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真紅の狂想 1

 こんな隠された道があるなんて――――。


 一行は、ブランコのある場所から王宮とは逆方向の木立を抜けた所にある、林の中の細い階段を下っていた。


 後ろ手に縛られたままのカレナは時折よろめき、それを、すぐ後ろを歩く男の乱暴な腕に支えられながら歩いていた。


 名も知らぬ男に触れられることに嫌悪感で鳥肌が立つほどだったが、抵抗すれば何をされるかわからないという緊張感に飽和され成す術はない。


 傷つけられた首は時間が経つにつれてピリピリとした痛みが大きくなってきているが、それほど大きな傷ではなさそうだ。明後日の婚姻の儀では上手く隠せるのかとも思ったが、そこまで考えてはたと気付く。


 そう、明日のことなどわからない。


 自分はもう王宮には戻れないのかもしれない。


 もしかしたら最悪の事態になる可能性もある。


 もう二度とフランツには会えないのだろうか。


 その時、感慨に耽っていたカレナの視界が急に開かれた。


 目の前に現れたのは、見覚えのある淡い色を放つ荘厳な宮殿。


 薄暗い木立の中の階段を抜けた先は、驚くことにラウフェン宮殿の裏手だった。


 小さな泉の水面が風に煽られキラキラと乱反射している。


 カレナは先ほどの出来事を思い返す。


 ブランコの脇の木々のあいだから男たちが出てきた時、そこからフランツの部屋へと繋がっていると言っていた。そして、そこからものの数分でラウフェン宮殿へと到着したのだ。


 フランツは自室からこの道を通ってラウフェン宮殿へと赴いていたのだろうか。


 そんなことを考えているカレナを連れて、エルフリーダと男たちはラウフェン宮殿の裏口だと思われる扉を開けた。鍵は予め壊していたようだ。


 宮殿の中はあの日と同じように神秘的で厳かな雰囲気に包まれている。


 そういえば、あの老師夫妻はどうしたのだろう。


 まさか、捕えられてしまっているのでは。


「助けを呼ぼうとしても誰もいないわよ」


 きょろきょろと辺りを見回すカレナに、エルフリーダが冷たく言い放つ。


「老師夫妻は……」


「旅行中だそうよ」


 それを聞き、カレナはほっと胸を撫で下ろす。


 少なくとも、あの優しい老師夫妻は巻きこまなくても済みそうだ。けれども、置き去りにしてきた黒尽くめの男のことを思うと胸が痛む。


 あの男は無事だろうか。


 身に付けていたものは簡素な黒一色で、明らかにカレナを危険から守るために配備された騎士たちとは別の生業に就く者だということが分かる。カレナを助けたのだから王宮側の人間なのだろう。誰かに見つけて貰っていればいいのだが。


 鬱々とした思考に少し重くなった足を懸命に動かし付いていくと、エルフリーダたちはそのまま一階にある扉のない広間へと入って行った。


 広間といっても、小さな宮殿に見合ったごくごく小さな規模の部屋。たしか、詩会を行うための広間だ。音楽会も開けるようにと、この宮殿で一番広い部屋だったと記憶している。


 カレナは男に背中を押されて中に入ると、そのまま奥まで歩かされて乱暴な仕草で床に投げ出される。


 直後に視界が陰り、打ち付けて痛む身体に眉を顰めたまま上を見上げると、恐ろしい形相のエルフリーダがこちらを見下ろしていた。男たちは少し離れた場所から無言でカレナたちを眺めている。


「あなた邪魔なのよ!」


 エルフリーダは徐に吐き捨てるような甲高い声をカレナに浴びせかけた。


 カレナは突き刺す視線に耐えて、黙ったままエルフリーダの言葉を聞いていた。


「わたくしは幼い頃からフランツさまの正妃になると言われてすべてを捧げてきたわ!それを、あなたみたいな鉱山が見つかっただけの弱小国の王女なんかに横から取られてたまるものですか!」


 憎々しげにカレナを見下ろしてくるその瞳は、狂気を孕んだかのように揺らめいている。


「青のドレスを送ってきたのは……」


「わたくしよ。望まれてないと分かれば婚姻を破談するかと思っていたけれど、あなた相当図太い性格なのね」


「なぜ違うドレスを送りつけてきたの?」


「フランツさまが自ら選んだものをあなたに返すわけがないでしょう!その後何度も忠告してあげたのに、国に帰ろうとしないあなたが悪いのよ!」


「でも……あなた、この前フランツさまの側室に上がるって―――――」


 カレナの脳裏に、つい先日聞いた言葉が甦る。


 王子から寵を得られることの出来ない哀れで惨めな正妃。


 彼女の瞳はあの時そう物語っていた筈。


「わたくし、聞いたのよ。フランツさまが自ら選んだ聖女だって。許せないわ!フランツさまの寵愛を受けるのは、わたくしだけよ!あの方の隣に立つのはわたくしだけ!ほかの女なんて認めないわ!」


 エルフリーダはかなり興奮している様子で、発する言葉は叫びに近い。


 やはり、カレナの想像した通りだったのだ。エルフリーダは公爵家が望む王子の妃という地位ではなく、フランツの寵愛を欲している。一時的に側室という立場に満足していたのも、そのせいだろう。正妃であるカレナはただのお飾りで、寵を受けるのは自分だと思っていたからこそ、側室という立場でもまだ納得が出来ていたのだ。


