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雲間に瞬く星の囁き 3

 山積する国政に関する書類を前に物思いにふけっていたルードヴィヒを我に返らせたのは、眉根を寄せ険しい表情をして扉から部屋に入ってきたヴァルターだった。


「ルディ、毒物が判明したよ。読み通り北の国カベルのものだった。王宮にある何種類かの解毒剤から適合するものを精製するように指示しておいたが、少し時間が掛かるかもしれないよ」


 ラウフェン宮殿のルードヴィヒの執務室に勢いよく飛び込んできたヴァルターの言葉を聞き、ルードヴィヒは窓の外に向けていた視線を目の前の人物に移して、その金色に輝く形の良い目を細めた。


「そうか」


「だが、スッペ公爵がまさかカベルと通じているとは思わなかったな」


 北にある中規模国カベルは植物を原料とした薬学に長けた国で、このノイゼス大陸中で使われている薬の約半数がカベル産のものだ。病気に応じて薬の種類も豊富で価格も良心的なのがその要因だろう。


 しかし、物静かで研究熱心な大人しい国という印象しかなかったカベルが、直近で隣国のレックスロートとの戦いを起こしたことも記憶に新しく、今回のことに関してもカベルの国の立場としての思惑が絡んできているような気がしてならない。恐らく、今回のカベル側の思惑の発端はブルグミュラーの戦力だろう。他力本願とはまさにこのことだ。


「ああ、まさかカベルが出てくるとは俺も思わなかった。カベルの誰と通じているんだろうな。あそこの国王は争い事を好むような人物ではなかったと思うが」


「カベルの国の中で何かが起こっているのだろうね。それこそ国政に大きな影響を及ぼすような何かが。第一、カベル産の毒物なんてレックスロートとの戦い以前には存在すら知らなかったからね」


 多少医術の心得があるヴァルターが知らないのであれば、ルードヴィヒが知るわけもない。ブルグミュラーには存在しない、北に生息する植物で作られている毒物だ。短期間で解毒剤の精製など不可能なことなのかもしれない。


 ルードヴィヒは机上に重なり合う書類の束の中から、既にブルグミュラーの王家の紋章の印が押されている紙を探り当て手元に引き出した。


 こんな時にカレナから護衛の一人であるフースを減らすのは危険なことなのかもしれないが、他に適任がいないのだから仕方がないと自身を納得させる。カレナの行動の制限と併せて、フェリクスに騎士団からのカレナの護衛の人員を増やすように指示すればそれでまかなえるだろう。


 国を動かすには国庫が豊かであればあるほど円滑に事が進むのだということを、カレナを襲っても利が全くないのだということを、革命家を気取るスッペ公爵も理解している筈だ。


「書状を持たせて至急フースをカベルへ送り込もう。成婚の儀まで半月を切っている。出来ることなら解毒剤と一緒の帰還が望ましいが、そこまでだと間に合うかどうかは微妙だな」


 成婚の儀という言葉を聞いて、目の前に立つ白金の男が若干顔色を変えたのがルードヴィヒにはありありとわかった。次に出てくる言葉を予想して自ずと苦笑が漏れる。


「ルディ……聞いているんだろう?カレナさまとアルトゥール・クロスのことを」


「……ああ」


「良いのかい?カレナさまは連日書庫に通っていると聞いているが」


「仕方がないだろう。彼女がアルトゥール・クロスを選ぶのならば、俺は文句など言えないさ」


 普段は己の感情を押し殺すことを得意とするルードヴィヒも、カレナ絡みではそれが難しいということに最近になって気が付いた。


 無理に笑顔を作っていることを、目の前の男には簡単に見破られるのであろうとは思いながらも、ルードヴィヒは大したことはないと言わんばかりに笑顔を見せた。


「だが――――」


「どうにもできないだろう、今の状況では。もう既に事を起こしてしまったのだからな。途中で放棄など、それこそ国の崩壊に直結するぞ」


 ルードヴィヒが事を起こすことを、口には出さなくとも誰よりも心待ちにしていたヴァルターが、この一言で口を噤むのはわかっている。真実を明らかにすれば、今まで培ってきた数々の苦労が全て水の泡となってしまうかもしれないのだ。最悪の場合、今回の策が露見して自分たちに身の危険が降りかかることも十分に有り得る。


