深き混沌への導き 3
長らくお待たせしてしまって、申し訳ありませんでした。
精神的疲労の蓄積だと診断されたカレナは庭園での一件以降、フランツを見舞いに赴くことなく一日のすべてを自室にて過ごしていた。
急に姿を見せなくなったカレナを心配してヴァルターとフェリクスが何度か部屋へと訪れてはいたものの、体の不調を理由に顔を合わせることを頑なに拒み続けていた。
そして五日ほど経ったある夜のことだった。
眠れぬ夜を過ごし、明け方近くになってようやく意識が途切れ始めた時だった。
自室の扉の外から微かに話し声が聞こえてきて、カレナは混濁する意識を無理やり覚醒させて扉の傍へと歩み寄った。
「…………ですがカレナさまは…………また後ほど…」
僅かに聞き取れる声の主はクララと――――。
「体調を崩されているのはわかっているし、お休み中なのは十分承知の上だよ。だが、会う会わないはカレナさまが判断されるだろう。正妃さまになられる方だから一番初めに知っておいてもらいたいんだよ。恐らくフランツさまも同じお気持ちだろうから」
フェリクスは声を抑えることもせず、戸惑うクララを説き伏せるような様子で話をしている。
恐らく、引き籠っている自分にいつも通り面会を申し出ているのであろうことはカレナにも理解が出来た。
しかし、通常では面会を申し出るにはあり得ない時間と若干切迫した様子のフェリクスの物言いに何かを感じ、カレナはここ数日自ら開くことのなかった扉を静かに開けた。
「カレナさま」
僅かに開いた扉の隙間に反応したクララに小さく頷き、カレナはフェリクスの顔を仰ぎ見た。
「夜分遅くに申し訳ございません。カレナさま、フランツさまが目を覚まされました。どうなさいますか?今からお会いになられますか?」
フェリクスの言葉を聞きカレナの身体は瞬時に強張った。
確かに、目を覚ましてほしいと願っていた。
もう一度あの優しい笑顔を見たいと。
だが、会ってしまえばエルフリーダの側室話をフランツ本人の口から告げられることになるだろう。
そのとき自分は平常心を保って対応出来るだろうか。
大国の王子の正妃たるもの、側室の登城など笑ってやり過ごさなければこの先やっていけないのだろう。
だが、頭では理解していてもその覚悟は未だ以て出来ていないのが現状だった。
それでも一方で、なぜ平常心を保てる自信がないのかがわからない。
自分はどうしたいのだろう。
フランツに何を求めているのだろう。
求めないでと言っておきながら、自分もフランツやアルトゥールに無意識に何かを求めているのだろうか。
「……お会いするのは明日にします」
随分と迷った挙句、カレナは静かな声で答えた。
どうしても心の準備をしたかったのだ。
深夜で良かった。日中では心の準備も出来ぬままフランツと対面せざるをえない。
「畏まりました。では、明日迎えに上がります」
思っていた答えとは違っていたのだろう。どことなく腑に落ちないような表情を一瞬見せたものの、フェリクスは一礼してその場を後にした。
「カレナさま……」
「もう一度休むわ」
心配そうに名を呼ぶクララから逃げるように、カレナは再び自室へと入っていった。
カレナは翌日の昼過ぎに、フェリクスについてフランツの自室へと向かっていた。
やはり明け方の一件以降眠ることが出来ずに、心の準備をしようにも思考はそれを拒否し続けた。結局、寝台の
中で窓から差し込む朝日を何も考えずに眺めていただけだった。
ここ数日の寝不足が祟り、恐らく酷い顔をしていることだろう。それでも約束を反故にすることも出来ず、こう
して迎えにきたフェリクスに連れられて、カレナは重い足取りで王宮の人気のない通路を歩いていた。
階段を上り切りフランツの部屋の前で立ち止まったフェリクスは、カレナの方を振り返り口を開いた。
「薬の副作用で僅かな時間以外は眠っていらっしゃいます。恐らく今も。どうか、フランツさまが目を覚まされるまで傍に付いていて下さいますか?」
「……わかったわ」
カレナが頷いたのを見届けて、フェリクスは静かに部屋へと続く扉を開いた。
恐る恐る足を踏み出し中を見ると一枚の扉のすぐ傍にヴァルターが立っていた。
緊張した足取りでそこまで進むと、ヴァルターは一礼してその扉を開けた。
それほど広くない部屋の中には、カレナの寝台より幾分簡素な寝台が一つと大きな姿見の鏡が一つ、そして寝台の枕元の横には一人掛けの椅子が置いてあった。
カレナが中に入ると、ヴァルターは外側からそっと扉を閉めた。
音を出さないように気を使いながら、ゆっくりと寝台に歩み寄る。
規則正しく微かに上下する布団に安堵して枕もとの辺りまで進むと、数日前に比べると随分血色の良い色をした
美しい顔がそこにあった。それでもここ数日の症状から食事をとることも出来ずにいるせいで、以前に比べてやつれた印象を受ける。
「フランツさま……」
街へと繰り出した時とは様相の違うフランツの顔に思わず手を添わせようとして、カレナは次の瞬間我に返り手を引っ込めた。
そしてカレナは横にあった椅子へと腰掛けた。
先日あれほど苦しそうにしていたのが嘘のように穏やかなフランツの寝顔。
フランツがあのままいなくなってしまわなくて良かったと、カレナは心の底から安堵した。と同時に昨日の庭園での出来事やこれからの生活を思い、カレナはその不安に押し潰されそうになっていた。
フランツの顔を見ると嫌でも思い出す。
この婚姻は本当に間違っていなかったのかという疑問。
目を覚ましてほしいと思いながらも、一方ではそのまま眠っていてほしいと願う。
そんな相反した心の矛盾と葛藤しながら、カレナはフランツの寝顔を見つめ続けた。
お待ちくださっていた皆様、本当に申し訳ありませんでした。
実は、不測の事態に陥りまして、書くことはおろか日常生活もままならないじょうたいで………。
て、言い訳ですね。
とりあえず連載は再開しますが、万全の状態とは言い難く、今までのように週一のペースを保つことはできないと思われます。
それでも最大限に書く努力はするつもりでいますので、どうか気長にお付き合い頂ければ幸いです。