20.もう一人の回復師
大森林の入口で竜車を降りる。
待ち構えていたように茂みから飛び出してきたティリディリに反応出来たのは、ラルただ一人だった。
いつも平原で見る個体よりも禍々しい雰囲気を纏った、鋭い角を持った猪にも似た魔獣。体格も数倍大きいのに、ラルはいつもと同じように動くだけだった。鉤爪がティリディリの胸を切り裂く。濁った瞳がぐるんと白目を剥いたかと思うと、その一撃で倒れ込んだ魔獣はもう動く事はなかった。
それはほんの一瞬の事で、ラルの鉤爪は既に消えて手の形に戻っている。
「びっくりした……ラル、ありがとう」
「たまたま反応出来ただけなんだけど、守れて良かった」
謙遜しているのは分かっていたけれど、ただお礼を言うだけに留めた。周囲の冒険者はあまりの早業に唖然としているようだ。絡まれる前にサブマスターのタパスさんと合流したいな。
そう思って周りを確認すると、足早にこちらに向かってくるタパスさんと目が合った。
「来てくれたか」
「はい、タパスさんも無事で良かったです」
「戦況は芳しくないがな。救護者を運び込むテントが設営されている。案内するから少し待っていてくれ。ジェラルド、アヤオを頼むぞ」
「はい」
キリアさんといいタパスさんといい、いつもわたしをラルに任せていくのは……ラルの強さを認めているからなんだろうな。
亜人種の能力を明かしていなくても、それだけ信頼を勝ち取れているのが不思議にも思ってキリアさんにこっそり聞いた事がある。キリアさんは綺麗な笑みを崩さずに「分かるのよ」とだけ囁いたっけ。……鑑定能力でもあるんだろうか。
そんな事を考えている間に、二便で到着した冒険者の振り分けが終わったようだ。半分は前線にて魔獣の討伐と神殿の確認。既に一便で到着した冒険者達がギルドマスターの指揮の元に戦っているらしい。
もう半分は大森林の境目付近まで逃れてきた魔獣の討伐。それから救護者テントの護衛任務にあたる。
「ジェラルドは前線でも充分に力を奮えるが……アヤオから離れないだろう?」
救護者テントに向かう道すがら、タパスさんが言葉を掛けてくる。ラルはそれには答えずに、ただにっこりと笑うだけだった。
「テントの護衛をしつつ魔獣討伐も頼むぞ」
「分かりました。それでもオレはアヤオを守る事を第一にします」
「ちょっと、ラル……わたしなら大丈夫だよ?」
「心配で、オレが動けなくなる」
うぅん……過保護め。
というか保護したのはわたしの方なのに、いつの間にか保護される方に変わっていない?
でも……守られる事が嬉しくないわけもなく。時々胸の奥が苦しくなったり、心臓が喧しくなるのは、守られる経験がないせいだと思う。……勘違いはしたくないもの。
テントに向かう間も現れる魔獣を、タパスさんとラルが簡単に屠っていく。おかしいな、この大森林の魔獣は強いんだけどな……。
後方でも冒険者が魔獣を討伐している。やっぱり数が増えていると、わたしでも感じるくらいにこの森はおかしくなっているようだ。
「救護者は運ばれて来ているが、先にオルガが入っている」
「うげ」
タパスさんの説明に、ついつい変な合いの手をいれてしまった。ラルは不思議そうにしているし、タパスさんは苦笑いだ。
「オルガさんかぁ……頑張ります」
「すまないが、これも仕事だと思って我慢してくれ。目に余るようなら私からも苦言を呈する」
「大丈夫ですよ」
大丈夫と言ったが気が重い。
ラルが心配そうにわたしの顔を覗き込んできた。わたしはあまりにも酷い顔をしていたのだろうか。青藍の瞳が翳っている。
「何かあるの?」
「んー……オルガさんってすっごく優秀な回復師なんだけど、わたし……というか、異界人を嫌ってるんだよね。それでちょっと苦手で、出来れば会いたくないんだけど……そうも言ってられない事態だしね」