 エルフリーダは心の底からフランツを愛している。


「わたくしを殺すのですか?」


 カレナは、この状況で当然のように湧き上がる疑問を口にした。思わずそう問い掛けてしまうほど、今のエルフリーダの瞳は激情の炎で揺らめいていた。


「婚約を解消してちょうだい。約束してくれれば、このまま国に帰して差し上げるわ。国同士の取引の件も父にそのまま締結されるようにお願いするわ。でも、承知してくださらないのならば……消えてもらうしかないわね」


 エルフリーダの鋭い視線がカレナに突き刺さる。


 彼女の要求はどちらを選んでも、このままもう二度とフランツに会うことは許されないということだ。


 恐らく、フランツの態度に悩み、アルトゥールの誘惑に揺れていた少し前のカレナならばすぐさま首を縦に振っていただろう。カレナがこの国に留まっていた最大の理由である、唯一の懸念材料であった取引の締結が滞りなく進むのであれば、最早カレナは必要なくなる。


 しかし、カレナとフランツとを結ぶ点と線が少しずつ姿を見せ始めた今、真実を知らないままこの国を去ることは出来ない。どうしても心の中に棘のように刺さったままの“ルードヴィヒ”という人物のことも、知らなければいけないという義務感のようなものさえ抱き始めている。


 そして、今のカレナを押し留める一番の理由は――――――。


 心の中に湧き上がった小さな想い。


 はじめて自覚した本当の望み。


 小さく芽吹いた蕾は、開花するのかさえ分からないほど儚げだけれど。


 それを自ら摘み取ってしまうことはどうしても出来ない。


 傍から見ればカレナの感情は随分と滑稽に映るのだろう。


 それでも、知ってしまったのだ。


 切ない痛みを。


 苦しいこの想いを。


 そして、優しい温もりを。


 それらが、エルフリーダの言葉に首を縦に振ることが出来ない最大の原因だった。


「それなら俺たちが国に連れて行く。これだけ器量のいい女だったらある程度の無理難題は押し通せる。そうすれば、もうこの国の土を踏むこともないだろう」


 それまで少し離れた場所から傍観者を決め込んでいた男たちの一人が、嬉々としてそう提案した。


「そうね。どのみちここでは何もできないし、迎えが来てから考えましょう」


 エルフリーダのその言葉に、カレナは心の中で首を傾げた。


 迎えがくるということは、エルフリーダに加担している者はこの三人以外にもいるということか。男は自分たちの国に連れていくと言ったのだから、エルフリーダに力を貸している者は異国の者だということになる。


 そもそも、異国の者を巻き込んでの大掛かりなものにもかかわらず、エルフリーダの行動や言動自体にどこか違和感が拭えない。


 そう、このような大事を犯しても彼女に利がある訳がない。


 先ほどのエルフリーダの言葉から、フランツが自らカレナを選んだことを知ったのは直近でのことだろう。


 カレナを庇った黒尽くめの男に暴行を加えた際、男の生死を確認することなく放置した。もしあの男が生きていて、カレナを連れ去ったのがエルフリーダだと知れたら、彼女は重罰を科せられるだろう。


 一方で、共犯である男たちはいざとなったら国に帰ってしまえば咎めは免れる。こういうことに長けた者だとしたら、当たり前のように口封じのため黒尽くめの男の息の根を止めるだろう。それをせずエルフリーダの指示通りに動いている理由として考えられるのは二つ。こういった荒事に慣れていないのか、もしくは彼らはこの件に深く関与していない上に、最悪の場合エルフリーダにすべての罪を被らせることが出来るからなのだろう。


 そして先ほどの言動。もしもカレナが婚姻を破談することに承諾し、このままラヴィーナに帰ったとする。そこでカレナがエルフリーダに脅迫されたのだと訴えたとしたら。その時もまた然り。


 この計画はあまりにも浅慮すぎる。


 エルフリーダは一時の感情に流された顛末の代償を分かっているのだろうか。


 はじめは誰かの指示が彼女を動かしているのだろうと思っていたのだが、どうやらそうではなさそうだ。


 では、この男たちは何者なのだろう。風貌を見る限りでは、レドラスの街で襲撃を受けたような暴漢たちの類でないことはわかる。どちらかというと小奇麗な服を身に付け下流貴族のように見えなくもない。どういった経緯でエルフリーダと行動を共にしているのだろう。


 現状では答えを導き出せないと判断したカレナは、事の真相を追究しようとする思考を一時休止させた。


 そして、覚悟を決めて口を開いた。


「わたくしはフランツさまの正妃としてこの国に参りました。たとえ、一時の寵さえ得られないのだとしても、ラヴィーナには帰りません。婚姻は破棄しません」


 カレナはエルフリーダの濁った薄茶色の瞳を見つめて、そう言い放った。


 愚かな行為だということは理解している。


 ここで首を縦に振りさえすれば、最悪の事態を回避出来る可能性が格段に上がるかもしれない。


 口先だけの約束でも、エルフリーダは疑いの目を向けずカレナをラヴィーナに送り届けてくれるかもしれない。


 それを分かっていながらも、その言葉を抑え込むことが出来なかった。


 たとえその場凌ぎの偽りの言葉としてでさえ、フランツとの婚姻を破棄するなどと言うことはカレナにはどうしても出来なかったのだ。






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