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青銀の闇 1

「わたくしはフランツさまの正妃としてこの国に参りました。たとえ、一時の寵さえ得られないのだとしても、ラヴィーナには帰りません。婚姻は破棄しません」





 ラウフェン宮殿の一室は水をうったように静かだった。


 そんな僅かばかりの静寂を破ったのは、険しい視線を交わしながら憎しみにうち震えるエルフリーダだった。


「殺してやる、殺してやるわ」


 少し脅せば首を縦に振ると思っていたのだろう。エルフリーダはカレナの言葉に拳を握りしめ小刻みに震えながら、深紅の唇から絞り出すように低い声を放った。見下ろしてくるその顔は恐ろしいまでに憎しみで歪んでいる。


「まあまあ。こんなところじゃ不味い。移動するまで待ってくれ」


 先ほどカレナを連れ帰ると言った男が、なんとか宥めようと口を開いた。


 すると、何を思ったのかエルフリーダは突然瞳を閉じた。そしてなぜか、陶酔したような恍惚とした表情を見せ、呟くように口を動かしている。


 カレナがその奇妙な行動をとるエルフリーダを凝視している時だった。


「ここにいたのか」


 エルフリーダたちは身体を硬直させ、声のした入り口の方向を振り返る。


 しかし、次の瞬間に彼らは身体の強張りを解いた。


 警戒するエルフリーダたちの前に現れたのは、やはりカレナが見たこともない大勢の男たちの姿。


「わざわざ部屋に迎えに行って差し上げたのに、王女さまはそっちで捕獲したわけか」


「ああ、悪かった。偶然にも都合よく俺たちの目の前に現れてくれて。そのまま攫ってきたんだ」


 言いながら入ってきた男たちに、安堵した様子で男の一人が機嫌よく答えた。


「そうか、そりゃあ良かった。だが、こっちは少しばかり不味いことになってな……」


 気まずそうに言って、男は後ろを振り返った。


「エルフリーダ!!」


 声を荒げ、肩を怒らせながら姿を見せたのは壮年の男性だった。明らかに他の者たちとは異なる高貴な貴族を思わせる装い。豊かな白髪の品の良い立ち姿は、この国の上流貴族だろうと容易く予想が付く。


 そして、その横に男がもう一人。平民にしては仕立ての良い服を身に纏った、三十代くらいの精悍な顔つきをした男だった。しかし、その顔に浮かべているのは笑みに近い。


「お父さま!なぜ、ここへ……」


「なぜ、ではない!何て事をしてくれたのだ!カレナ王女を攫うなど、もってのほかだ!」


「でもっ、この女はわたくしのフランツさまを―――――」


「いいか。カレナさまは我が国とラヴィーナのために輿入れしてきて下さった。成婚の儀だけは、なんとしても成功させなければいかんのだ。滞りなく行われるために、我々は全力でそれを助力するべき立場にいるのだぞ。今お前一人の気の迷いでどうこう出来る問題ではない」


 エルフリーダに対峙する男を、カレナは食い入るように見つめていた。


 エルフリーダの突然の行動に激高しているのは確かだろう。けれど、目の前の男は後宮にあがるエルフリーダの父親であるこの国の公爵。カレナの存在を良く思っていないことなど容易に窺える。それでも公爵という立場上、カレナをぞんざいに扱うことは出来ないのだろう。先ほどの言葉は、成婚の儀が済んでしまえば次は娘の番だ、とでも遠回しに仄めかしているようだった。


 公爵はエルフリーダを後方に押しやると、背を向けていたカレナの前に片膝ついて頭を下げた。


「カレナさま。娘が無礼な行いをして大変申し訳ありません。この娘はわたくしからきつく言い聞かせておきますので、何卒お許し下さいませ」


「この手の拘束を解いて下さるのが先なのではないのですか?」


 カレナは、目の前に腰を落としたスッペ公爵に目を細めた。


 害意無きことを示すのならば、先に後ろ手に拘束している紐を解くべきだろう。しかしそれよりも何よりも、こちらを見つめてくるその目は謝罪を口にする男のものではなかった。どこか怪しげな炎が揺らめいている。カレナは平静を装って指摘した。


 そんなカレナに、公爵は真剣な顔をして驚くべきことを口走った。


「このことを他言無用に、と仰って下さるのならばすぐにでも解いて差し上げます」


「……本気で言っているのですか?」


「ええ。ああ、時にカレナさま。あなたはアーヘン公爵嫡孫であるアルトゥール・クロスを大変お気に入りのご様子で。もし万が一、それがフランツ王子やその側近たちに知れたらどうなりますかな」


「わたくしとアルトゥールのあいだには何もありません。わたくしを脅迫するのですか」


 なぜ、アルトゥールとのことを知っているのだろう。カレナは、王都を訪れた時のフランツも同じような口ぶりだったことを思い出す。自分の行動は、周囲に筒抜けなのだろうか。しかも脅迫紛いの台詞を淡々と口にする公爵は、王族に仕える貴族に有るまじき行為。


