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真紅の狂想 4

 庭園でフェリクスと別れたエルフリーダは、そのまま父親の執務室へと直行した。


 部屋の主は既に議会を終えて戻っていたが、愛娘の不在を欠片も気にした様子は見せなかった。

 

 エルフリーダは執務机で何かを書きとめていた父親の正面に立つと、まっすぐにその顔を見つめて口を開いた。


「お父さま。わたくしエルフリーダはどんなことをしてでもフランツさまの妃の座を手に入れます。たとえ周囲を敵に回すことになろうとも、必ずこの願いを叶えて見せますわ」


「エリー、どうしたんだ?いきなりそんなことを言うなんて。……まさか、王子に会ったのか?!」


 突然のエルフリーダの宣言に父親は目を丸くして驚き、次の瞬間慌てたように立ち上がった。


「いいえ。お会いしてはおりません。ですが、わたくしの決意をお父さまにも聞いておいて頂きたかったのですわ。勿論、お父さまはわたくしの力になって下さいますでしょう?」


 理由が理由だっただけに、エルフリーダは今日の一件は伏せておくことにした。しかし、父親は自分にとっての最大の理解者である。高貴で有力な貴族である父親の助力なくしては、この望みを叶えることは不可能だろう。ならば、父親に自分の想いを知っておいてもらわなければ。


 麗しいフランツさま。


 愛しいフランツさま。


 あなたが自分のものになるのならば、何を犠牲にしても構わない。


 たとえ誰かをこの手で傷つけることになろうとも。


 あなたが手に入るのならば、魂をも売り渡すことさえ厭わない。


 たとえこの身が闇に囚われることになるのだとしても。


 この望みが叶うのならば、神さえも敵に回して見せましょう。


「当然だとも、エリー。お前ほど王子の婚姻相手として相応しい娘はいない。王子の妃になるのはお前しかいない。わたしはどんな事があってもエリーの味方だよ。わたしの力のすべてを使って王子とお前の婚姻を実現させてみせようじゃないか」


「お父さま、ありがとうございます」


 にこやかに微笑むエルフリーダのその瞳は、もう既に獲物を狙う女のものだった。

 





 それからしばらくして、フランツの婚姻話が初めて国政議会の話題に上った。そこで候補としてエルフリーダの名が挙がったのは勿論言うまでもない。しかし、名前が読み上げられたのはエルフリーダ一人だけではなかった。


 ハルト侯爵子女バルバラ・ハークもその一人だった。スッペ公爵に比べかなり年若いハルト侯爵は、直近で筆頭貴族の仲間入りを許された人物だった。王家に絶対の忠誠を誓った実直さと、勤勉な仕事振りを見込まれての拝命に、他の貴族から珍しく反対する声が上がらなかった稀有な存在として貴族のあいだでは有名となっていた。


 そのハルト侯爵の娘のバルバラはエルフリーダの二つ年上で、フランツとは二歳違い。母親似の愛らしく可憐な容姿は社交界でも話題になっていた。それを見込まれて筆頭貴族の一人から、フランツの婚姻相手として推薦を受けたという。


 その話を父親から聞いた時のエルフリーダの形相は凄まじいものだった。怒りに身体を震わせ、まるで呪いの詞を吐くかのように延々と何かを呟いていた。実の父親であるスッペ公爵でさえその姿に背筋を凍らせたほどだった。


 しかし、程なくしてバルバラの名前は国政議会から消え去ることとなった。巷の噂では、体調を崩し別荘での療養に入るためだということだった。


 こうして、再びフランツの婚姻相手の候補はエルフリーダ一人に絞られた。しかし、現実にはその話を決定付ける王家の使者は、いつまで待ってもブレッヘルト家の屋敷の戸を叩くことは無かった。


