眠れる獅子目覚めるとき 7
夕刻に差し掛かり、婚約披露の夜会の準備を終えたカレナは美しいドレスに身を包み、身の丈の二倍はあるかと思われる重厚な扉の前にフランツと並んで立っていた。
今日のドレスはカレナの肌と髪の色に映えるよう選ばれた鮮やかな青色のドレスだ。襟元は慎み深く、かといって若々しく見える絶妙な開き具合で、上半身はカレナの美しい体形を強調するように身体の線に沿って窄まっている。腰から下は緩やかなドレープがかかり青地の布に金糸が微かに織り込まれていて、身体を動かす度にキラキラと輝きを放ち優美な雰囲気を醸し出している。そして髪は完全に下ろした状態で、その上部には婚約の儀の際に王太子妃に贈られるという伝統ある白銀のティアラが、艶のある黒髪に映え黒と白のコントラストを描いている。
クララをはじめとする侍女たちの渾身の力作を、フランツは開口一番これでもかとばかりに褒め称えて満面の笑みを浮かべた。
まるで昼間の謁見時に纏っていた冷ややかな雰囲気が幻だったのではないかと思わせるような含みのない笑顔に、カレナは更に不信感を募らせた。
カレナのドレスより若干深い青の生地に、控えめだが繊細な金の刺繍の入った服を身に付けたその姿は、感嘆の溜息が出そうなほど優雅で気品に満ち溢れている。
「カレナ、僕の傍から離れないでね~。今日は君を見せびらかして自慢するんだから」
「は、はい……」
ニコニコと暢気な笑顔と稚拙な発言に、フランツの腕に自分の腕を絡ませながら辛うじて作った笑顔を浮かべながらカレナは曖昧な返事を返す。
「そういえば、フランツさまはあまりこういった夜会の類いには出席されないと伺ったんですが」
「うん、全然出たことないよぉ。だって煩いし面倒臭いし、それに僕ダンス踊れないしねぇ」
「えっ、踊れないんですか?」
「うん、僕身体が弱いから習わなかったんだ」
それがどうしたと言わんばかりの堂々とした、だが王族に有るまじき返答に、カレナは呆れて何も返すことが出来ない。
呆然としながらもカレナはフランツの顔をまじまじと観察した。
相変わらず子供のような満面の笑みを浮かべてこちらを見ているように見受けられるが、右側だけ姿を現しているブルーグレイの瞳は少しも笑っているように見えない。そう感じるのはフランツへの不信感からくる思い込みだろうか。
すると、飲食物と賓客のすべての準備が整ったのか、絶妙なタイミングで騎士たちが左右から一斉に扉を開け放った。
カレナは瞬時に気持ちを入れ替え、フランツの歩みに従い煌びやかな光の溢れる大広間の中に視線を移した。
目に飛び込んできた豪奢に演出された夜会場である大広間は、明らかにカレナの知るそれとは規模が格段に違っていた。
いくら小国といえども王族のカレナはこの手の集まりには慣れている筈だった。しかしそれはすべてに於いてカレナの常識を遥かに超えたものだった。
祖国ラヴィーナの王城の大広間の二倍以上あると思われる大きな会場に、千人近いと思われる貴族と上位騎士と見受けられる人々。室内楽団は明らかにその規模ではないだろうという人数も多さ。また飲食物の量も給仕の数も会場中を彩っている装飾品も、すべてに於いて桁違いだった。
改めて国力の違いを見せつけられた思いがして、カレナに今までにない緊張感が走る。だが、いくらそう感じたところでフランツの歩みが止まるわけではない。カレナは気後れする自身を叱咤して、取り繕うように笑みを張り付かせてフランツと並んで拍手の渦の中に飛び込んだ。
はじめに近付いてきたのは、美しい白金の長い髪を持つ中性的な顔立ちの美しい青年だった。隣にはフランツの近衛であるフェリクスの姿もある。白金色の髪の青年はフランツより少し年上だろうか。落ち着いた穏やかな微笑みを浮かべてフランツとカレナの傍まで来て頭を下げる。
「カレナ王女、こいつはヴァルター。ルーデンドルフ子爵であるフックス宰相の息子で、今は僕の側近をしてくれているんだ。仲良くしてやってねぇ」
「初めまして、ヴァルター・フックスと申します。フランツ王子の傍らに従事させて頂いておりますので、これからもお目に掛かる機会が多いと思います。宜しくお願い致します」
紹介を受けた青年はカレナの正面に立つと、優美な仕草で彼女の手を取り甲に口付けを落とした。
「初めまして。至らない点も多いと思いますので、どうかご助力のほど宜しくお願いします」
若干緊張しながらカレナが返答すると、ヴァルターは穏やかな笑みを更に濃くした。
歓迎されていると捉えて良いのだろう、そんなことを考えていると、二人を遠巻きに眺め様子を窺っていた貴族たちが一斉に彼らを取り囲み始めた。恐らく滅多に表に出て来ないフランツにここぞとばかりに顔を売ろうとしているのだろう。
愛想よく話しかけてくる貴族たちに丁寧に受け答えしながらも、気付かれないように周囲を見渡す。まるで見世物小屋の珍しい動物を順番待ちしているかのような、その人数の多さにさすがのカレナも辟易し、開始早々夜会の終わりの時が少しでも早く来ることを切に願った。