「嫌な事を言われる?」
「色々。確かにその通りだと思う時もあるし、そんな事言われても……って困っちゃう時もあるかな。心配させてごめんね、大丈夫だよ」
言うか迷ったけれど、オルガさんがわたしを、異界人を嫌っている事を伝えておかなくてはならない。前情報もなしにオルガさんとわたしのやりとりを見て、ラルはきっと平然とはしていられないだろうから。
それに、オルガさんがわたしを嫌う理由はもうひとつある。
足取りが重くなる。意識して足を前に踏み出しながら、わたしはこっそりと溜息をついた。
「遅かったのね。随分とのんびりしたご到着だこと」
テントに足を踏み入れて、わたしを迎える第一声がこれだ。今日もオルガさんは絶好調だな。
腰まで真っ直ぐに伸びた水色の髪を片手で背に払うオルガさんは、金色の瞳でわたしを鋭く睨んでいる。
「こんにちは、オルガさん。今日はよろしくお願いします」
大人になれ、わたし。
「ふん。あなたがもっと力のある回復師なら、ここを任せられたのに。半端なあなただけじゃ心許ないから私まで後方支援よ」
落ち着け、わたし。
「本来なら私も前線に向かって、傷付く人々を癒す筈だったのに」
無理だ。
「ちょっとタパスさん! オルガさんがこんな事言ってるんで、オルガさんには前線に行ってもらった方がいいんじゃないですかねぇ」
あーもう腹立つ!
確かにわたしはオルガさんに比べたら回復師として全然まだまだ及ばないけど? だからって言われっぱなしは腹が立つ。あーもうほんっと合わない。
「私が前線に行って、誰が四肢欠損を治すのかしら。あなたはその隅っこで、軽傷者だけ治していればいいのよ」
「軽傷者もぜーんぶオルガさんが治せばいいんじゃないですかねぇ」
睨み合うわたしとオルガさんの間に、タパスさんが割って入った。
「落ち着け。オルガ、お前がどう思おうとアヤオは優秀な回復師だ。ここをお前達二人に託すと決めたマスターの意思を無視するつもりか」
「……いえ」
「アヤオ、お前も挑発に乗るな。聞き流せ」
「……はぁい」
遠くで爆発音がする。その音でわたしは思い出した。ここがいま、どんな状況なのかって事を。オルガさんと言い争っている場合じゃないんだった。
ちらりとラルの様子を伺うと、不機嫌さを隠そうともせずにオルガさんをじっと見ていた。最近過保護なラルが、オルガさんを流せるわけもなかったよね……。
「ジェラルド、見回りに付き合え」
「オレは……」
敵意を向けるラルの雰囲気に気付いたタパスさんが、テントからの退室を促した。ラルはそれを拒もうとするのが、わたしには分かってしまった。だからその背中をぐっと両手で押した。
「行ってきて。気を付けてね」
「でも、アヤオを一人には……」
「ラルが見回りしてくれたら危ない事なんてないよ」
「……すぐに戻るから」
渋々といったようにラルがわたしの側から離れる。タパスさんに腕を引かれてテントを出るその瞬間まで、心配そうにわたしの事を見ていたけど。
このテントにはわたし達の他にも、ギルド職員さんがいるから本当に大丈夫なのに。オルガさんと二人きりなんて事になったら、わたしも怪我人が運ばれるのを外で待っていただろうけど。
「アヤオ・ユキシロ。あなた……ライノ様がいながら他の男を連れて歩くなんて、どういうつもり?」
わたしが嫌われているもうひとつの理由。
オルガさんは、わたしとライノがお付き合いしていると思い込んでいるのだ。そして彼女はライノが好きだったりする。
何度も誤解だと言っても聞く耳を持たない、思い込みの激しさ。怒りに目を吊り上げるオルガさんの向こうで、職員さんが同情するように眉を下げていた。