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幕間  フェリクスの回顧録


3章闇の片鱗第3、4話の夜のお話。


 

「ルディ、カレナさまは無事おやすみになったって」


「わかった」


 フェリクスは部屋の主にいつも通り最終報告を終え、どさりと長椅子に腰掛けると足をだらしなく投げ出した。


 連日続くルードヴィヒに割り当てられた執務と成婚の儀の警備の詰め、ルードヴィヒとフェリクスの生家であるマイヤー家の私設騎士団の伝達役など、本来行わなくても済む筈の作業が大量に加わり、フェリクスの頭と身体は限界のすぐ手前だった。


 それでも、自分よりはるかに多くの執務をこなす幼馴染たちを前に泣き言など言える筈もない。というより、口に出せばその倍の言葉で攻撃され撃沈させられるのがおちだろう。


 だが、そもそもはじめから許容量が二人とは違う。身体を動かすことは得手ではあるが、頭を使うことは苦手なのだ。それを考慮してくれても、と思わずにはいられなかった。


「はぁ~、疲れた~」


 疲労で重くなった身体を伸ばしていると、何やら鋭い視線が突き刺さるのを感じる。出所を探るように首を横に向けると、それは部屋の主から発せられたものだった。


「…………なに?」


「…………………」


 問い掛けてみても、ルードヴィヒは凍てつくような視線をフェリクスに向けたまま口を開かない。


「ちょっとぉ、なんなのさぁ~」


「………………リック、あまりカレナに余計なことを吹き込むな」


 ようやく出てきたのは怒気を含んだ低い低い声だった。ルードヴィヒの機嫌が悪い証拠である。


 恐らく今日の東屋でのことだろう。


 ルードヴィヒが苦労して承認を得た、彼自らが選んだ美しい王女。そのカレナが寂しそうに不安そうに佇んでいる姿を目にし、フェリクスは思わず声を掛けたのだ。


 案の定、切り裂かれたドレスの件で不安に思い、フランツ王子であるルードヴィヒの態度に心を痛めていた。それを取り除いてあげたいと思うのはルードヴィヒの側近として、いや、男として当然のことだと思っての今日の行動だ。


「え~、だって仕方ないじゃない。ルディがカレナさまに優しく出来ないから、カレナさまが不安に思っているんだよ~」


 そう、事情があってルードヴィヒが止むに止まれぬ行動をとっているということは、フェリクスも重々理解はしている。


 だからこそ、フェリクスの出来る範囲内でカレナの憂いを取り去りたいと思ったのだ。ルードヴィヒの諸々の正体が分からぬよう、細心の注意を払うのを念頭に置きながら。


「それに、あんな綺麗な人から潤んだ瞳で見つめられたら、そりゃあ誰だってねえ。ヴァルターもそう思うでしょ~?」


 フェリクスは、一人涼しく執務をこなしているもう一人の幼馴染を巻き込もうと声を掛けた。


「ああ……いや、まあ………」


 急に矛先を向けられたヴァルターが珍しく言い淀んでいる。恐らく、彼もカレナの美しくも憂いを帯びた姿に胸を打たれた男の一人であろう。


「おい」


 先ほどのものより更に低い声でルードヴィヒが威嚇する。不機嫌オーラが全開垂れ流しだ。


 要は、ルードヴィヒはフェリクスが話した内容が気に入らないのではなく、カレナが自分以外の男と親しげに話をしていたことに腹を立てているのだろう。俗にいう、嫉妬というやつだ。


 カレナが絡むと途端に感情豊かになるルードヴィヒ。ソルライトの鉱山が発見されて以来、フランツが色々な表情を見せてくれることがフェリクスには嬉しかった。それがたとえ理不尽な怒りであろうとも。


 怒気を振り撒くルードヴィヒに、フェリクスは笑みを零す。


「わかってるよ~。フランツ王子の大切な正妃を頑張って守るからね~」


「わかっているならいい」


 釘を刺したことで気が済んだのか、確認したことで安心したのか、ルードヴィヒは再び視線を手元の書類に落とした。


 そんなルードヴィヒに対して、フェリクスは以前から抱いていた疑問を解決すべく、意を決して口を開いた。


「ルディはカレナ王女を愛しているんだねえ」


 フェリクスの言葉にルードヴィヒは無表情な顔を上げた。そしてそのまま微動だにしない。なぜこんなにも考え込む必要があるのだろうと、フェリクスが口を開こうとしたその時、フランツが軽く溜息を吐いた。


