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青銀の闇 6

 お前たちはブルグミュラーを諦めるほか既に道はない――。





 ルードヴィヒの突き付けた言葉に、アンブロジウスはその身体を強張らせた。そして、それは周囲に散らばる男たちも同様だった。


 先ほどの言動でルードヴィヒが兵を掌握していることが理解出来たのだろう。ということは、ルードヴィヒがこの場に一人で出向いたのではないという可能性が男たちの中で浮上した。もしかしたら宮殿の周りはブルグミュラー自慢の屈強な騎士たちで囲まれているかもしれないと。ここでルードヴィヒに手を出しても、自分たちが無事にこの国を出られる確証がないと。この場を大人しく立ち去るしか出来ることはないと、そこにいる全員が分かっている筈だ。


 意気揚々とブルグミュラーに乗り込んできたのだ。自分たちの勝利を胸の内で思い描きながら。まさか手ぶらでカベルへ帰ることなど、とてもではないが許されないのだろう。様々な葛藤がアンブロジウスたちの胸を渦巻いているようだった。


 目的を遂行することが出来ないのならば捨て身の玉砕覚悟で立ち向かおうという気迫が感じられないのも、曲がりなりにも彼らが聖職に身を置く立場故か。はたまた、それだけ愛国心が薄いのか。どちらにしても、母国や教皇に対しての忠誠と自身の身の安全を秤に掛けているのは一目瞭然だ。


 そんな覇気のない者たちに大国と謳われるこの国がいいように掻き乱されたのかと思うと酷く滑稽に思えて、ルードヴィヒは込み上げる嗤いで喉が鳴りそうになる。


 しかしこちらも既に先手は打っている。長年曝け出してきた容易く潜り込めるであろう穴をこの時のために埋め、完全に退路を絶った。最早ブルグミュラーをどうこうしようなど不可能に近い。男たちに選択できる道はただ一つ。諦めるという道しか残されていないのだ。栄華はこの国に仇なすものの末路には訪れることはないだろう。


 その時、アンブロジウスがふと微かに目を見開いた。


 それは何かに気が付いたような表情だった。


 一瞬だけ考え込んだ様子を見せた後、ルードヴィヒに視線を絡めてきたその目は嗤っていた。そして次の瞬間、アンブロジウスは勢いよく後方を向いた。


 その視線の先には、華奢な身体を横たえ瞳を閉ざしたままのカレナの姿があった。


 しかし、それも既にルードヴィヒの中では想定内の行動だった。あまりに予想通りに動く相手に失笑を堪え切ることが出来ないほどだ。


 レドラスの街での襲撃の際に見せたルードヴィヒの咄嗟の行動は、カレナがルードヴィヒの弱点になり得るのだと男たちに思わせたのであろうことは分かっていた。しかしそれは、ルードヴィヒが心の奥底に抑え込んでいる更なる醜い怒りを引き出す切欠になるということは、彼らにはまったく理解出来ていないのだろう。


 許す筈がない。カレナを盾に使おうなどという行為を。


 実際にそれをされたら、恐らくここに来る前に誓ったこの宮殿での無血決着などきれいさっぱり忘れ去り、この美しく磨かれた床は血溜まりと死体の山で埋め尽くされる事になるだろう。


「リック!」


 アンブロジウスの動きを注視していたルードヴィヒの鋭い声が、緊迫した空気漂うその空間を震わせた。そしてその声を合図に、荘厳に造られた室内の各窓が外側から激しく打ち破られた。繊細な彫りものが施してある窓枠が無残に折れる音と、頑丈な厚手のガラスが派手に割れる音が室内に大きく響く。


 部屋にいた男たちは突然の襲撃に一瞬怯んだものの、意外にも素早い動きで剣を抜き身構えた。


 しかし、窓からの乱入者たちのそれを上回る身のこなしに阻まれる。


 窓付近にいた数人の男たちの手から抜き身の剣が放され、空中に弧を描いてから窓の残骸が散らばる床に虚しく転がった。


 部屋に飛び込んできたのはフェリクスと、ルードヴィヒをただ一人の主として仕える黒衣を身に纏った者たちだった。


 人数でいえば確実に男たちの方が有利ではあるだろう。しかし黒衣の者たちの、獲物を捕らえようとするかのような鋭い視線と影の者特有の雰囲気、明らかにこういった場に慣れていることを窺わせる動きに、男たちは完全に戦意を喪失したようだった。


