真実への階 2
「ここで、祖父の出番なのです」
「えっ?」
「祖父は一時期フランツ1世の側役を務めておりました。その側室の方にもお会いしていると思います。そうですよね?」
最後の言葉は公爵に問いかけたものだった。
公爵の方に一斉に顔を向けると、彼は厳しい表情をまったく変えぬまま、今度はカレナの方をじっと見つめていた。そして、暫く後にようやく沈黙を破った。
「…………さあ。似ていると言われればそんな気がしないでもないが、あまりに昔のことなので。記憶しているのは、彼女は紅い瞳のせいで魔女だと避けられ、王宮内での味方はごく僅かだったということくらいです。しかし、彼女は魔術の力をまったく持っておりませんでした」
「わたくしが以前お聞きしたのは、側室の方は黒い瞳に黒髪だったと……」
以前エルフリーダが、カレナと同じ色を持っていると言っていた筈だ。
「いいえ、あの方は鮮やかと言っていいほどの紅い美しい瞳の持ち主でした。実際にその姿を目にした者も少なかったですし、魔女だという話が先行してその原因が曖昧なまま噂として流れてしまっていたのでしょう」
「では、紅い瞳を持っているというだけで魔女と忌み嫌われたのですか?」
「ええ。この世界の通常の人間では紅い瞳を持っている者はおりません。まあ、魔術の国レックスロートは別として。このブルグミュラーでは、彼女は確実に異端者でした。ですが、彼女は亡くなる時フランツ1世に幸せだったと一言言い残して逝かれました。わたし共から見ても、とても穏やかで満ち足りたお顔でした」
たとえ周囲が忌み嫌っていても、それに余りある深い愛情をフランツ1世から与えられていたのだろう。
公爵はその頃の情景でも思い出しているのか、懐かしそうに少し目を細めてどこか遠くを見ているようだった。
「その方は元々ヘフレス出身だったのですか?」
「……そのことについてはわたしも伺ったことはございませんでした」
クララの質問に、公爵はすぐさま再び厳しい表情に戻って低い声で答えた。
「一つ質問してもよいですか?」
カレナは意を決して公爵に問いかけた。
「どのようなことでしょう?」
「ルードヴィヒという人物はご存知ですか?」
筆頭貴族の一人でありフランツ1世の側役をしていた人物ならば知っているかもしれないと思っての質問に、公爵は更に険しい表情を見せてカレナを凝視した。
「ルードヴィヒ?何なのですか、それは?」
カレナと公爵の会話を静観していたアルトゥールが口を挟む。
「テオドール国王にお会いした時に言われたの。ルードヴィヒには会ったのかって。でも、一体誰なのかはまったく分からなくて……」
カレナの言葉に、視線は一斉に公爵へと注がれた。
「ルードヴィヒ…………」
そう呟いて、公爵は目を閉じて黙りこんだ。
静寂が部屋を包む。
カレナたちはそれが破られるのをひたすら待った。
「……カレナさまが何も知らされていないということは、今わたしがそれについて語る時ではありません」
「そうですか……」
望む答えが得られるかと僅かに期待していたカレナは、公爵の言葉に大きく肩を落とした。
なぜ、そうまでして皆が皆“ルードヴィヒ”という人物のことになると口を閉ざしてしまうのだろう。フェリクスは知っていて知らない振りをした。アーヘン公爵は知っているが話せないという。そこまでして隠す理由は何なのだろう。
アルトゥールの言葉は偽りだとは思えない。彼は“ルードヴィヒ”という人物を知らないのだ。だとしたら、フランツ1世とフランツに近い者しか知りえない人物なのだろうか。
しかし、そんな考え込むカレナに公爵は言葉を続けた。
「ですが、一つだけわたしの語ることの出来る話をしましょう。カレナさまはこの世界の起源の言い伝えをご存知ですか?」
「はい……一応は」
先ほどの話と露ほども関係性のないと思われる問い掛けに、カレナは戸惑いながらも小さく頷いた。
