女性。ロッドを握る手も何もかもが血に濡れている。
その後ろからは足を引きずる剣士にポーターらしき男性が肩を貸している。テントは一瞬にして噎せ返るほどの血の匂いで満たされた。
職員さんの指示に従って、簡易ベッドの上に負傷者が横たえられる。足を引きずっていた剣士が一番の重傷で、その片足は噛み千切られていた。その剣士はオルガさんが治療する事になる。
わたしの前には魔導師の女性。お腹には鋭い爪傷があって、とめどなく血が溢れていた。大量に血を失っているからだろう、紙のように顔が真っ白だ。
大きく息を吸って、お腹の上に両手を翳す。わたしの意を汲んで姿を現した風の精霊がくるりと回って、わたしの手の上にちょこんと座る。
体の奥深く、お腹の奥から熱を取り出すイメージ。その熱はお腹から胸、胸から腕を通って掌の中に渦を巻いていく。
「積み重ねるは風の虹 空の境界 大地に踊る 風重癒」
掌に集まった魔力を受け取った精霊が、小さな両手を口元に寄せる。ふぅっと吹いた息が幾重もの虹となって魔導師の傷口に重なっていく。キラキラと光が溢れ、奔流が落ち着いた頃には傷は綺麗に塞がっていた。
それを確認した職員さんが魔導師の口に回復薬を寄せて飲ませていく。これで体力も回復される。
さて、次は抱えてきた剣士だ。
軽い傷ばかりだけれど、痛みがないわけではないだろう。そこから毒が回るかもしれないし、治しておくに越したことはない。
「白と白 青と蒼 そよ風の口付け 揺れて刻む 刻風癒」
精霊が背中の四枚羽を使って、剣士の周りを飛び回る。精霊から振り落ちる白と蒼が混ざったような粉が傷口に触れると、ゆっくりとだが確実に傷が癒えていった。
「おお、体まで軽くなった気がする。精霊といい関係を築いているんだな」
腕をぐるぐると回しながら、剣士が褒めてくれる。わたしの肩に座って胸を張った精霊が、どや顔をしてからぱっと消えた。
向こうのベッドで強い光が溢れて目が眩んだ――オルガさんの回復術だ。清浄な空気がテントを満たして、光が消えた時には剣士の足は復元されていた。……すごい。
性格はともかくとして、あの回復術は本当にすごい。正直嫉妬さえ覚えるほどに羨ましい。あれだけの術を使えるように、わたしもいつかなりたいものだけど……魔力の受け皿が小さいから、なかなか難しいかもしれない。
回復したばかりの彼らはテントの端で休む事になった。軽傷だった剣士とポーターはまた前線に向かっていったけれど。
入れ替わるように負傷者が運ばれてくる。軽傷、中傷はわたしが対応して重傷者はオルガさんが。それでも状況によってはわたしのところにも重傷者が運ばれてくる。
欠損はないけれど今にも命が消えてしまいそうな程の傷。魔力量的に一日に一回しか使えない織舞治癒を使う。命を留める事が出来た事に安堵したのも束の間で、また重傷者が運ばれてくる。
失った魔力を補って、また織舞治癒を使う為に魔力回復薬を飲む。この薬はわたしに合わないのか、酷い吐き気に襲われるけれど……やるしかないのだ。
魔力回復薬の空き瓶が積み上げられる。
前線も落ち着いたのか負傷者が運ばれてくる事はなくなった。どれだけの時間が経ったのだろうと窓から外を覗くと、まだ明るかった空が夕暮れに色を染めているところだった。
「えー……もう夕方? さすがに疲れたぁ……」
椅子に座って大きく伸びをする。まだ気持ちが悪いのは、魔力回復薬の飲みすぎだろう。明日は仕事にならないかもしれないな。
オルガさんも疲れたのか、わたしに絡む余裕もないようで椅子に深く体を預けている。ギルドの職員さんはくたびれた顔で、何やら書類を纏めていた。
「アヤオ、大丈夫?」
不意に掛けられた優しい声。
テントの入り口から中を覗いているのは、ラルとタパスさんだ。二人は見回りに行ったままずっと帰って来なかったのだ。
「大丈夫。ラルは? 顔を見せないから心配しちゃった」
「ごめんね。見回りから戻って、このテントの側に居たんだよ。また見回りに連れ出されたけど」
「無事ならいいんだ。タパスさんもお疲れさまです」
椅子から立ち上がったわたしは、声を潜めながらテントを出た。近くには焚き火が用意されていて、薪が爆ぜる音が静かな森に大きく響いた。
日も暮れたせいか少し肌寒い。焚き火にあたろうと足を踏み出した時――木の上から影が落ちた。その影は赤い目を爛々とぎらつかせて、一直線にわたしへと向かってきた。大きく開いた口に並ぶ鋭い牙が唾液で光る。
わたしは逃げる事さえ出来なかった。