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青銀の闇 2

 スッペ公爵の言葉の意味するものが分からずに、カレナは首を傾げた。


 公爵の姉がフランツ一世の側室だった話が、なぜ自分へと繋がるのだろう。

 

 あなたたちとは、自分と誰を示すのか。


 公爵はカレナの無言の問い掛けには答えず、そのまま話を続けた。


「わたしの姉は、当時異国の王女と婚姻していたフランツ一世の側室として、後宮に召上げられた。光り輝く宝石のように美しい、わたしの自慢の姉だった。その後も敗戦国などから大勢の側室を娶られたフランツ一世だったが、優しく穏やかな気性の姉を殊の外可愛がっておられた。同盟国出身の王妃を無下に出来ないフランツ一世は、姉に第一側室という立場を与えた。しかしそれは、フランツ一世がヘフレスという国に侵攻し、滅ぼすまでの限られたものだったのです」


 そこで、どこか懐かしむような表情を垣間見せていた公爵の表情が変わる。


 苦しそうに眉根を寄せる公爵は、それでも口を閉じることをしなかった。


「ヘフレスから帰ってきたフランツ一世は、一人の女性を伴っていた。そして、いつもと同じように側室に迎え後宮へと住まわせた。一点だけ違ったところがあるとしたら、その女を側室にすることに周りの側近たちは反対の意を口にしたが、フランツ一世がそれを退けて強硬に女を側室に迎えたことくらいだった」


 公爵が言っているのは、このラウフェンの宮殿に縁の深いあの人物のことだろう。フランツ一世が寵愛し、仕来たりを破ってまでも傍に置いた側室。


 しかし、それが自分とどう関係してくるのだろう。


 カレナは理解出来ぬまま、耳を傾けていた。


「それからだった。フランツ一世の様子に変化が見られたのは。若かりし頃は若獅子と呼ばれ、意に沿わぬ人間には敵だけでなく臣下に対しても躊躇いなく刃を向けたフランツ一世が、それ以降は戦場に赴くことを止め、臣下の言葉に対して耳を傾け始めた。笑うことの無かった厳しく精悍な顔つきは、憑きものが落ちたように穏やかな表情を見せるようになった。月に数回は訪れがあった姉のもとにも、徐々にその回数が減り、終いには後宮の側室どころか王妃にさえ見向きもしなくなった。……ヘフレスからの側室が魔女と呼ばれていたことはご存知で?」


 公爵は眉間に皺を刻んだままカレナに問い掛けた。


 ここまでは、以前に受けた報告と書物で粗方は分かっている。魔女の側室のその呼び名の所以は、アーヘン公爵から先日聞いた内容だった。


 カレナはスッペ公爵の顔を見上げて、小さく頷いた。


「フランツ一世のその側室への溺愛ぶりは、誰の目から見ても明らか。しかし当初は、瞳の色が珍しいのだろうと、周囲の態度は寛容だった。一時の流行り病のようなものだろう。そのうち熱も冷めて、王妃やその他の側室への御渡りもじきに再開されるだろうと。しかし、その熱はどんなに時が経っても冷める様子を見せなかった。それどころか、新たに娘を側室に送り込もうとする有力貴族たちを、フランツ一世はことごとく拒絶し高らかに宣言した。今後誰一人として側室は受け入れない。希望者がいれば、彼女以外の後宮に居る側室は貴族に降嫁させてもいいと」


 通常考えればそんなことを願う側室はいないだろう。ヘフレスに侵攻した時点で、ブルグミュラーはこの大陸一の軍事大国だった。本人は別として、国王との繋がりを自ら断ち切ろうとする者などいる筈がない。


「誰か、降嫁されたのですか?」


「いいえ、やはり一人もいませんでしたよ。けれど、それを期にフランツ一世は完全に魔女の側室を囲い、このラウフェン宮殿を建てました。そして、それ以外は一切見向きもしなくなったのです。既に跡継ぎであるテオドール国王は成人していたし、当時はもう一人腹違いの王子がいました。そういった意味では国王としての義務を果たしていましたからね。しかし、フランツ一世を心から愛していたわたしの姉はそのことに絶望し、病の果てに苦しみながらこの世を去りました。その後、愛しい娘を亡くした母は悲観に暮れ、病に倒れたのです」


「あなたは、それを間近で見ていたのに自分の娘を側室として嫁がせるのですね」


 王宮という権力の頂点を擁する場所。たった一人の人物の言葉で、すべてが白から黒に変わる。信じていたものが、次の日には間逆に覆されることもある。


 カレナとて王族の一員だ。そこが平和で安寧な場所ではないことを知っている。けれど、カレナはそういう環境で育ってきた。気質や習慣は違えども、同じ王族同士。ある程度の耐性は持っている。


