11.奴隷になる宣言
管理院へ向かう朝は、生憎の雨模様だった。
傘をさして歩く道では、街路樹から落ちた雨滴が、その下に植えられた花の葉っぱを揺らしていた。
「雨だねぇ」
ラルには大きい、青色の傘。
シャフトを肩に乗せながら呟くラルだけど、口元は笑みの形を作っている。
「雨は好き?」
「うん、いつもと景色が違って楽しい」
心なしか声も弾んでいるようだ。
それを聞いたわたしは、鈍色の空も俯くように水滴を纏う花々も、いつもより何だか綺麗に見えたのだった。
辿り着いた管理院は白煉瓦を綺麗に積み重ねた、三階建ての大きな建物。アーチ状の窓や扉がお伽噺に出てくる建物のようで可愛らしい。
いつもはもっと混んでいる気がするのだけれど、雨が理由なのか人はまばらにしか見えなかった。
入口で傘を閉じたわたし達は、側にある受付に足を向ける。
頭から長いウサギ耳を垂らしたお姉さんが、カウンターの向こうに座っていた。
「いらっしゃいませ。ご用件は?」
「こんにちは。【命波】の登録に来た、アヤオ・ユキシロです」
「ああ、タパス殿から承っております。この通路を真っ直ぐ進んで、右の角にあるお部屋へどうぞ」
お姉さんはにこやかに、通路の先を指差してくれる。ありがとうと礼を告げて、わたしはラルの手を引いて歩き始めた。
通路には黒い絨毯が敷かれている。端には銀糸で刺繍がされていて、とても素敵。その上を足音もなく進んだ先、お姉さんが教えてくれた部屋は扉が開いていた。
応接セットと小ぶりの暖炉。応接セットのソファーには救援部隊の部隊長さんが座っていた。
「よく来たな」
部隊長さんは襟元を寛げた白シャツに、管理院の制服なのか白いコートを羽織っている。金の刺繍がされたコートの腕をまくりながら、表情を和らげていた。
「こんにちは。部隊長さんが担当してくださるんですか?」
「タパス殿に頼まれてな。私としても、彼の事は気にかかっていたものだから。それから私の名はレグルスという」
「ありがとうございます、レグルスさん。この子はジェラルドです」
わたしの隣でラルがぺこりと頭を下げる。
レグルスさんはそんなラルに目を細めると、ちょいちょいと手招きをする。招かれるままにラルが歩み寄ると、テーブルの上には魔導板が用意されていた。
掛けてくれ、と促されたわたし達はレグルスさんの向かいにあるソファーに並んで腰を下ろした。ラルは興味深そうに魔導板を覗き込んでいる。
「名前はジェラルド、と……。家名はあるか?」
「覚えていない」
「そうか。それでは生まれた月日も……」
「覚えていない」
魔導板を操作しながらレグルスさんが小さく頷く。
わたしも魔導板を覗き込むと、ジェラルドと名前が記されていた。それ以外は全て空白だ。
「それではここに、片手を乗せて。どちらでも構わない」
言われた通りにラルが魔導板に右手を乗せる。
弾むような光が掌を包み、鼓動のようなリズムを刻むのを、懐かしく思った。
わたしもこの世界に転移してすぐ、【命波】の登録をした。この世界の右左も分からずに、これから自分がどうなってしまうのか不安で仕方なかったのを覚えている。
「よし、これで登録がされた。君はアヤオ殿と同じように冒険者になるのかな?」
「そのつもり、です」
「そうか。それではこれを渡しておこう」
そう言ってレグルスさんが差し出したのは、掌にすっぽり収まる大きさをした銀色のプレート。わたしにも見覚えがある。
「これには君の【命波】が記されている。ギルドに持っていけば認識票にして貰えるだろう」
わたしは首から下げているドッグタグを服の中から引っ張り出して、ラルに見せた。
そのプレートは必要に応じて管理院で発行してもらえるのだけれど、何だか戸籍謄本みたいだなと思っている。
「ありがとうございます」
ぎゅっとプレートを握りしめたラルは、大事そうにそれをポケットにしまった。
「さて……それから奴隷紋の解放だったな?」
「はい、お願いします」
魔導板を操作しながらレグルスさんが言葉を掛けてくる。わたしがそれに頷いた時、慌てたようにラルがわたしとレグルスさんの顔を交互に見た。
「アヤオ、奴隷紋の解放って……」
「今日、一緒に済ませちゃおうと思って。いいよね?」
「金が掛かるって知ってる。あいつらが言ってたから」
あいつら、とはあの違法商人達の事だろう。
ラルは困りきった様子で眉を下げている。
「オレ、奴隷のままでいい。アヤオの奴隷になる」
「子どもが何をバカな事言ってんの」
「だってオレ、アヤオにいっぱい優しくして貰ってるのに、何も返せてない。それなのに奴隷紋を外してもらうなんて出来ないよ」
「何か返してほしくて優しくしているわけじゃないよ」
「でも……」
「レグルスさん、手続き進めちゃって下さい」
「ああ」
ラルが何を言っても、わたしは奴隷紋を外すと決めていた。
尚も言い募るラルを放ってレグルスさんにお願いすると、魔導板の操作に戻ってくれて有り難かった。
「アヤオ、どうして……」
「わたしがそうしたかったからだよ」
「金だって掛かるのに」
「わたしはこれでもギルドお抱え回復師だからね。これくらいいつでも稼げちゃうんだって」
堂々と胸を張って見せるけれど、本当はギリギリだって言うのは内緒だ。それでもまた一年同じように働けば、同じくらい貯まるんだもの。
「でも……」
ラルの声が段々と小さくなっていく。しょんぼりと俯いてしまった彼は、膝の上で拳をぎゅっと握っていた。
分かるんだ、ラルの気持ちも。でもこれは譲れなかった。
「ジェラルド君、君は冒険者になるのだろう?」
レグルスさんは真っ白な羽根を手にしながらラルに声を掛けた。羽柄の先っぽには小さな赤い宝玉が飾られている。まるでペンを持つかのようにその軸をくるくると回していた。
「君がアヤオ殿の仕事を手伝えばいい。今まで一人だったのを二人なら倍近くは稼げるだろうさ」
「それはもちろん、アヤオと一緒に働きたいけど……」
「一緒にやってくれたら嬉しいって言ったでしょ。ラルも採集してくれたら一人でしていたよりも沢山納品出来るから助かるよ」
「解放金を気にしているなら、その報酬からアヤオ殿に返せばいい」
「……そっか。アヤオ、絶対に返すから待っててくれる?」
レグルスさんの優しい声に、ラルも納得したようだ。
わたしとしては返して貰わなくてもいいんだけれど……ここでそんな事を言ったらまたモメてしまうだろう。
だからわたしは頷くだけにとどめた。それでもラルは嬉しそうに笑ってくれた。