 父親に聞けば、国王がフランツの婚姻の話題を避けているとのこと。筆頭貴族たちのあいだでも、その理由を知る者はいなかった。


 なぜ、フランツさまはわたくしの名を呼んで下さらないの。


 なぜ、わたくしのことを知らぬ振りを続けるの。


 わたくしはこんなにもフランツさまを愛しているのに。


 フランツさまもそれを承知の上で微笑み返して下さったのでしょう。


 フランツさまの妃はわたくし以外にいないのに。


 こうして、毎日のように心の中に渦巻く呪いにも似た問い掛けを繰り返しながら、時は無情に過ぎていった。






 待って待って待ち続けたエルフリーダの心が闇の深淵へと完全に堕ちてしまったのは、十八の誕生日を迎える少し前だった。


「お父さま、今何と仰ったのですか?」


 スッペ公爵はある日、王宮から王都の屋敷へと帰ってきた直後、自分の私室にエルフリーダを呼び付けた。そして、公爵は愛娘に対面している時には珍しく冷やかな口調で、恐ろしい言葉を吐き捨てた。


「南にある小国ラヴィーナの第二王女を、フランツ王子の正妃に迎えることが正式に決まった」


「……………………」


「エリー、聞いているのか?」


「……お父さま、何の冗談ですの?」


 感情の籠らない表情で見返してくるエルフリーダに、公爵は溜息を一つ吐き出して椅子から立ち上がった。


「冗談などではない。既に国王自ら水面下であちらと交渉済みだ。反駁はんばくしたところで覆されることはないだろう。この縁談に異を唱える者がいないのだ。ラヴィーナからは、我が国の今の国庫の半分をも満たすだけの支援が得られるのだからな」


「そんな筈がありませんわ。だって、国王陛下はフランツ王子の妃は他国から娶ることはしないと、仰っていた筈ではありませんか」


「少し前まではな。国力の均衡を考慮すると、こちらから申し出てまで姻戚関係を結ぶ必要がある国など無かったし、向こうから申し入れのあった国は王子の婚姻相手として迎えてもこちらに利のあるところなど一つも無かった。だが、国の情勢というものは刻一刻と変わっていくものだ。ラヴィーナに関しては、今までブルグミュラーと何一つ接点が無かった国だからこそ、何のしがらみも無いのだよ。こちらからの申し入れになるから、破棄される可能性は限りなく少ないだろう」


 もう既に、自分たちが画策した王家転覆の計画は動き始めている。当初の予定では国王と共に王太子であるフランツも亡き者にする筈だった。大国を丸ごと手中に収めるためには、それこそ王家の血は枷となる。それでも、フランツだけは生かしておこうと考えを改めたのは、その存在が容易く傀儡になり得ると判断したことと、なにより愛娘であるエルフリーダの望みのためだった。


 末の娘が異常なまでに王子の妃の座に執着しているのは知っていた。王子の婚姻話を聞いて、大切なエルフリーダが心を痛める姿を目にするのは耐え難い。しかし、そうかといってエルフリーダにとって救済とも言える自分たちの企ても、実の娘だからといって容易に明かす訳にもいかない。


 近年でソルライトが発掘されたラヴィーナは、それに伴い他国にない加工技術を確立させ莫大な富を得ている。名ばかりの正妃であろうとも、大国であるブルグミュラーに迎えるに相応しいだけのものを担いで輿入れしてきてくれるのだ。


 たとえ姻戚関係を結んだとはいえ、ラヴィーナごとき小国が遠い大国に干渉することなどそうそう出来ないだろう。婚姻の儀の後落ち着いたところで、王女を排斥するなりしてしまえばいい。いずれ時が経てば、力を持たない小国など簡単に同盟国から従属国にしてしまうことも容易い筈。将来的な展望を見据えれば、この婚姻に賛成しておく方が得るものは大きいのは一目瞭然だった。