「どうなんだろうな……」


「えっ!?」


 続く言葉はフェリクスにとって予想外のものだった。ヴァルターも驚きを隠せない表情でルードヴィヒを見つめている。


 フェリクスの先の発言は、間違いなくルードヴィヒが首肯するものだという前提での言葉だった。本来聞きたかったのはそこではないのだ。にも拘わらず、本題に入る前の意外な部分で躓いてしまったようだ。


「だって、カレナさま以外はいらないって言ってたじゃない。それってカレナさまだけを愛してるってことでしょ?」


「俺にはその言葉の意味が理解できない」


「それは……カレナさまとあんなことしたいとか、こんなことしたいとかいう願望が生まれてくるとか――――」


「リック、それは愛ではないと思うが」


 ルードヴィヒのあまりに重々しくも可笑しな発言に、少し冗談を言ったつもりだった。それを、眉間に皺を寄せたヴァルターに淡々と否定されて、フェリクスは肩を竦めた。


「冗談だってば~。でも、本当にわからないの?」


「ああ。ただ、カレナがいたから今の俺がいる。カレナがいなければ俺はとうに自ら命を絶っていた。だから…………」


 その言葉に、フェリクスの脳裏にルードヴィヒと出会った当時の記憶が甦る。


 初めての出会いはここラウフェンの宮殿だった。フランツ1世の側室が亡くなったすぐ後で、同じ年頃の話し相手をという意図でヴァルターと共に引き合わされた。プファルツの陰に隠れてこちらを見ている少年の目は、何の感情も浮かんでいない死人のようだった。


 共に時間を過ごすようになってからも、何を言っても無表情で無反応、本当に生きているのかと疑いたくなるくらいだった。それでもプファルツの言葉を信じ、王子相手という引け目を考えずに遠慮のない態度で地道に接し続けた。そして、少しずつ表情に変化が見られた時には心が躍ったのを覚えている。


「この先を共に歩むのはカレナしか思いつかない。カレナが俺の横で笑ってくれるのならば、俺は自分が幸せだと実感できる気がするんだ。この手から逃がさないようにするためにも、カレナを幸せにしなければならない。不安に怯えないように守ってやらなければならない。呆れるくらい利己的で我が儘な言い分だな。自分が傷つかないためにカレナの人生を犠牲にしようとする俺の傲慢な考えなんだよ」


 ルードヴィヒは自嘲気味に笑う。それは数年前からあまり見ることが無くなっていた、フェリクスの嫌いな笑いだった。カレナがこの国にやってきてから再び目にするようになったのは、恐らくフェリクスの思い違いではないだろう。


 ルードヴィヒは表情を厳しく歪め、フェリクスをまっすぐ見つめて吐き捨てるように告げた。


「俺はそんな思いを何というのか知らない」


 フェリクスはその表情をどうしても違うものにしたい一心で、ルードヴィヒに語りかける。


「ルディ、それが愛してるっていうことなんだよ。だって、愛は自分一人では成り立たないじゃない。それ自体が傲慢なんかじゃない。愛しているから傲慢になる。愛おしい、守ってあげたいって気持ちが愛なんだよ。ルディがカレナさまを大切にしたいって気持ちを態度で表わせば、絶対にカレナさまにも伝わる筈だよ。そしたらきっと、カレナさまも同じように返してくれるよ。現に、カレナさまは一生懸命フランツ王子を知ろうとしてくれてるでしょ?」


 フェリクスの言葉を瞬きもせず最後まで聞いていたルードヴィヒは、今度は徐に下を向いて再び口を開いた。


「カレナをどこか鍵の掛かる部屋へ閉じ込めて隠してしまいたい。その目に映るのは俺だけで、他は男でも女でも許せない。あの肌に触れる者がいれば、何の躊躇いもなく即座に殺してしまうだろう。カレナが悲しむとわかってはいるが、どうしてもこの黒い衝動を止めることができない。それでも、その思いは愛だと、お前は言えるのか?」


