零れ落ちる欠片 5
「どういうことだ!話が違うんじゃないのか?!」
男は、鼻息荒く怒鳴る目の前の初老の男を全く動じることなく見返した。
後ろでは腰巾着と揶揄される小男が、公爵の剣幕に当てられ身体を縮めて座っている。
「はじめから、こうしたほうが早かったのでは?」
「言った筈だぞ!王子はわたしの傀儡として働いてもらうと!」
「スッペ公爵、あの王子が死んだところで何も変わらない。表舞台に立ったことのない王子など、少しくらい容姿が変わったところで他国はもちろん自国民さえ誰も気が付くまい。それどころか、あなたの負担は軽くなるのでは?王子がいなくなれば、同時に王子の側近のヴァルター・フックスとフェリクス・パウル・マイヤーの二人も大人しくなるだろう」
この目の前の公爵が実権を握ってさえくれれば、代役の王子を本物だと言い張ってしまっても何の問題もない。もし騒動が起こったところで、それは全て力で捻じ伏せ押し通してしまえば済むことだ。恐怖政治など珍しいことではない。いつの時代にも、そうして多大な権力を握った実力者がいた筈だ。
「あんたは腰掛け程度でこの国に干渉しているからいいかもしれないが、王家の血筋が残るのとそうでないのとでは大きな差がある。それにラヴィーナからの援助の件もある。ましてや、フランツ王子はエルフリーダと結婚させて子を成してもらうという重要な役割があるんだぞ。それを、こんな風に勝手をしてもらっては!」
ラヴィーナからの援助は王子の偽者でどうにかなるが、確かに王家の血筋が残れば周りの貴族たちも大人しくなるだろう。
しかし、それは表向きの理由。スッペ公爵の本音は最後の言葉だ。
王家転覆を狙うこんな男でも、我が子への情が最優先されるのがなんとも滑稽だった。
結局のところそこなのかと、男は鼻で笑った。
「腰掛け程度とは心外な。あなたの身の危険は、延いてはカベルの危険だ。私たちが運命共同体であることをお忘れか」
男の主であるカベルの王族の一人が、隣国レックスロートとの戦いでの助力を条件にスッペ公爵の計画に協力しはじめたのは、もう数ヶ月前になる。
大陸一の強さを誇る統率されたブルグミュラーの戦力は、カベルにとって喉から手が出るほど魅力的だった。決着がつかないレックスロートとの戦いにおいて、カベルの希望の光となるのは間違いない。
薬学に長けているとはいえ、カベルはこれまで大きな戦いを経験したことがなく、長く続くこの戦いで兵たちの士気も体力も著しく低下していた。
しかし、経験の上ではレックスロートとて同じこと。いや、むしろカベルよりも戦いの経験は少ない筈だった。
当初は容易に手に入ると思っていたレックスロートは、思いのほか激しい抵抗を見せた。長引く戦いの要因は彼らが魔術を得意としていることと、それら兵士たちを自由自在に操る五人の有能な指揮官たちのせいだった。
もともとレックスロートは閉鎖的な国で知られている。いくら隣国と言えども、カベルはレックスロートの内情を殆ど把握出来ていなかった。
男の主が地位を確立させるためには、このレックスロートとの戦いでのカベルの勝利は必要不可欠なものだ。
いつまでも状況を進展させることのないスッペ公爵に、主は数日前に男をブルグミュラーへ赴くよう命令を下した。
重要な戦いの最中である。普段はその王族の懐刀であり間者を務める男を送り込むということは、いかにブルグミュラーとの関係を重要視しているかがよくわかる。スッペ公爵がブルグミュラーの実権を手中に収めない限り、ブルグミュラーの戦力を自由に使うことができないのだから。
「わかっているさ。だから中途半端なことは許されないんだ。それをあんたは仕損じたんだぞ!」
忌々しげに吐き捨てる公爵の顔には、焦りの色が見え隠れしている。
「ああ、それはわたしもすまないと思っている。だが、助かるか助からないかは五分五分だろう」
あそこでカレナ王女を狙えば誰かが出てくるであろうことは、男にとっては予想の範疇だった。しかし、それがまさかフランツ本人だとは微塵も思ってもいなかった。王子が辺境の国から来た王女に好意を持っていないのは、あらかじめスッペ公爵から聞き及んでいた。だから、庇うとすれば護衛のフェリクスだと踏んでいたのだ。
そもそも、王子の護衛であるフェリクスが王子と離れた場所で剣を振るうことさえ予定外の出来事だった。そして更には、思いのほか王子が剣を扱えたことも。
フランツはカレナを守ろうとしないだろうと踏んでいたからこそ、当初の予定では護衛をするフェリクスをフランツから離すためにカレナを襲わせるという算段だった。
しかし、蓋を開けてみればフランツ自らカレナを守るように傍らにいたことに男は驚いた。最終的にはフランツ一人に的を絞りやすくなったので、その点は問題がなかったのだ。
だがそれを、はじめて目にする小柄なナイフ投げの男に、もう少しのところで阻まれた。結果、意図していなかった箇所を掠っただけで、男の放った毒の塗布されたナイフは地に落ちた。あれが王子のどこかに少しでも刺さっていれば、既に王子の命はなかった筈だ。
「とにかく、国王はもう時間の問題だ。放っておいても、どうとでもなるだろう。あとは王子とエルフリーダの婚姻だけ。いいか、もう二度と王子の命など狙わないでくれ。なんとか王子には生き延びてもらわねば。それですべての舞台は整うのだ」
所詮は自分の主が体よく使う道具であるこの公爵だ。どれだけ妄想に駆られようが自己陶酔に浸ろうが、こちらとしては一向にかまわない。しかしこの人物に一国を動かすほどの能力があるのか、男には甚だ疑問だった。
先ほどまで声を荒げていたのが嘘のように、機嫌良く酒を煽る目の前のスッペ公爵を心の中で蔑みながら、男はこのような人物と共同戦線を張った自らの主の思考を疑った。