 ただ一点だけ気に掛かるのは、それがなぜラヴィーナだったのか、ということだけだ。公にはされてはいない事柄だが、ブレッヘルト家にとってはいわく付きの国である。しかし、それを除けば国の繁栄を望む者にとっても、腹に一物抱える者にとっても、まさしく良縁だと言えるだろう。


「エリー、すまない。だが、もう少しだけ――――――」


 エルフリーダの側まで移動して、少しでも娘の悲しみを紛らわせようと薄茶の柔らかな髪を撫でながら口を開いたものの、公爵は最後まで言葉を紡ぐことは出来なかった。


 その差し出した手を逃れるように、エルフリーダが素早く身を翻したからだ。そして、こちらに対峙したその細い両手で握り込んでいるのは、鋭く研ぎ澄まされた短剣だった。


「エ、エリー?」


「お父さま、お約束して下さったではありませんか。わたくしをフランツさまの妃にして下さるって。あれは嘘だったのですか?お父さまは、わたくしの幸せを願っては下さらないのですか?」


 いつもは柔らかな光を放つ茶色の瞳は、何かに覆われたように濁っている。焦点の合っていない視線を向けられ、スッペ公爵はその場で固まった。何より、自分に刃を向けている娘の姿に衝撃が大き過ぎて足が動かなかった。


「ねえ、お父さま。誰を消せばフランツさまは手に入るのかしら?国王陛下?それとも、もしかしたらお父さまかしら」


「エリー、何を……」


「でも、お父さまがいなくなってしまったらお母さまが悲しむわ。どうしようかしら」


 明らかに、平素のエルフリーダとは様子が違っていた。表情は微笑んでいるように見えるが、その身体から滲み出ているのは怒りと憎しみが混ざり合った負の感情であることは明らかだった。


「エリー、やめなさい!」


 我に返り、公爵は咄嗟に身体を動かした。


 数十年も前に貴族の嗜みとして習った剣術の記憶を総動員して、振り上げたエルフリーダの短剣をかわす。何の心得も無いエルフリーダと、年を重ねてはいるものの男である公爵との力の差は歴然だった。


 短剣を弾き落とされて、エルフリーダはその場で蹲った。


「嫌よ!なぜなのですか!?なぜお父さまは分かって下さらないの!?なぜわたくしではないの!?なぜ!?なぜなのですかぁぁぁぁ!」


 エルフリーダの泣き叫ぶ声が公爵の耳に響く。


 スッペ公爵の血を誰よりも色濃く受け継いでいるエルフリーダ。それは外見ではなく内面によく表れていた。公爵は、ここまで一つのことに拘り執着するエルフリーダが哀れで、それでいてこの上なく愛しく思えた。


 公爵は蹲るエルフリーダの傍まで行き、静かに腰を落とした。そして、柔らかな髪を優しく撫でる。


「エリー」


 初めて口にしたのは、エルフリーダがいくつの時だっただろう。自我さえ芽生えていなかったかもしれない。それ以来、あの同じ言葉を何度も何度も繰り返し聞かせ続けてきた。


「わたしの可愛いエリー。大丈夫だよ」


 そうだった。初めてあの言葉を口に出した時点で、この娘の人生は父親である自分のものとなっていたのだ。なぜこんなことに、今更ながらに気付いたのだろう。


「お前は何も憂えることはない」


 エルフリーダを救えるのは、導くことが出来るのはこの自分だけなのだ。


 スッペ公爵は目の前のエルフリーダを抱え起こした。


「わたしにはちゃんと考えがあるのだよ。だから、お前が嘆く必要はどこにもない」


 この娘は自分の駒でもあり、自分の半身でもある。


 さあ、共に行こう。


 案ずることは何もない。


「お前は王子の妃になるのだから」


 スッペ公爵はエルフリーダの更に奥に隠された炎に気が付かぬまま、甘美な誘いの言葉を口にした。









すいません。

今回ちょっと長めです。

どうしても切ることが出来ませんでした。

読み辛かったら、ごめんなさい。



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