 その黒衣を身に纏ったうちの一人である王子付き侍女という肩書を持つジルケは、目的の人物を目に留めるなり素早い動きで背後に庇うように男たちの前に立ちはだかった。


 突然の乱入者に男たちは為すすべなく只々立ち竦むだけだった。


 カベルの教皇より直々に命を受けたであろうアンブロジウスも、隙無く前に立ち塞がるジルケのせいで踏み出した足を止めざるをえなかった。


「存外諦めが悪いな。無駄な労力の消費は控えた方が賢明だというのに」


 そう言いながらルードヴィヒは冷笑の浮かぶ顔でアンブロジウスを見据えた。


「良い事を教えてやろう。我が国の騎士団を数刻前にレックスロートに向かわせた。今から急ぎ向かえば、それよりも先にレックスロートとの国境に辿り着けるかもしれないぞ。祖国に向かうか、それともそのまま他国に逃亡するかはお前たちの自由だが」


 表立って軍をレックスロートに向かわせたとなれば、軍事大国として名を馳せるブルグミュラーはレックスロート側に付いたという他国に向けての意思表示となる。カベルは目的の遂行に失敗したと判断し、レックスロートとの戦いに終止符を打たざるを得なくなるだろう。


「逃がすのか?俺たちを」


「今更お前たちを放逐したところで、我が国の痛手には最早ならんだろう。それよりも、早く向かったほうがいいぞ。この国の騎士たちの行軍はあまりにも速いことで有名だ」


 ブルグミュラーの屈強なる騎士団は個々の能力も然ることながら、大陸一と謳われるその強さの所以は統率のとれた部隊にある。集団戦に関してはフランツ一世の時代から敗戦の記録は皆無であった。その強大な部隊でありながらも俊敏で統率のとれた動きは、素早い動きで獲物を狩る大鳥のようだと讃えられている。


 その声は遠く北方の国々にも届いている筈だった。自らの主への忠義に厚いこの男は今の言葉で、現在でも死力を尽くしているレックスロート戦において更なる危機感を募らせたことだろう。


 アンブロジウスは嘲笑うルードヴィヒに舌打ちをした後、唇を噛み締めて周りを見渡した。


 立ち竦む男たちと、寸分の隙無く張り詰めた気を漂わせる黒衣の侵入者たち。数では自分たちの方が勝っているものの、明らかにこなしてきたであろう場数が違う。指先一つでも動かそうものなら即座に容赦ない攻撃の手が伸びるのではないかという恐怖感が、棒立ちになっている男たちの内に渦巻いている。その表情からは完全に戦意喪失している様が窺えた。


「くっ、行くぞ!」


 アンブロジウスの憎しみがこもっているような低い声に、立ち尽くしていた男たちはそれぞれ全員が我に返り、微かに安堵の表情を見せながらその足を踏み出した。


 集団の先頭を歩くアンブロジウスが、出入り口の横で壁にもたれるようにして立つルードヴィヒの脇を通り抜ける。


 それをルードヴィヒは逸らすことなく真っすぐに見つめていた。


 逃亡も身の振り方の一つの案だと口には出したものの、ルードヴィヒはアンブロジウスが祖国を見捨てられずにカベルに帰国するだろうことは承知している。自身の打算で動くような男ならば、娘にいいように振り回さるような愚かな公爵を早々に切り捨てていただろう。スッペ公爵は決して国の頂点に立てるような器ではない。それはアンブロジウスもわかっているだろう。それ以前に、そもそもこのような王宮内での私怨に絡んだ諍いなどにここまで深入りしなかった筈だ。


 ここでこの男たちを捕らえるのは容易いことだが、それよりも生きて帰すほうが余程利が大きい。ルードヴィヒは敢えて男たちを放すことを選択した。


 アンブロジウスにはこのブルグミュラーの真の脅威が何であるかを伝えて貰わねばならない。この男が自身の目で見てきた事や感じた事すべてを、カベルの頂点に立つ者に。実際に経験した者の言葉は、敵の危機感をより煽ることが出来る確実な方法だ。

 

 ブルグミュラーの実権奪取に失敗したこの男は、恐らく教皇庁の上層部に糾弾されるのは必至だろう。それがわかっているにもかかわらず、それでもなお祖国のため、忠誠を誓っている主人のために動こうとする。しかしその強い信念があるのなら、もっとほかの道もあったのではないかとルードヴィヒは僅かばかりの憐れみにも似た感情を抱いていた。


 しかし、ここで釘を刺しておかなければ、後々こちらの障害と為り得るかもしれない。僅かな禍根のさえも抱かせないように。


 ルードヴィヒは、宮殿の外へ出るために真横を通り過ぎようとしているアンブロジウスに、先ほどまでの笑みを消し去り強い意思の宿った表情を作った。


「二度はないと思っているが、もしこの先我が国を脅かそうなどという下らぬ企みを考えるようであれば、お前たちの国を一つ潰すくらい造作もないことだと、お前の主人に伝えておけ」


 ルードヴィヒの威圧的な言葉に、アンブロジウスは眉間に皺を寄せて僅かに顔を歪めたものの、すぐに宮殿の外へと足早に去って行った。





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