 自分が魔女の側室と同じように多大なる寵を得られるとは思っていないが、ただ一人に選ばれなかったとしても、正妃としての重責を担う覚悟も今は出来ている。


 今のエルフリーダの様子からして、もう既に後宮に上がる前から壊れかけているのではないだろうか。それでも父親であるこの男は、彼女をフランツのもとへ送り込もうとしているのだ。


「フランツ一世の世継ぎであるテオドール現国王に政治の才がないことに、わたしの父は薄々気が付いておりました。筆頭貴族でありながらフランツ一世に諫言かんげんも進言も口にすることの出来ない、情けない父親でしたがね。その父の口癖は滑稽なことに、国の実権を握ってやる、というものでした。しかし、フランツ一世の御渡りが無くなったことで、後宮は哀れな側室たちの墓場と化しました。そして、王宮での国王に次ぐ権力を求めていた父の野望は、果たされることがなかったのです。まだ成人していない年だったわたしは何も出来ませんでした。それを見て、聞いて、すべてを知っているのにもかかわらず。姉の苦しみも、母の悲しみも、父の無念も。すべては、あの側室の存在がもたらした悲劇でした」


「それが、あなたが娘を後宮へと送り込む理由ですか?けれど、それとわたくしが王太子妃になることと何の関係があると言うのです?あなたたちとは、一体誰のことなのですか?」


 自分を脅迫してまで長年の思いを成就させようとしている公爵の言葉を敢えて聞き流し、カレナは痺れを切らして、そう口にした。


 スッペ公爵は、カレナを見下ろしたまま口を歪める。それはまるで、汚らわしいものだと嘲るような笑みだった。


「フランツ1世の側室はヘフレス出身だと言われているが、それは歪められた偽りなのですよ。彼の側室はラヴィーナの出身。容姿から見れば恐らくは、カレナさまに大変近しい人物でしょう」


 思いもよらない言葉に、カレナの思考は固まった。


 言葉の意味がすぐには理解出来ず、呆けた顔で目の前に立つ人物の顔を凝視する。


 口を開くことの出来ないカレナに、スッペ公爵はくっと喉で笑った。


「心当たりが無いようですが、真実ですよ。以前、偶然耳にしたことがあったのです。ラヴィーナに兄がいると。そして、フランツ王子のもとへ輿入れしてきたあなたは、彼の側室と瓜二つ。血縁関係があるとしか思えない」


 アルトゥールの言葉が甦る。


『カレナさま、あなたはフランツ1世が寵愛したその側室の方に瓜二つなのです。まるで、その側室の方の血縁者であるかのように』


 あの時はフランツ一世の側近だったアーヘン公爵が首肯しなかったために、アルトゥールの記憶違いだろうと聞き流した。けれど、フェリクスが“ルードヴィヒ”という人物のことを隠したのと同じように、アーヘン公爵が側室の出自を隠していたとしたら。


「名は、何と……」


「存じ上げません。皆が皆、魔女の側室と呼んでおりましたから」


 血縁関係と聞いて、カレナは真っ先に父親を思い浮かべた。


 カレナの容姿は、幼い頃からラヴィーナ国王である父によく似ていると言われていた。自分に似ているのだったら、父親の血筋の者だろうか。


 だが、父親には姉と弟が一人おり、そのどちらもがラヴィーナ国内で暮らしている。年に数回は会っていたのだから間違いない。父方の叔母という可能性も無い。父の従弟も全員見知った人物だ。


 そもそも、カレナが学んだラヴィーナの歴史に出てきた王家の家系図には、カレナの知らない人物は随分遡らないと見つけることが出来ない。フランツ一世の側室に見合う年齢の女性で、他国に嫁いだカレナに近い人物など見当たらない。


 王位継承時期に国を混乱に陥れることなく平和を保ってきたのは、ラヴィーナの連綿と続く歴史であり、国の性質の現れだ。それにより他国の介入を遠ざけ、異国へと嫁いだ王女は近年では皆無だった。


「いいえ、ラヴィーナの王族に他国に嫁いだ者などいないわ。何かの間違いではなくて?」


 カレナは視線を床へと落とし、力なく何度も首を振った。


 そうしながらも、カレナはこの宮殿の二階に飾られていた一枚の風景画と、書庫通いの際に聞いたクララの言葉を思い出していた。


 公爵の言ったことが真実ならば、あの絵が側室の気に入っているものだという話の理由が納得のいくものとなる。


 ラヴィーナの王族に魔女がいたという噂を耳にしたことがあると言ったクララ。 


 もし仮にその魔女の側室がラヴィーナの王族だったとする。


 ではなぜその側室の出生の事実は、ラヴィーナの歴史書から消し去られてしまったのだろうか。


 否定しながらも考え込むカレナを見下ろし、公爵は楽しげに笑った。


「先ほども言いましたよ。あなたがこの国に嫁いできたのは運命なのだと。あなたが正妃として選ばれた時に、どうしても腑に落ちないものを感じました。それと同時に嫌な予感もね。だが、あなたは正妃としてこの国に来るのだからと自分を納得させました。まさか姉の時と同じことなど起こる筈がないと。わたしの思惑通り、フランツ王子はあなたに興味の欠片も持っていないようでしたしね」


