傍らにある闇 2
扉を出て大議会場にほど近い場所まで歩いてきたところで、左側の通路から老齢の男が足早に歩いてくるのが見えた。
最後に入場するルードヴィヒに、先ほど侍従が入場を促した。
だとしたら、貴族たちは既に入場を済ませていなければいけない筈だ。
大議会に遅れるなどどんな間抜けな貴族だろうと、ルードヴィヒはその男の顔に目を凝らした。
「フランツさま……」
「アーヘン公爵か」
公爵はルードヴィヒの姿を認めて一瞬驚きの顔を見せたが、すぐにその厳めしい表情に僅かばかり笑みを浮かべた。
「フランツさま、わたしはこの時を待ち望んでおりました。ルードヴィヒさまとお呼びしても宜しいですか?」
「ああ。名のことは構わないが、父上の懇願を振り切り宰相を辞したあなたがそれを言うのか?」
ルードヴィヒが苦笑を浮かべて返した言葉に、公爵は心外だと言わんばかりに首を横に振った。
「次代に素晴らしい才能が控えておりました故、あの時はそれが最善だと思っておりました。それに、たとえわたしが留まったとしても火種は燻ぶり、やがては業火となって今までと同じ結末を辿っていたことでしょう。それは、ルードヴィヒさまとてお分かりになっておられましょう」
想像するに容易いことだった。
確かに、有能な部下がいたとしても、頂点に立つ者の手腕がなければ国など導くことは出来ないだろう。父王に対しての遠回しな嫌味のだろう。
ルードヴィヒは笑いながら溜息を吐いた。
「公爵には謝らなければならないことがある」
「なんでございましょう」
「父上に毒を盛った者が公爵の遠縁の者だった。昨年の凶作で生活に困ってのことだろうとは見当がついたが、一瞬でも公爵を疑った。すまなかった。許してほしい」
国王が命を狙われていたという事実に驚愕の顔を見せたものの、ルードヴィヒの謝罪に公爵は再び首を振った。
「頂点に立つ者は、常にすべてのものに慈愛と疑念の両方を抱いていなければなりません。たとえそれが身内だったとしてもです。あなたさまは正しい行いをしたまでですよ。ところで、その者は今?」
「ああ、その者はこちらで預かっている。情報が漏れたら危険だからな。明日にでも連れて来るよう言っておくから、処罰は公爵に任せる」
通常ではあり得ない処遇に、その者が主犯ではないと公爵は悟る。それでも、あまりにも甘すぎる処断に公爵はルードヴィヒの目指すものを理解する。
ルードヴィヒの言葉に公爵は深々と頭を下げた。
「畏まりました。ありがとうございます。では、そのようにさせて頂きます。それよりルードヴィヒさま。わたしこそ許しを請わなければならないことございます」
「なんだ?」
「孫のアルトゥールのことでございます。もうルードヴィヒさまのお耳には入っておいででございましょう。……孫がとんだ無礼な行為を行いまして、誠に申し訳ございませんでした」
公爵は再び深く頭を落とす。
ルードヴィヒは出てきた名を聞いて即座に表情を硬くした。
「そのことは……もういい」
「よくはありません。孫の不実はわたしの責任でございます。どうか、いかようにも罰を与えて下さいませ」
頭を下げたまま動かない公爵を、ルードヴィヒは見下ろしながら溜息を吐く。
「人の感情とは時に本人さえ思いもよらぬ行動を起こさせるものだ。それに……俺は彼女に酷い態度をとってきた。長い期間会いにも行かず、果てはほかの女性を側室に上げると。今回の事のためとはいえ、俺は彼女の夫になる資格などないようなものだ。彼女がアルトゥールに心惹かれたことには何も言えないし、二人を罰する権利もない」
自嘲気味に吐くルードヴィヒの言葉を聞いて、公爵は静かに姿勢を戻した。そして微かに笑みを浮かべて言った。
「ルードヴィヒさま。カレナさまは素晴らしい女性ですね」
「?……ああ」
「先日お会いした時に、そのような行為をされていても、あの方はルードヴィヒさまを信じると言っておられました」
「なに……」
「大切にするというルードヴィヒさまの言葉を信じたいと仰っておりました。孫は想いが成就せず肩を落としておりましたよ」
「彼女が?」
「ええ」
「そう言ったのか?」
「はい。この耳でしかと聞きました」
「そうか…………」
ルードヴィヒはそう呟いて無表情で押し黙る。
そんなルードヴィヒに、公爵は一礼して会場の方へと姿を消した。
公爵の話がどうしても信じられなかった。
どんなに酷い仕打ちをしたのかは自覚している。
彼女がそのことで思い悩んでいたこともフェリクスから聞いている。
彼女が求めているものを欠片も示さなかった。
垣間見せたのは異常とも言える執着心。
それでも、それは自分の奥底に隠し続けていた本心だった。
自分のものだと、逃がさないと迫ったことも。
呪われたブルグミュラーの正妃になれと言ったのも。実際には呪われているのはルードヴィヒのほうなのだが。
彼女の瞳にほかの男が映るのは許さないと告げたのも。
王宮のどこかに閉じ込めてしまおうかと問うたのも。
そのすべては、何も与えることが出来ないルードヴィヒの唯一の感情表現だったのだ。
しかし、そうした言動で彼女の自分に対する恐怖心を大いに煽っていたことも十分理解している。
先ほどの公爵の言葉は、本当に彼女の本音なのだろうか。
「ルードヴィヒさま」
黙り込むルードヴィヒのもとに、宰相のフックスと騎士団長のマイヤーが声を掛けた。
「ああ、準備は整ったか?」
「はい。万事抜かりなく」
フックス宰相の言葉を聞いて、ルードヴィヒの目つきが変わる。
「議会の後で、騎士団の小隊を少しばかり借りていく。スッペ公爵が匿っているカベルの残党を処分してくる」
言い放つルードヴィヒに、マイヤー団長は大きく頷いてこう答えた。
「承知しておりますぞ。いかようにもお好きにお使い下さい。もうすぐルードヴィヒさまのものになるのですからな」
それを聞いてルードヴィヒは目を見開く。
「何だと?」
「テオドールさまが、成婚の儀の後に戴冠式を執り行うと仰っておりましたぞ」
それは国王の地位をルードヴィヒに譲るということだ。
「また、くそじじい!勝手に決めやがって!」
「ルードヴィヒさま」
フックスが嗜めるものの聞こえていないようで、ルードヴィヒは拳を握りしめて小刻みに震えている。怒り心頭といったところだろう。
「ルードヴィヒさま、テオドールさまも悩んでいらっしゃったのですよ。自分には政の才は無いと。あの方は優しすぎるのです」
「それにしても、毎回毎回あの男は!」
「まあ、ルードヴィヒさまに言っても良い返事が返ってこないのは目に見えている、と仰っておりましたが」
「だからといって――――」
それでも食い下がろうとするルードヴィヒに、背後から声が掛かる。
「そろそろ入場されませんと、いつまで経っても大議会は開催されませんが」
ヴァルターの一言に苦虫を噛み潰したような顔をしたルードヴィヒは、先に入場しようと動き出したフックス宰相とマイヤー団長に投げやり気味に言い放った。
「戴冠は俺が決める。それまでは何が何でも国王を続けてもらうと、そのように父上に言っておけ!」




