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青銀の闇 4

 気配を殺して窺ったラウフェン宮殿の一室。


 目に飛び込んできたその光景に、ルードヴィヒは気が狂いそうなほどの怒りが湧き上がった。


 狂おしいほどに、手に入れたくて仕方がなかった人。


 そのカレナが別の男に腰を抱かれていた。


 激しい怒気を振り撒くルードヴィヒの脳裏に咄嗟に浮かび上がったのは、人伝に聞いたカレナの言葉。


 自分も信じていいのだろうか。


 カレナのことを。


 二人の未来を。


 ルードヴィヒは先ほどまで宿していた自分の衝動を抑え込んだ。


 怒りで真っ赤になった思考を、ゆっくり息を吐き出して鎮めていく。


 決して、この宮殿で血を流させてはならない。


 気がれるほどの、この苦難を乗り越えなければ。


 この大国を背負う者として。


 カレナのすべてを手に入れる権利を得るために。


 ルードヴィヒは大切な存在をこの手取り戻すべく、作り慣れた笑みを張り付かせて口を開いた。







 ルードヴィヒの突然の登場に、詩人の間と呼ばれる部屋にいた全員の視線が出入り口に集中した。


 公爵の焦りが手に取るように分かり、ルードヴィヒは心の中でほくそ笑む。


 それでも自分が一人だと知れば、逃げ道を模索するだろう。


 恐らくは、愚かな王子を懐柔するという方法で。


「なぜここに……。フランツさま。外に誰か居ませんでしたか?」


「ううん。誰も居なかったよ~」


 実際には、居なくなったと言うのが正しかった。


 ルードヴィヒがこの宮殿に着いた時、スッペ公爵の下僕と化しているフッガー子爵がブレッヘルト家の騎士たちを伴って裏口に張り付いていた。更には、小さな宮殿の周りには数人の見張りが付けられていた。


 だが恐らく今頃は、フェリクスが連れてきた騎士たちによって王宮の地下牢へと連行されている最中だろう。


 笑みを崩さないルードヴィヒを、公爵は玉のような汗をかきながら目を凝らして窺っている。まるでルードヴィヒの姿に、この局面を打破するための手掛かりが隠されているかのような縋る眼差しで。


 そうしてようやく気が付いたようだった。


 公爵は軽く息を飲んだ後、小さく呟いた。


 しかし、ルードヴィヒはそれを無視して部屋を見渡す。


「随分と大勢人が集まってるねえ。何の会なのかなあ。どうしてここにカレナ王女がいるんだい?」


 恐らく公爵を除いたほとんどがカベルからの使者なのだろう。


 ルードヴィヒは、カレナの腰を抱いていた男の身分を思い出す。


 先日手にした資料には、ある国の内紛の様子が詳細に記されていた。それも、隣国をも巻き込んだ大規模なもの。


 私利私欲のという名の毒に浸食された権力者に、自分を重ね合わせる。求める対象が違うだけで、やっている事は自分と同じなのかもしれない。国の力と自身の身分を笠に着て、ただ奪うだけの略奪者。


 もしかしたら目の前の男たちも、国や自身の信じるもののための信念で動いているだけなのかもしれない。だがそれでも、この男たちがカレナを傷つける者だと分かった以上、手加減することは出来ないだろう。


