19.危険を報せる音
髪をまとめてお団子にする。うん、綺麗に丸くなっていい感じ。
耳元に光るのは、小振りのピアス。雫型の青紫の石がわたしの動きに合わせて揺れた。このピアスがあまりにも可愛いから、他のピアスホールには小さな真珠だけをつける事にした。
いつもの仕事着にローブを羽織る。腰に下げたポーチと短剣を確認して――良し。
部屋を出るとダイニングではラルがコーヒーを飲んでいた。その左耳を飾っているのは、わたしとお揃いのピアス。そういえばこの石は、ラルの瞳にも似ているな。どうしてか恥ずかしくて、それを口にする事は出来なさそうだけど。
二人で並んでギルドまでの道を歩く。
薄曇りが少し肌寒いのは、そろそろ夏も終わりだからかもしれない。秋になったら冬籠りの支度も始めないと。
そんな事をラルと話していた時だった。
警報が響く。
サイレンにも似た耳障りな機械音。規則的に繰り返されるその音は不安を煽るばかりだ。日本にいた時に耳にした、何とかアラームにも似ている、大気をつんざくような警報音。
その音を耳にした人たちは、急いで家に入る。鉄で出来た雨戸もしっかりと閉じた。
露店の店主達も手際よく店仕舞いをしている。その顔は真剣そのものだ。
「行くよ、ラル」
「この音は?」
「街に危険を報せるものなんだけど……魔獣の襲撃があったのかも。とりあえずギルドに行こう。わたし達にも出来る事があるかもしれない」
この街に住んで半年以上になるけれど、この警報音を聞くのは二度目だ。
前回は街の側まで魔獣の大群が押し寄せて、街の守護団と冒険者達、領主様が遣わせた騎士団でようやく制圧した程だった。
不安で鼓動が速くなる。心臓の音が耳の近くで鳴っているみたいに喧しい。
「大丈夫だよ、アヤオ」
「……うん」
わたしの不安に気付いたのか、ラルが手を握ってくれる。その優しい表情に少しずつ気持ちが落ち着いていく気がした。
きっと大丈夫。そう願いながら、わたしはラルの手をきつく握り返した。
ギルドでは人々が慌ただしく走り回っていた。
皆、不安や焦燥に表情を曇らせている。
「アヤオ!」
あたふたと葉っぱを震わせている魔植物の向こう、いつものカウンターからキリアさんが声を掛けてきた。カウンターの跳ね扉を開けてわたしの元まで駆け寄ってくる。
「ちょうど良かった。今、アヤオの家に遣いを出すところだったの」
「回復師が必要なのね?」
「そう。もうすぐ竜車の二便が出るから、それに乗っていって。詳細を話すから……先にタグをくれる?」
わたしとラルは揃ってドッグタグを首から外すと、それをキリアさんに渡す。機械を操作しながら話すキリアさんの顔色も冴えない。
「デルメルン大森林には神殿があるのを知っているわよね? そこには魔物が封印されている事も」
「うん、だから大森林には強い魔獣がいるんだよね」
「そう。魔獣の動きが活発になって、森から溢れてきたの。今回の警報はそれが原因。魔獣は獲物を求めて、近くの村を襲ったそうよ」
「そんな……」
「大森林の側という事もあって守りは強固。騎士団も常駐していたけれど、被害は少なくなかったらしいわ。そしてその魔獣達はこの街へも向かってきてる」
キリアさんの操作する機械から『負傷者の回復任務』と『回復師の護衛』という文字が光となってタグへと吸い込まれていく。
「この街への魔獣は守護団と騎士団で対応するわ。冒険者達には大森林の魔獣を討伐するのと、神殿の封印が解けていないかを確認して貰う事になったの。負傷者も出ているから、アヤオには後方で回復をお願いするわ。ジェラルド君はアヤオを守ってね」
「はい」
気負う事なくラルが頷いた。こういった事態は初めてなはずなのに、緊張している様子もない。むしろわたしの方が心臓ばくばくなんだけど……。
それでも落ち着いているラルを見ていたら、きっと大丈夫だと思えるから不思議だ。
「現地にはギルドマスターとサブマスターが向かっているの。マスターは前線の指揮を、サブマスターは後方の指揮を執る手筈になっているから、二人はサブマスターの指示に従ってね」
いつもよりも些か早口なキリアさんは、ゆっくりと息を吐き出した。タグを首に掛けたばかりのわたしの手を両手で掴むと、祈るようなその手を自分の額にそうっと寄せた。
「……無事に帰ってくるのよ。無茶はしないで。いいわね?」
「キリアさん……」
心配してくれているその様子に、目の奥が熱くなってくる。滲みそうになる涙を堪え、わたしは明るく笑って見せた。
「ありがとう。絶対に帰ってくるから、頑張ったねって褒めてくれる?」
「もちろんよ。ジェラルド君、アヤオをよろしくね。君も無事に帰って来なくちゃだめよ」
「はい」
しっかりとした声に、キリアさんは漸く緊張を和らげたように笑みを浮かべてくれた。
あとでね、と手を振ってその場を後にすると、魔植物も葉っぱをゆらゆら動かして見送ってくれているらしい。
ギルドのすぐ側にある馬車着き場には冒険者達が集っていた。
皆一様に顔を強張らせている。わたしはその中に『クオーツ』の面々を探したけれど、見つける事は出来なかった。
第一便で既に前線に向かったのかもしれない。後方に配置されるわたしとは会わないだろうけれど……いや、会わない事を願うばかりだ。
「ラル、わたしから離れないでね。何か怪我をしてもわたしが必ず治すから」
「離れない。オレはアヤオの護衛だからね。怪我ひとつさせないで守ると誓うよ」
緊迫した状況でも、ラルの雰囲気は穏やかなままだ。でもそれが、わたしを不安にさせない為のものだと分かっていた。
ラルの手を取ると、いつもよりも少し冷たい。緊張しているのかもしれない。
指を絡めるようにしっかりと手を握ると、わたし達の体温が同化していく。それはわたしの強張りまで溶かしていくようだった。
「わたしも守るからね」
誓うように口にした言葉に、ラルは目を瞬いたけれどすぐに青藍の瞳を細めて笑ってくれた。
地竜が引く大型の幌車が到着する。
目的地はデルメルン大森林。強力な魔獣が闊歩する恐ろしい地。
嘶きを合図に、幌車を引く竜は走り出した。