 絞り出すように紡がれる言葉は震えていた。


 珍しく本音らしき言葉を語ったルードヴィヒ。フェリクスは、改めて彼が感情豊かな一人の人間なのだと再確認することが出来たようで嬉しかった。


 すべての事に完璧で少し人間味に欠けた幼馴染。何事にも恐れず、すべてを意のままに操れるような、そんな印象を長いあいだ彼に抱き続けていたのだが。


「ルディ、それも愛だよ」


 フェリクスの言葉に静かに顔を上げたルードヴィヒの眦に涙の痕はない。その端正な顔は恐ろしいまでに無表情だった。しかし、これまで何度も自分自身を非難し続けてきたのだろう。こうしてずっと心の中で涙を流していたルードヴィヒの想いを考えると、胸が締め付けられるようだった。


「カレナさまを一人占めしたいっていう気持ちは、愛する人に対してなら誰でも思うことなんだ。それに、実際にはそう思っても実行はしてないでしょ?それも愛があるからなんだよ。愛する人が悲しむ姿を見たくないから実行に移さないだけなんだよ。ねっ、ルディはカレナさまを愛しているでしょ?」


 楽しそうに嬉しそうに笑うフェリクスの顔を見て、ルードヴィヒの表情が徐々に苦笑いに変わる。


 そういえば、幼い頃もルードヴィヒを何とか笑みを引き出そうとして、これでもかというくらい笑顔で話しかけていたことが幾度もあった。その度に、彼は同じ表情を見せていた気がする。


「……お前は相変わらずだな、リック。とはいっても、お前のその意見にはまだ納得がいかないが。理解できたのは、お前が阿呆だということくらいだ」


「泣き虫リックに力技で諭されるとは、ルディもまだまだだな」


 黙ったまま聞いていたヴァルターが、昔と同じように堪え切れない笑いを漏らしながら言う。


「え~、泣き虫っていつの話をしてるのさ~!」


「ああ、俺もまだまだ青いな」


「ちょっと~、二人して酷いよ~」


「初恋も未経験のリックに諭されるとは」


「いや~、一応初恋は経験済みだけど……」


 ちらりとヴァルターに視線を投げる。


「……まさか。リック、あの事か。そうならば、口に出すな」


「なんだ、ヴァルター。知っているのか?」


「うん。だって、僕の初恋はヴァルターだもの」


「リック!黙れ!」


 珍しく口調を荒げるヴァルターに、ルードヴィヒが先を促す視線をフェリクスに送ってくる。フェリクスはその要望に副うよう、嬉々として話を続けた。


「小さい時のヴァルターはすごく可愛かったんだよ~。はじめて見た時は男装してる女の子かと思ってねえ。誰にも取られたくなくて、出会ってすぐに結婚して下さいって言っちゃったんだ。その場にいた父上もフックス宰相も大爆笑。僕だってヴァルターが男だってわかってすごく落ち込んだんだよ~」


「リック、この前新しい剣を買ったんだ。その切れ味を試したくなったよ。犠牲になってくれるかい?」


 ヴァルターは女性と見紛うほどの美しい容貌を険しく歪め、徐に立ち上がった。フェリクスはそれを見て大袈裟なほど身体を震わせて逃げの体勢を整える。


「でも、ルディだけだからいいじゃな……わ~、ごめんなさ~い、ヴァルター!」


 余程消したい過去だったのだろう。まさか本当に抜くとは思っていなかった光る剣身を構えたヴァルターに、フェリクスは逃げながら謝罪の言葉を繰り返した。


 騒がしく逃げ回る最中ふと見ると、ルードヴィヒの表情は心からの笑顔に変わっていた。


 先ほどの二人の言葉に納得いかないものを感じながらも、フェリクスはその笑顔を見られただけで満足だった。


 当初の予定では、自分たちと出会う以前にルードヴィヒとカレナのあいだに何があったのかを聞き出そうという明確な目的があったにも関わらず、それはいつの間にか別のものに変わってしまっていた。けれども、末子役のルードヴィヒの笑顔をあの状態から引き出せただけでも、次兄の役目を果たした達成感が味わえたのだから良しとしよう。


 フェリクスは年下の幼馴染の顔を見て、この笑顔がいつまでも続くようにと心の中で祈りを捧げながら満面の笑みを浮かべた。







フェリクスは主に忠実な可愛いワンコ。

またはルディの頑丈な玩具。

けれども、中身はルディよりちょっぴり大人かも。


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