 酷い物言いだと自分自身でわかっているから良心が痛む。遠まわしにルードヴィヒより国が大切なのだろうと言っているようなものなのだから。


 八つ当たりだとわかっている。大人気ないとも思う。フェリクスと同様に、目の前の友人であり兄弟とも言えるべき存在が、どれだけ自分のことを心配し慮ってくれているかをルードヴィヒも理解している。


 それでも、今はそんな言葉しか出てこないのだ。


 そして、そんな自分に嫌悪感しか浮かんでこない。


 先日このラウフェン宮殿で、カレナの影の護衛を務めているアルムスから報告を受けた。そして書庫での話を聞いて、アルトゥールという思わぬ伏兵が潜んでいたことにルードヴィヒは驚愕した。


 まさか王子の正妃となる人物に手を出そうという輩がいるとは思ってもいなかった。それだけフランツという存在が甘く見られているということなのだ。そして、仕える王族の婚姻相手に恋情を抱くという、多大な危険を冒してまで行動するほどにカレナは魅力的なのだろう。


 アルムスからの報告を聞き、何度真実を告げてしまいたいと腰を浮かせたことだろう。


 ブルグミュラーの未来よりカレナの方が大切なのだと、全てを投げ出しカレナをつれて逃げ出してしまいたいという衝動に何度駆られたことだろう。


 それでも、最近思考の大半を占めている不安が再び顔を出し、ルードヴィヒの突発的な衝動を押し止めた。先日のプファルツとの会話が頭をぎる。


 あの時は、事を全て成しえた後はカレナが頼れる人間は自分だけだという自負が若干なりとも残っていた。時間がかかるかもしれないが、いずれはルードヴィヒを受け入れることになるであろうと心の奥底では思っていた。不安はただの小さなしこりだったのだ。

 

 しかし、今カレナの傍いるのはルードヴィヒではなくアルトゥールなのだ。もし残りの約半月のあいだに、アルトゥールがカレナの心を完全に捕らえてしまったとしたら。


 真実を告げてもカレナはルードヴィヒの差し出す手を振り払ってしまうのではないか。アルトゥールの手を取ってルードヴィヒの前から去ってしまうのではないか。小さなしこりは肥大し、大きな影となってルードヴィヒの心を覆い尽していた。


 もしかしたら良い機会なのかもしれない。


 全てを明らかにしても、カレナがルードヴィヒを選ぶという確約はないのだ。万一ルードヴィヒを選んだとしても、カレナが幸せになるという確証もない。


 それならば、こんな不安を抱えて時を過ごすよりは、カレナが自分自身で選んだ男との幸せを祝福し見守ってやるべきなのかもしれない。そう自分自身に言い聞かせれば少しは心も軽くなる。


 カレナの生涯暮らしていくことになるこの国ブルグミュラーを、カレナのために正しい道へと導こうとしているのに、それが原因でカレナを失ってしまうことになるなんてまさに本末転倒とはこのことだ。しかし、それでも今は前に進むしかないのだ。


 ルードヴィヒは端正な顔の笑みをそのままに目の前を見据えた。


 案の定、黙って佇むヴァルターはその中性的な美貌を苦悩の色濃く歪めている。


「ヴァルター、エルフリーダの側室の話を進めてくれないか。そうだな……婚姻の儀のひと月後くらいという話で」


 これを知ればますますカレナの心はアルトゥールへと傾いていくだろう。それをわかっていても、自分はカレナの傍についていてやることは出来ない。


「ルディ、俺は――――」


「ヴァルター、フースとアウゲスを呼んでくれ。今から書状を書くから」


 できれば、もうこれ以上カレナのことには触れて欲しくなかった。


 カレナのことを想うだけで生じる胸の痛みや苦しみも、ヴァルターの苦悩に満ちた顔を見ることで湧き上がる自己嫌悪も、今のルードヴィヒには耐え忍ぶことのできない苦痛以外の何ものでもない。この身がどうにかなれば全てが無に帰るのだろうか、などという極論にまで行き着いてしまい、そんな自分に更に吐き気が込み上げる。


 一方的に言い切って紙にペンを滑らせ決して目を合わせようとはしないルードヴィヒに、ヴァルターは小さな溜息を漏らすとその身を翻した。


「ルディ、俺もフェリクスもお前の幸せを犠牲にしてまでこの国を守ろうなどとは欠片も思っていないよ。現状では下手な行動は得策ではないとわかっている。でも、俺は諦めない。この国の輝かしい夜明けも、お前の幸多き未来もね」


 ヴァルターは部屋を出て行く手前で足を止めて振り向かず言い放つと、そのまま扉の外側へと消えていった。









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