 カレナは再び公爵を仰ぎ見た。


 まるでカレナの苦悩を知っているかのように、スッペ公爵は笑みを深めてこちらを見下ろしている。その微笑みは、先ほどエルフリーダが見せたのと同じ種類のものだった。


「しかし、それは間違いだった。カレナさま。聖女であるあなたを得た今、浮かび上がる真実とは一体何の事なのでしょうか。わたしは今まで、その真実とはフランツ一世の変貌を指し示すものだと思っておりましたが。さて、あなたは何を知っているのでしょうか」


 まるで自分自身に問い掛けるような口調で言葉を紡ぐスッペ公爵。しかし、視線は確実にカレナを捕らえていた。


 黒の聖女が現れることで口を開く真実。


 それは、カレナにさえも知らされてはいない先見師から告げられた予見。答えられる筈がない。


 けれど、ここでカレナがその事を知らないと分かればどうなるのだろう。知っていると口にすれば、僅かでも先行きは変わるのか。それとも拷問にでもかけられるのが落ちだろうか。


「わたくしは何も知りません」


 出した結論は、結局真実を話すことだった。


 スッペ公爵は自身の野望にカレナが邪魔にはならないだろうと判断したのだ。益はあっても損はないと。そして行動を起こした。あわよくば、カレナの弱みを握り傀儡にすればよいのだと。


 しかしここでの会話で、カレナの存在が公爵を危うい立場へと導いてしまう可能性が出てきたことに、全員が気付いているだろう。


 そこまで考えてカレナははっと気付いた。


 公爵はエルフリーダを側室として上げてしまえば、フランツさえも容易く操ることが出来ると考えているのだと。先ほどまでは、カレナもそのリストに加わっていたのだと。


 そして、自分たち以外に障害となる人物は――――――。


「まさか国王陛下を……」


 目を見開いて見上げたカレナに、公爵は明らかに悪意に満ちた笑みを浮かべて視線を逸らさぬまま腰を落とした。


 絡んだ視線に、カレナの背筋が凍る。


「そういうことに聡い女性は操ることが難しそうだ。真実を知られたからには、このままあなたを帰すことは難しいですね。まあ、わたしの計画に無益どころか有害な人物だと分かった時点で、あなたの行く末は決まっていましたがね。長年の恨み辛みをあなたにぶつけるのは、さぞかし楽しいことでしょう」


 そう言うと、公爵は伴っていた男を振り返る。


「早々にここを立ち去らないと危険だな。とりあえずカレナ王女を静かにさせてくれ」


 公爵の言葉に、男はナイフを片手に無言でカレナに近付く。


 恐らく抵抗しても無駄なのだろう。けれど大人しくされるがままになることなど出来ない。


「やめて……」


 カレナの脳が激しく警笛を鳴らす。


 座り込んだままの体勢で後退りはじめたカレナに、男は精悍な顔を歪め楽しそうに笑った。


「大人しくしていないと危ないぞ。ああ、それとも傷つけられるほうがお好みか」


 その言葉に顔色を変えるカレナの後ろに素早く回り込むと、男は耳元に口を近付け生温かい息を吐いた。


 びくりと身体を強張らせるカレナを見て、今度は声を出して笑う。


「はははっ、俺が国に連れ帰って飼ってやる。もしかしたらあの方が欲しがるかもしれないな。気高く美しい王女を力づくで捩じ伏せるのは、さぞかし気持ちがいいものだろうなあ。ああ、毎日新しい傷を一つずつ増やしていくのも楽しそうだ。身体中が俺の付けた傷で埋め尽くされる頃には、あんたは完全に堕ちているだろう」


 熱を含んだ吐息がカレナの耳を掠める。


 耳元で紡がれる囁かれる残忍な台詞に、眦に涙が浮かび上がった。


 男はその様子を覗き込み満足そうな表情を作った後、懐から出した布でカレナの鼻と口元を覆った。


 薬草のような強い匂いが鼻を突く。


 あまりの気持ち悪さに吐き気が込み上げる。


 カレナは何とかしてそれから逃れようと、懸命に頭を動かした。しかし伸びてきた手に頭を抱えられ、それはすぐに徒労に帰する。


 その弱々しい抵抗は、男の嗜虐心を大いに煽っただけだった。


「安心しろ。副作用は一切無い。元はエルフリーダ嬢のために用意したものだからな」


 数十分ほど意識が途絶えるだけだと付け加えた男は、ナイフを持っていた腕をカレナの腰に絡めた。


 しかしその腕の感触を嫌悪するよりも先に、カレナの意識はゆっくりと闇の中へと落ちていった。






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