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零れ落ちる欠片 2

「カレナ、そろそろ昼食の時間だから何か食べに行こうか〜?普段は食べられないようなブルグミュラーの家庭料理を出してくれるお店があるんだよ。そこにしようか〜?」


 レドラスの街の広場でカレナの手を引き歩き始めたフランツは、まるで無邪気な少年のような笑みでカレナにそう問いかけた。


 フェリクスは二人の視界に入るか入らないかの微妙な間隔を空けながら、後ろから付いてきている。


「あの、フランツさまはよく街を訪れるのですか?」


「カレナ、フランツでいいよ。それから、敬語もなしにしよう。ここでは僕も君も何者でもないからねえ」


「は、はい。フランツは何度も来たことがあるの?」


「うん、内緒でね。いつもリックと一緒に来てたんだ。でも気がつくとリックはどこかに消えてることが多かったんだけどねえ」


「消える?」


「うん。お酒が弱いくせに僕に付き合って飲むもんだから、大抵は酔いつぶれちゃってねえ。護衛の意味がないよねえ。ああ、ここだよ〜。ここに入ろう」


 フランツが足を止めたのは、それほど大きくもない素朴な雰囲気の食堂の前だった。明らかに王子であるフランツが、自ら進んで足を運ぶとは思えない店である。もっとも、比較的王族としての束縛の少ない環境で育ったカレナには、こういった店の類にはそれほど抵抗がなかったが。


 フランツに手を引かれて店の外観から店内へと視線を移そうとしたその時、カレナの肩に店から出てきた客の一人の腕がぶつかった。


「あっ……」


「おっ、悪いな。大丈夫かい?」


 相手はいかにも肉体労働者という感じの体格の良い、フランツと同じくらいの年の青年だった。フランツの選んだ店があまりに想像と違いすぎて思考が停止していたため、前から歩いてきた青年に気がつかなかったのだ。確実にカレナに非があるだろう。


「はい、すみません。わたしが前を見ていなかったせいで」


 カレナは素直に、その青年に自分の非を侘びた。


「いや、俺も前を見てなかったからお互いさまだ。本当に悪かったな」


 青年はカレナを制し、笑顔で再び謝罪する。


「いえ、大丈夫ですので」


「そうか、じゃあ……」


 カレナの無事を確認し、片手を上げてその場を去ろうとしていた青年の動きがそこで完全に止まった。


「ヴィル……、ヴィルヘルムじゃないか?!そうだろ?!俺だよ、トーマスだよ!久しぶりだなあ!」


 突然大きな声で名を呼ぶ青年の視線を辿ると、そこには普段どおりブルーグレイの瞳で微笑むフランツの姿があった。


「ん〜、人違いじゃないかなあ。僕の名前はフランツ。ヴィルヘルムという名前じゃないよ〜」


 にこやかに微笑むフランツを青年はしばらくのあいだ凝視していたが、やがて小さく溜息を吐いた。


「……悪い。昔の知り合いによく似てたもんでな。そうだ、たしかにあいつはあんたみたいに品のいい笑顔も持ってなかったし、話し方もまったく違うな。悪かった。人違いだ」


「いやあ、気にしてないよ」


「そうか。じゃあな」


 青年は再び手を上げてそのまま去っていった。その後ろ姿を見送った後、カレナは左側に立つフランツを覗き見た。


 やはりフランツは微笑んでいた。それは周りから見ればさきほどと同じにこやかな微笑みに見えるだろう。しかし、カレナにはどうしてもそう思えなかった。明らかに若干細められたその瞳が笑っていないように見えるのだ。


「フランツさま……」


 思わず小さく呟いたカレナの言葉に、フランツは再び微妙に笑顔を変化させカレナに笑いかける。今度は普段と同じ表情のフランツだった。


「カレナ、フランツだよ〜。さあ、入ろうか」


 フランツは先ほどの出来事など微塵も気にする素振りを見せずに、カレナの手を引いて颯爽と食堂の中へ入っていった。


 カレナはそんなフランツに何か腑に落ちないものを抱えながらも、手を握るフランツの力が意外にも強く、目の前の大きな背中を見つめながら扉の中へと足を進めた。







 食堂のメニューがわからず戸惑うカレナにフランツが選んでくれた料理は、王宮で出てくるものと違いどれも素朴だったが美味しいものばかりだった。淀みなく料理を注文する様は、いかにもそういった庶民の食事に慣れているかのようで、それはフランツが度々街へ下りてきていることを顕著に物語っていた。


