表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/66

眠れる獅子目覚めるとき 5

 いきなり現れた聞き慣れない暢気な声の介入に思考が片時停止した。


 すぐに我に返り扉の方向に振り向くと、そこには若い男が二人微笑みを浮かべて立っていた。


「あの……」


 誰なのかと尋ねたかった。


 しかし返ってくる答えは分かっていたのだろう。無意識にそれを避けた。


 カレナが微かに声を出すと、手前に立っている男が近付いて来る。そして恭しく腰を落とした姿勢でカレナの手を取ると、その甲に温かな唇を落として上げてきた。


「はじめまして。フランツ・ブルグミュラーです」


 にこりと微笑むその姿は、まさに太古の昔から語り継がれる夢物語の中に出てくる王子そのものだった。


 金茶色に輝くウェーブの掛かった不揃いな髪は肩より少し長めで、後ろで軽く一つに束ねている。左側は長い前髪で隠されているものの、もう片方から覗くくっきりとした二重の瞳はブルーグレイの色に光を放ち、高い鼻梁もバランス良く配置されている。透き通るほど白い肌に恐ろしいほど整った顔立ち、高い身長にすらりと長い手足。どれをとっても精巧な彫刻のように美しい。


 突然の展開に二の句が告げられずに立ち尽くすカレナを見て、王子は不思議そうに首を傾げた。


「ほらフランツさま、だから勝手に入ってはダメだって言ったでしょ?」


 フランツの後方からまた新たな声を聞いて目線を移すと、そこにはフランツと同じくらいの年齢と思われる男性が苦笑を浮かべながら立っていた。


 カレナはふっと状況を把握し、慌てて膝を折ると頭を下げて震える声を振り絞った。


「も、申し訳ございません。お初にお目に掛かります。カレナにございます」


 型通りの挨拶を返すと、カレナは再びフランツに目線を戻す。


「うん、よろしくね~。それから、こいつは僕の護衛のフェリクス。騎士団団長の息子で近衛騎士隊の隊長もしてるんだ」


 フランツの言葉に、後方に控えていた男が一歩前に歩み出る。


「はじめまして、フェリクス・パウル・マイヤーです。今後お目に掛かる機会はかなり多くなると思われますので、以後お見知り置きを」


 フランツと同じ様ににこやかに笑うこの青年も、フランツほどではないもののかなり見目が良い。


 赤毛に近い短めの茶髪に碧の瞳。クリっとした目が印象的で笑うと少し幼く見える。


「はじめまして、カレナです」


 とりあえず、驚きを隠しながらもひと通りの挨拶を終える。


 するとフランツが驚くべき言葉を口にした。


「いや~、噂どおりの綺麗さだねぇ。嬉しいなぁ僕。早く仲良くなりたいなぁ。そうだ、このあとの婚約の儀式なんて抜け出して僕と一緒に遊びに行かない~?」


 語尾をのばすのが癖なのだろうか。


 遊び………。


 いや、問題視すべきはそこではなくて………。


 あまりの発言にカレナが驚いて目を見張ると、後ろから声が掛かった。


「フランツさま!ダメですよ!またフックス宰相に怒られてしまいますよ」


 また…………。


「そうだねぇ、抜け出しちゃうとカレナ王女と婚姻出来なくなっちゃうしぃ……」


 通常の礼儀作法が見に付いているところを見ると知能障害があるとはいかないまでも、確実に何かがおかしい。

そう、なんだか幼い少年と話をしている気分になる。


 これが本当に御年二十二になる大国の王子なのか。緊張感もまったくない。


「ほら、フランツさま!そろそろお部屋に戻りますよ。王女はお食事も済まされていないようですし」


「え~、もう?」


「またすぐに儀式の時に逢えますから」


「だってまだ始まらないじゃないかぁ」


「カレナ王女もまだ色々と準備が必要でしょう」


「ん~。じゃあ、ここで一緒に食事しよぉ」


「王子御自身のお支度もありますよ」


「僕の支度なんてすぐに済むでしょう?」


「そんな簡単なものではありません。国儀なのですから」


「え~、そうなの?面倒くさいなあ」


「係りの者も待っておりますから」


 呆然とするカレナを余所に二人のお喋りは止まらない。


「そっかぁ、じゃあ仕方ないなぁ……」


「はい。では行きましょう」


「じゃあカレナ、またあとで会おうねぇ」


 急に話しかけられ我に返り、急いで返事をする。


「は、はい。また後ほど……」


「じゃあねぇ~」


 慌しく去っていく二人の後姿を見送りながら一人佇んでいたカレナに、完全にドアが閉まったのを確認したクララが近付きながら話しかける。


「なんだか……」


「当たらずとも遠からず、ってとこかしら。……でも、とても病弱には見えなかったんだけど」


 続く言葉を察知して、カレナは言葉を被せながらフランツの容姿を思い出していた。


 病弱だと聞いていたからもっと顔色の悪い小柄な姿を想像していたが、現れた男は長身で肌は白かったが病的というわけでもなく。服の上からではよく分からなかったが決して痩せぎすとはいえず、とても剣術を習うことができないくらい一日の大半をベッドで過ごしているとは思えなかった。