 口籠るスッペ公爵を尻目に、ルードヴィヒは視線を落とした。


「エリー、どうしてそんなところに座り込んでいるんだい?」


「フランツさま……」


 内心は不本意ながらも、ルードヴィヒは忌々しく思う女の名を呼んだ。


 エルフリーダは焦点の定まらない虚ろな瞳でルードヴィヒをじっと見つめていた。


「もしかして、エリーがカレナ王女を連れ出したの?」


 座り込む女の身体が、面白いくらい大きく揺れた。


 その様子に、ルードヴィヒは彼女が神々しいと評す笑みを浮かべる。


 思う存分酔い痴れろ。


 恐らくは、その濁った瞳にこの姿を映し出すのは最後となるのだから。


 ルードヴィヒは、笑顔に隠された心の中の嘲笑をひた隠した。


「エリーはもしかして僕のためにカレナを連れ出したの?」


 案の定、女はルードヴィヒの姿に陶酔したように頷いた。


「エリーは、僕が好きでもない女性と婚姻を結ぶ事を心配して、カレナ王女を連れ出したんだね」


 その場に立ち上がったエルフリーダは、フランツの言葉に幾分ほっとしたように肩の力を抜いた。


「そうですわ。フランツさまの愛を受け取るのは、わたくしだけですもの」


「僕のことを考えてくれたんだね。ありがとう。嬉しいよ」


 正気を失えば失うほど、ルードヴィヒには都合が良い。


 現実を見るな。


 幻想に耽り、余計な思考は追い払え。


 目の前に立つこの自分こそがすべてだと思い込め。


 ルードヴィヒはエルフリーダに向けて心の中で繰り返し呟く。


 こちらに向かって歩き出したエルフリーダに、ルードヴィヒは視線を絡めたまま腕を開いた。


「フランツさまっ!」


 勢いよく飛び込んできたエルフリーダを柔らかく抱きながらも、ルードヴィヒは黒い衝動と戦っていた。


「ありがとう。きみのような女性を側室に迎えられるなんて、僕は幸せ者だね。きみはいつも僕のことを考えてくれていると思っていたよ」


「ええ。フランツさまのことだけを、ずっと想っておりました。わたくしこそが、フランツさまの妃に相応しいのですわ」


 このまま首に手を掛けて息の根を止めてしまいたい。


 女を抱くこの腕を上に移動させたら、どれほどの快感が得られることか。


 カレナに対して湧き上がるものとは別の種類の黒い感情を、ルードヴィヒは無理矢理抑え込んでエルフリーダの言葉に頷いた。


「そうだね。きみこそが、僕の寵妃に相応しい。僕のために色々動いてくれていたんだよね?」


 ここからが本題だ。


 素直に答えてくれさえすれば、夢を見たまま旅立つことが出来るように情けをかけてやるくらいはしてやろう。


 実の父親に駒として扱われたことへの憐れみと、刃を向けたことへの称賛の意味も含めて。


 ルードヴィヒの甘い囁きに、エルフリーダは嬉しそうに笑った。


「そうですわ。わたくし、フランツさまのために内緒で色々してきましたの。だって、わたくしからフランツさまを取り上げようとなさるんですもの」


「そうだね。僕の相手はエリーしかいないのに、皆は分かっていないよねえ。ハルト侯爵令嬢を追い払ってくれたのも、きみだろう?」


 ルードヴィヒは言葉を促すように胸元にある薄茶の髪を撫でた。


「ええ。わたくしとフランツさまの仲を壊す者は許せませんわ。だから、二度とフランツさまに近付けないように、顔に痕が残るような傷を付けてやりましたの。ふふっ。案の定、病気だと言って領地から出て来れなくなったみたいですわ」


「その後に貴族令嬢を三人ほど僕から遠ざけてくれたのも、きみでしょう?感謝してもしきれないよ」


「当然のことをしたまでですわ。フランツさまとわたくしのあいだを邪魔する者は、排除されるべきなのです」


 恍惚とした表情で躊躇い無く話すエルフリーダと相反して、スッペ公爵の顔色が徐々に青褪めていく。


 その様子から察するに、貴族令嬢たちの襲撃事件はエルフリーダ単独の犯行なのだろう。


 四年程前に起きたその事件は極端に目撃者が乏しく、決定的な証拠を確保することが出来なかった。令嬢の親たちは襲撃されたという事実に体裁と娘の矜持きょうじを慮り、事件を表沙汰にすることを避け事故や病気として処理をした。その事が犯人を捕らえることの出来なかった要因の一つとなっている。


 発覚した時点で、既に最初の被害者であるバルバラ・ハークの事件から一年が経過していた。騎士団の警邏隊の報告をフェリクスの父親であるマイヤー騎士団長が偶然目にして、事件は芋蔓式に発覚した。


 ルードヴィヒの耳に入ったのは、襲われた令嬢たち全員がルードヴィヒの婚姻相手になり得る可能性を秘めた貴族の娘ばかりだったからだ。調査の結果、人を雇ってのエルフリーダの犯行ではないかと見当はつけたものの、それを実証できる証拠を見つけることが出来なかった。


 令嬢たちに好意を持っているわけではないが、その中にはいまだに杖をついていないと歩くことが出来ない者もいる。再び襲われるのではないかと、日々怯えて過ごす者もいる。             


 自分と年が近い貴族令嬢というだけで襲撃を受けたという事実に、せめて犯人を見つけ出し安心させてやりたいと思っていた。


 そして何よりも許すことの出来ないのは、罪の無い女性を傷つけた事ではなくて、カレナを傷付けたというこの女の最大の過ち。


 まだ、父親であるスッペ公爵の操り人形として行動しているだけだったのならば、同情くらいで済んだのかもしれない。


 だがそれも、随分前に怒りという感情に姿を変えた。


 盲目的にフランツ王子だけを求め続けてきた憐れなエルフリーダは、手駒だと思い込んでいた公爵の思惑さえも飛び越えて狂気の世界へと足を踏み込んでしまったのだ。


 彼女の持つ深い闇は、ルードヴィヒのものと酷く似通っている。


 妄執に駆られるエルフリーダは、まるで自分自身を見ているようで


 もはや嫌悪の感情しか浮かんではこない。


 自身の存在を憎み、すべてのものを蔑んでいた昔のように。


 目的を果たし、ルードヴィヒは腕に抱く女と言葉を交わすことに対する自分の感情に我慢ができなくなった。もうこの女の役目は終わったのだ。女の幻想に付き合う必要は何も無い。


 見上げて来るエルフリーダ視線を交わした後、仕上げとばかりにその頭を抱き込んだ。


 真実が見え始めたのだろう。小刻みに震えながらこちらを凝視する女の父親を尻目に、ルードヴィヒはこの先の展開を思い浮かべ、カレナには決して見せない冷徹な笑みを浮かべた。








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