「この世界の始まりだと語り継がれているのは、この大陸最北端の国レックスロートに根を張る神の樹といわれる大樹です。実際にそれを裏付けるように、彼の国では古代言語であるゾルク語で書かれた文献が数多く残されております。しかし、それらは二代前の国王の時までは門外不出の国宝と同等の扱いをされていて、レックスロートの王族以外は閲覧が出来ませんでした。したがって、各国に残されている文献は希少で、ゾルク語を研究しようとする学者も少なく、文字の解読は一向に進む気配を見せなかった。カレナさま、先見さまはどのように神のお言葉を告げられるかはご存知ですか?」
「神から告げられた言葉を古代語のまま伝える?」
「その通りです。彼らは神から賜ったお言葉をそのままゾルク語でお告げとして伝える。しかし、伝えられる側はゾルク語を断片的にしか理解することは出来ない。実は何十年か前までは先見さまのお告げというのは、未来を知る術ではなく国民に安心感を与えるためのものでしかありませんでした。その人数も希少だったことから、お抱えの先見師がいるということは、国にとっても国民にとっても誇ることのできる一種の称号のようなものでした」
「もしかして、フランツ1世の時も?」
「はい。しかし、我々の大きな過ちはそれらを欠片だけで判断してしまい、お告げのすべての意味を理解せぬまま公表してしまったことでした」
「でも、書庫で見た文献ではすべて訳されていましたが――――」
実際にカレナが読んだ書物はこの世界の公用語であるクロイト語で書かれていた。もちろん、そのお告げも言葉も。
「レックスロートの前国王はある時、何の前触れもなくそれまで隠し続けていた古代の文献が保管してある書庫を解放しました。そして大陸でも著名な言語学者たちをそこに招いた。そこから古代言語の研究が飛躍的に発展しました。カレナさまがご覧になった書物は恐らく随分後になってから書かれたものでしょう」
「そうですか。では、先ほどの過ちというのは……」
カレナの言葉に、公爵は何か思い悩むような少し苦しそうな表情を見せた後再び語りだした。
「フランツ1世前国王の前に先見さまが現れた時、彼はこれが最後のお告げになると言い渡しました。先見師とて所詮人の子です。自身の余命を悟ってのことだったのでしょう。その時を待つだけの時間が自分にはないのだと申された上で、お告げを述べられました。そして告げられたお言葉の中に、わたしたちは“我の子”という言葉を発見しました。丁度その時テオドール国王がお生まれになる直前だということもあり、わたしたちは断片的な単語から、お生まれになる御子こそがその全能なる神の申し子なのだと判断をしてしまったのです」
「違うのですか?」
「後に考えてみれば、テオドール国王が神に選ばれし御子ならば、先見さまは時を待つ必要がなかったのだと気が付きました。カレナさま、お告げの言葉に“父”という言葉があったことは覚えていらっしゃいますか?」
「ええ。”今宵生まれいずる光、我の子の父となり、失われし輝き取り戻さん”でしたか?」
「そうです。我々は“我の子”をテオドール国王だと認識した。後にゾルク語が解読され全文が明らかになった時も、“我の子”はこの国の民を指し示す言葉だと解釈された。しかし、それは大きな間違いだったのです。“我の子”の父はテオドール国王を指し示す言葉でしたが、“我の子”とは――――」
「もしかして…………」
「そうです。“我の子”、すなわち神の申し子とはフランツ王子のことです。”我の礎の上に立つ王”も然り。先見さまが待つだけの時間がないとおっしゃったのも、フランツ王子がお生まれになるまで生きていられないという意味だったのでしょう」
「でも…………」
では、なぜフランツは知能障害だという噂が王宮中に流れているのだろう。
「カレナさま、もう一つのお告げはご存知ですか?」
「え……“黒の聖女”という言葉が出てくるものがそうでしたら、ラウフェン宮殿を訪れた際にプファルツ老師からお聞きしましたが」
「そうですか……ヴィルヘルムからですか」
そう呟いた後、公爵はカレナをまっすぐ見据えて真剣な眼差しで再び口を開いた。
「ええ、それが第二のお告げ。先見さまがフランツ1世さまだけに語った言葉です。その黒の聖女とは、カレナさま、あなたさまのことなのですよ」