 あの人物が自分の夫となる男。


 政略結婚で選ばれた婚姻相手である自分を無視し続けた男。


「そんなふうに観察していたんですか?でも噂どおりにとても素敵なご容姿で。カレナさまのことを大層お気に入りのご様子でしたし」


 騙されてはいけない。


 甘言に惑わされてはいけない。


「でも当日まで姿を見せなかった釈明はしてもらえなかったわね。単刀直入に聞く訳にもいかないし、寂しゅうございました、なんて言うこともできないし」


 勢いに任せて誤魔化されたような気がしてならない。


 それとも、会いに来なかった言い訳などする気も起きなかったのか。


 たかだか政略結婚の相手に。


 感情移入など出来る筈もないと言いたいのだろうか。


「あら、そんなことすっかり忘れておりました。姫の冷静さにわたくし重ね重ね驚かされますわ」


 それでも、自分はこの国に嫁いできた花嫁。


 大国の次期国王を支えなければならない立場。


 それならば。


 役目を全うしよう。


 与えるものに同等のものを返してくれなくても。


 たとえそれが国と国とで結ばれた形だけのものだとしても。


「それ褒め言葉なの?でもまぁ、政略結婚なんてこんなものでしょうね。私ではなく王太子妃という存在が大切なんだから。願わくば、王位継承権を剥奪されないでねってことかしら」


 たとえこれが婚姻後に幾度も起こりうることだとしても、もう余計な詮索はできない。婚姻前の態度がこれなのだから、婚姻後も同じように放置されても当たり前のことだと思え、ということだと理解しよう。


 これは自分の婚姻ではなく国と国との婚姻。


 物事を見極め祖国の不利になるようなことは避けなければ。


 与えられた責務を無事果たして見せよう。


 それが自分に与えられた使命。


 安心させるようにクララに向かって笑顔を向けると、クララが瞳を潤ませながら抱き付いてきた。


「カレナさま、わたくしも全力でお手伝いいたします」


「ありがとう、クララ。頼りにしてるわ」








 扉の外側では王子とその護衛が二人揃って黙って佇んでいた。


 内側からの声がしなくなるのを確認してから顔を見合わせて歩き始める。


「フランツさまは聡明な女性を選ばれましたね」


 護衛である近衛騎士隊長の言葉に王子は満面の笑みを返しながら頷く。


「そうだろ~。僕の選択は間違っていなかっただろ~」


「フランツさま、その言葉は早すぎますよ。選択が間違っていないか否かはこれからのフランツさま次第なのですから」


「そうだねぇ~。頑張らないとねぇ~」


 フェリクスの言葉にいつもの笑顔で小さく呟く。


「それにしても、本当にお美しいですね、カレナさまは」


 二人は共に、先ほど対面した美しい女性の姿を思い浮かべた。


 意志の強そうな大きな黒い瞳も、色香を含んだ厚めの唇も、漆黒に輝く髪もすべてが女性らしく美しかった。シミ一つ無い淡黄色の滑らかそうな肌はこの国の人民では持ち得ない肌だ。男性だったら一度は跡を残したいと願わずにはいられないだろう。しなやかな曲線を描いた身体のラインは肉感的で、男性の理想とする姿そのものだ。


 小声で囁くフェリクスの言葉に、再び笑顔を戻して大きく何回も頷き返す。


「そうだろう、そうだろう。まさかあそこまでとは思ってもみなかったよぉ」


「特にあのお身体は……」


「おい!カレナ王女は僕の后になる人だぞ!変な目で見るなよ!」


 鼻の下を伸ばしたフェリクスの呟きに、眉間に皺を寄せて睨みを効かせる。


 フェリクスは慌てて顔を元に戻すと、今度は口を尖らせる。


「いいなぁ、フランツさま~」


「リック~」


 小声で指摘され、フェリクスは辺りに人がいないのを確認してから表情を引き締める。


「申し訳ありません……」


「さあ、婚約の儀頑張るぞ~!」


 フェリクスの謝罪を無視して廊下の真ん中で立ち止まったフランツは、腰に手を当てて辺りに聞こえるように雄叫びを発した。








評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