七十六、ギャップ萌え
「ギャー!!!!!!」
3月3日、陰陽神社での修行の休憩時間。拝殿の方から、若葉ちゃんの汚い悲鳴とドタドタという足音が聞こえた。
一体何事だと、首にタオルをかけた状態で扉側に歩いて行く。
見るとそこには、肩で息をしながら、鬼の形相で扉を押さえている若葉ちゃんがいた。
「どうしたの?そんな大きな声だして。」
「だだだだだだダメです千晶さん!!!教育上良くありませんです!!!入っちゃいけませんですです!!!」
若葉ちゃんは顔を真っ赤にして、焦った様子で言葉をまくしたてていた。可愛いけど…何を言いたいのかがさっぱり伝わらない。
「落ち着いて、若葉ちゃん。訳を教えて欲しいな。」
そう諭すも、若葉ちゃんはふるふると首を横に振り、頑なに扉を押さえつけるのみだった。
「ちょっと失礼。」
半ば強引に若葉ちゃんをどかし、扉を開ける。
「あっ!千晶さんっ!!!」
「…。」
「…。」
…そういうことね。
扉の中を覗いた後、ガックリと下を向き、若葉ちゃんの肩にぽんっと左手を乗せた。
「…若葉ちゃん。」
「うぅぅぅ…はいぃぃぃ…。」
「慣れて!」
顔を上げ、ハキハキとそう口にした。
「はいぃぃぃ…ん?…って…えぇぇぇえええ!?」
「何だよ。さっきからうるせぇな。」
さっきまで中で何が起こっていたのか。なんとなく扉を開けた時に察しはついた。何故なら中には、上半身裸の拳心さんがいたからである。
「拳心さん、若葉ちゃんの前で急に堂々と着替えちゃダメですって。知らない人は、目の前で突然脱がれたらびっくりしますよ。」
私たちのいた空手道部。その道場はプレハブで、更衣室が無かった。部室が無かった訳ではない。
しかしある時、面倒くさがりな男子の一部が、部室から道場で道着に着替え始めたのだ。結果、女子の前だろうが先生の前だろうが、お構いなしに下着姿で道場を徘徊する部員が誕生した訳である。
つまり拳心さんは、いつもの道場ノリで、小学5年生女子の前で下着姿になったということだろう。
本人に悪気が全くない分、よりたちが悪い。
「ん?…あぁ、そうか。わりぃわりぃ。」
拳心さんは悪いと本当に思っているのかいないのか、理解したという顔でさらりと謝罪した。
「無自覚なところが中々に悪質ですよね。」
私は思わず苦笑してそう言った。
私も空手部に入部したての頃はその光景に驚き、顔を真っ赤にして口をパクパクさせていたものだった。今でこそ、平静を装っていられるが、着替えを見ることに慣れた訳ではない。
というか、拳心さん限定で慣れることができていない。
私たちが入部したての頃から、拳心さんのトレーニングのストイックさは群を抜いていた。その賜物なのか、彼の肉体はギリシア彫刻の様に引き締まっていた。別にマッチョ好きではなくとも、目の前をチラつかれたら、勝手に目が追ってしまう驚異の造形美。
間違いなく、小学生の少女には目の毒である。
おまけに、パッと見は不良の様な顔つきで、歩き方もガニ股だというのに、履いている下着が、某おもちゃ映画に登場する緑のエイリアンだったりするのだ。(ちなみ私は、部室で「ギャップ萌えだ!!!」と騒ぎたて、唯来姉にぶっ叩かれた過去がある。)
何故神はこの男に身長を与えなかったのか!と、天に抗議したいレベルである。
身長あったらもっとモテる。絶対。
「おや?」
その時、若葉ちゃんが私のいる方向の奥を見て声を上げた。
「ん?」
振り返ると、ちゃぶ台の上に乗った地図、その上では寅の字が青白い光を放っていた。