食事を終えたフランツは午前と同じようにカレナの手を引き、大通りにある衣料品店や装飾品店の多く建ち並ぶ大通りに出た。そしてそこの何軒かの店に立ち寄りカレナのドレスや装飾品を選んだ。


カレナはまるで着せ替え人形のようだった。しかしそれらの購入のほとんどを断り、フランツとの押し問答が続いた末、唯一差し出された髪飾りの一つに首を縦に振った。


購入した髪飾りをフェリクスに預け店を出た時には、既に日も傾き街全体がオレンジ色の美しい夕日で覆われていた。


大通りの端まで来ていた二人は、来たときと同じようにフランツがカレナの手を引き、馬車の停めてある広場へと向かう。


「カレナ、楽しかった〜?」


「はい。わたくし、一度街に下りてみたいとずっと思っておりましたので」


 フランツの無邪気な問いに、カレナは素直に答えただけだった。


「きゃっ」


 しかし、フランツはその言葉を聞いた後、いきなり建物と建物のあいだの狭い路地へと強い力でカレナを引いて入っていく。


 そしてすぐに足を止め振り返ると、覆いかぶさるようにカレナの身体を抱き締めた。思いのほか逞しい腕がカレナの腰に巻きついている。


 突然のことにカレナの思考は停止した。


 背の高いフランツの広い胸の中に抱き込まれて、カレナからはフランツの顔を窺うことはできない。


「カレナ、街に来たかったのはずっと城の中に篭っていたからかい?」


 普段とは全く違う、低く淡々とした声音だった。フランツの吐く息がカレナのうなじをくすぐるように通り抜ける。


「え?」


 カレナの戸惑いの声に、フランツは前屈みになっていた身体をゆっくりと起こした


「カレナ、この数日どこで誰と何をしていた?」


 腰に回された腕はそのままに、まっすぐにカレナを見下ろしてくるその瞳は冷たい色を湛え細められ、形の良い唇は嘲るように歪められている。


 カレナの身体に震えが走った。


 フランツはアルトゥールとのことを知っているのだ。


自分とアルトゥールとのあいだには何もないと言っても、果たして信じてもらえるのだろうか。それでも、人気のない場所で二人きりで会っていた事実に変わりはない。フランツに言い訳をする権利は自分にはないのだ。


 何も答えられないカレナにフランツは腰に回していた腕を片方外して、目を見開いて固まるカレナの滑らかな頬を撫でた。


 視線とは違う、優しく甘やかな指の動きがカレナの胸の鼓動を一層乱れさせる。


 びくりと身体を震わすカレナにフランツは笑みを深め、今度は唇をゆっくり撫ぜると、そこに自分のそれを重ね合わせた。


「ん……」


 以前の戯れのようなものとはまるで違う、すべてを飲み込むような、そんな口付けだった。向きを変え、何度も何度も繰り返される。官能を煽るようなゆったりとした、それでいて激しい動きに、カレナは身体の芯が痺れるような感覚を覚え、徐々に力が抜けていく。


 崩れそうになるカレナの身体を、抱えている片腕の力を強めることで受け止め、フランツは力を失くしたカレナの唇に舌を差し入れた。


「ぅん……い……やぁ………」


 なんとかフランツの唇から逃れようとカレナは残る力を振り絞って顔を背けようとするが、まるでそれさえも戯れを楽しむかのように放されては捕らわれる。フランツは強弱をつけてカレナの口腔内をじっくりと解きほぐした。


 どのくらいそうしていたのだろう。


 最後にフランツはカレナの下唇をゆっくり舐めてから軽く食むと、ようやく唇を解放した。


 息が乱れ呼吸がままならない。いや、それどころか何も考えられない。


 カレナは大きく息を吸い込んだ。


「カレナ」


 必死で呼吸を整えているカレナの視界に、フランツの酷薄な笑みが映し出される。その姿は、まるで獲物を追い詰めた獰猛な獣のようだった。


「許さない。カレナのその瞳に僕以外の奴が映るのは。言っただろう?君は僕のものだって」


 息を整えながら怯えた瞳で見上げるカレナに、フランツは満足気に声をたてて笑った。


「ふふふ。ああ、そうだ。いっそ閉じ込めてしまおうか。亡くなっていった王妃たちのようにあの城のどこかに。ねえ、そうすれば君は僕だけのものだよ」






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