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眠れる獅子目覚めるとき 2

 寝台から抜け出て長椅子に腰掛け、クララに用意された香りの良いお茶で喉を潤してカレナは一息ついた。


「それに婚約の儀は明日。こんな時になって足掻いたって手遅れでしょう」


 先ほどの侍女の言葉を頭の中から追い出して、笑いながらわざと快活な態を見せるように答えた。


 ただでさえクララには辛い決断をさせたのだ。彼女を更に不安に陥れないためにも、気丈な姿を見せなければ。


「明日の婚約の儀を終えたらこの賓客用の離宮から王宮に移って、一月後には成婚の儀ですね」


「そうね、だから今日は早く寝なきゃ」


「そういえば、とうとう王子を拝見する機会はなかったですね」


 クララの言葉を聞いて、カレナは苦笑を浮かべる。


「ラヴィーナの王女ごときに挨拶はしなくても、なんて思っているのではないかしら。所詮政略結婚だもの。今は側室さえいないそうだけれど、それも今後どうなるかわからないし」


 この国に入って十日ほどが経つが、婚姻の相手であるフランツ王子がこの離宮に現れたことは一度もない。国王も病に伏せっているということで、王宮での正式な挨拶さえないままこの離宮に連れてこられた。


 弱小国家といえども王族の婚姻相手に対してあまりに酷すぎる対応だった。そして、婚姻相手がどんな人物なのか予備知識もないまま、明日の本番での対面である。


 ブルグミュラーには王子が一人だけ存命していることは一般的に知られている話だったが、その姿を見た者は数少ない。他国の使者はもちろんのこと、自国民でさえも。王家の主催の夜会や催事の際にも一切姿を見せないという。国民の間ではその存在さえ幻ではないかと密かに囁かれている、と言うのはカレナがまだラヴィーナにいる時に王宮に出入りしている商人から聞いた話だ。


 ただその商人はその話をした直後に笑ってその噂を払拭した。同じ商人仲間がブルグミュラーの王宮でフランツ王子を見たことがあるという。もっとも遥か遠くの王宮庭園から威厳高い王宮の最上階の窓際にいる後姿のみだそうだ。後ろ姿で王子だと判断つくのかどうかは甚だ疑問だったが。


「実はカレナさま、わたくしこの離宮の侍女に伺ったのですが・・・・」


 珍しく歯切れの悪い物言いをするクララを不思議に思い、ゆっくりとカップを戻してクララに先を促すように目線を送る。


「あの、あくまでこの離宮の侍女から伺った噂話ですので本当かどうかはわかりませんが、王子はどうやら少し変わった方のようでして……」


「変わった方?」


「ええ、幼い頃の義務でもある勉学も嫌い、かといって剣術もお身体があまり丈夫ではないということで誰も鍛錬する姿を見たことがないと。この国では婚約の儀を終えてからではないと政務に参加できないようでして、もちろんそれを終えていないフランツ王子は国政にも携わってはいないそうです」


「では、毎日何をなさってるのかしら」


「さあ、そこまでは。ただ一日中部屋に閉じ篭って過ごしてらっしゃることも多いとか」


「一日中?」


「ええ、王子の側近と護衛も付いてはいるそうですけど……」


 クララの話を聞く限りではどうやらまともな人物ではなさそうだ。


「それから……」


「まだあるの?」


「はい、その……」


 先ほどと同様に再び口篭ったクララに、カレナは軽く溜息をついた。


「言ってちょうだい。もうこれ以上隠されるのは嫌だわ」


 相手の情報が全く入ってこなかったのはこういう事情があったからなのだろうか。だが、ここで隠されても必然的に後で知ることである。それならば心の準備は整えておきたい。況してや、それがクララの眉間に皺を刻むような事柄ならば尚のこと。


「実は侍女たちの間でもっぱらの噂なんですが、王子は知能的に障害があるのではないかと……」


「……知能的に障害?本当なの、それ?」


「あくまで噂の範疇だそうです。ほとんど部屋からお出になられないそうなので、王宮で働く侍女たちでさえ拝見する機会が滅多にないと。専属の侍従と侍女が二名いて、その者たちがほとんど全てを行うそうでして。ですから、それが真実であるという確証はないのですが」


「なんだかこんな前日になって色々なことが発覚していくわね」


「まだ本当かどうかはわかりませんが……」


「そうね。でも何かしらのそう思わせる根拠があってこそ、そんな噂が立つのでしょうから」


「国政を司る上層部の方々の中には、王子の王位継承に異を唱えている方もいらっしゃるとか」


「……なんだか頭痛がしてきたわ」


「申し訳ありません、カレナさま」


「いいのよ。教えてくれてありがとう、クララ」


 カレナは努めて冷静に言い、冷めてしまったお茶を飲み干して長椅子から立ち上がった。


「さあ、明日は早いからもう休むわ。クララも下がっていいわよ」


「わかりました。カレナ様、夜着はあちらの籠の中に入れておきましたので」


「ありがとう。おやすみなさい、クララ」


「はい、では失礼致します」






 

 クララが軽く一礼してから出て行ったドアを見つめながら、カレナはさきほどの会話を思い返していた。


 知能障害。


 そんな噂が立つくらいだ。王子にはそう思わせる何かがあるのだろう。


 よくよく考えてみれば、大国の王子が二十二という年まで正妃も側室も持っていないというのは世の常識からしてもまずありえない。カレナの三つ年上の兄であるラヴィーナ第一王子でさえ、婚姻を結んだのは十八の時だった。


 ブルグミュラーほどの軍事大国であれば、仮に正妃は空席でも敗戦国から側室としての王女の貰い受けくらいあったであろう。それが側室さえ空席のままだという。


 ラヴィーナはブルグミュラーからは遠く離れた国である。しかもソルライト鉱山が発見される以前は他国との商業貿易や文化交流は少なかった。大陸の国々を跨いで繋がる主要な街道からも大きく逸れているのが主な理由だ。出入りする商人の数は他国に比べて極端に少ない。そんな国に他国の噂話などが流れてくることは稀だ。


 いや、それとも父王はこのことを知っていたのだろうか。知っていてあえてカレナに教えなかったのだろうか。


 知的障害を持つ王子。


 そのことが真実ならば、正妃も側室も空席なのは納得できる話である。


 しかし、ここにきて今更この婚姻を白紙になど出来る筈がない。受け入れるしか自分には道が残されていないのだ。


 カレナは恐ろしく座り心地の良い長椅子に再び深く沈みこみ大きな溜息を付いた。





 

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