 カレナは上品な口髭を蓄えた公爵の顔を睨みつけた。


 しかし、公爵は自分の提案した交換条件をカレナに了承させられると、確信したような笑みを浮かべた。


「とんでもございません。これは嘆願でございます。ご了承頂けるのであれば、カレナさまがこの先王宮で平穏無事な生活を手に入れられるように、ブレッヘルト家は尽力させて頂きますが」


「お父さま!」


 怒気が籠った鋭い声が後方から聞こえる。


 公爵の言葉に逸早く反応したのは、やはりエルフリーダだった。


「黙っていなさい、エリー。もとはと言えばお前の浅はかな行動が招いた結果。口出しは許さない」


 振り返ってエルフリーダを一瞥した公爵は、すぐにカレナへと視線を戻した。


「どうですかな。これでも筆頭貴族の一員でしてね。国のための婚姻で寵が与えられない王妃の立場は、それはそれは辛いものがあるでしょう。アーヘン公爵嫡孫との逢瀬も、こちらで便宜を図りましょう。決して悪いようには致しません。ただ黙っていて頂けるだけでよいのですよ」


「嫌よ。許さないわ」


 カレナが拒絶の言葉を吐くよりも早く、後方から唸るような低い声が掛かる。


 声音が変わったことで、公爵はエルフリーダの方へ再び顔を向けた。そして、瞬時に身体を強張らせた。


 公爵の様子の変化にカレナは身体を少し捩じらせて、視界を遮っていた目の前の男から顔を出した。


 そして、その目に飛び込んできたものに息を飲む。


 エルフリーダは怒りに打ち震えながら、カレナを傷付けた短剣を両手で握り込んでいた。


「エリー…………」


「駄目よ。許さないわ。だって、聞いたんですもの。その女はフランツさまに選ばれた黒の聖女だって。フランツさま自らその女を欲したって。そんな女、フランツさまのお傍に置くことを許せるわけがないでしょう」


「なに?それは真実なのか?」


 スッペ公爵はエルフリーダの言葉に思いのほか驚き、即座に立ち上がった。


 しかし、エルフリーダの方はそんな父親の言葉など聞こえてはいないようだった。


「お父さまがその女を王宮に戻すと仰るのならば…………わたしがそれを阻止するわ!」


 後半は叫び声に近かった。


 エルフリーダは握り締めた短剣を前に突き出し、こちらに向かって突進してくる。だがその刃先は、カレナではなく一直線に公爵を捉えている。あまりの娘の行動に、目の前の背中は微動だにしない。遠巻きに眺めている男たちも動く気配がなかった。


 しかし、それは公爵まで届くことはなかった。


 公爵と共に現れた男が小さな光を放ち、次の瞬間にはエルフリーダが片手を押さえて崩れ落ちた。


 今まで一言も話さず身動きさえしなかった男は、今も同じ気味悪い笑みを浮かべたままだった。


エルフリーダを襲った小さな光に何となく見覚えがある気がして、カレナはエルフリーダの周囲に目を凝らすと、近くに小さなナイフが一本落ちていた。


「お、おい!何をしてるんだ!」


 エルフリーダに殺意を向けられたにもかかわらず、公爵は青白い顔をして娘へと駆け寄った。父親に支えられたエルフリーダは、身体を丸めて微かな嗚咽を漏らしている。


「助けて差し上げたんだが、随分な言い方だな。心配しなくとも、皮一枚掠ったくらいだから傷はすぐに塞がるさ」


 彼らの会話に耳を傾けながらも、カレナはその放置されたままのナイフを凝視していた。


 見覚えがあるのも当然だった。それは以前にカレナを狙い、フランツを傷付けたナイフとまったく同じものだったからだ。


 カレナが恐る恐る顔を上げると、男は精悍な顔を嬉しそうに歪め鼻で笑った。


「はっ、憶えていたようだな。あのような状況だったにもかかわらず、記憶力がよろしいようで。公爵、どうする?」


 ぼろぼろと涙を流し始めたエルフリーダの小さな傷口に布を巻いてやり、脇で寄り添っていた公爵は、男の声を聞き徐に立ち上がった。そして、険しい表情でまっすぐカレナを見つめ、一歩一歩その距離を縮めてくる。その顔は、先刻自身の優位を確信したものとは明らかに違っていた。


「そんな、余計なことに気が付くところも本当によく似ている」


 カレナはその表情に強い憎悪の色を感じ、先ほどの悪寒が甦る。それでもなんとか気を保ち、毅然とした態度で公爵の視線を受け止めた。


「つくづく、あなたたちは我々ブレッヘルト家の邪魔をしてくれる」


「あなたたち?」


「今思えば、あなたがこの国の地を踏んだのは運命だったのかもしれない。黒の聖女はあの側室だとばかり思っていたが、もしやあなただったとは」


「どういうことですか?」


 カレナの問い掛けに、スッペ公爵は目を細めて忌々しげに吐き捨てた。


「わたしの姉はフランツ一世前国王の第一側室だったのだよ」






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