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雲間に瞬く星の囁き 1

 青空のように澄んだブルーの瞳と短く整えられた濃い茶の髪。恐らく、長身のフランツよりも更に頭半分ほど高い身長。騎士かと見紛う逞しい身体つきとは逆に、柔らかな整った顔立ちの青年。年は三十の手前くらいであろうか。一目で高価だとわかるような上品な衣服を身につけているところを見ると、この国の貴族だろうか。


 カレナは目の前に立つ優しげな微笑を浮かべた青年を記憶の中から探し出したが、ブルグミュラーに来てからの日々を思い返しても全く心当たりがない。夜会の時に挨拶をした貴族のうちの一人だろうか。もしその夜に会っているのならば、極度の緊張の中挨拶を交わした何百人もの人間を全て憶えている筈もない。


「ああ、申し訳ありません。自己紹介が先ですね。わたくしはアルトゥール・クロスと申します」


 目の前の人物の記憶がないことを恥じたカレナだったが、初対面だとわかりほっと胸を撫で下ろす。大国の王太子妃となるであろう人物が、言葉を交わしたことのある人物を憶えていないなどあってはならないことである。しかし、その心配は必要ないようだ。


「わたくしを知っているのですか?」


「ええ、婚約の儀に祖父の側役として出席しておりましたから。カレナさまのあまりの美しさに感動を覚えたうちの一人ですよ、わたくしは」


 婚約の儀に出席していたというならば、国政に携わる十三の筆頭貴族家の人物たちだ。アルトゥール・クロス。どこかで聞き憶えがある気がする…………。


 カレナは以前学んだブルグミュラーの国内情勢を懸命に思い返し、記憶の糸を手繰り寄せた。


「あっ、アーヘン公爵クロス家の方?」


「はい。現アーヘン公爵はわたくしの祖父でございます。父が早くに亡くなりましたので、いまはわたくしが側役を務めております」


 アーヘン公爵は国政議会の十三人いる筆頭貴族のうちの一人だ。歴史的に見れば、三大公爵家の一つであるスッペ公爵ブレッヘルト家と並び、最も古い時代から公爵領を守ってきていることで知られている。しかしブレッヘルト家とは違い王族との婚姻などという華々しい歴史はなく地味ではあるものの、権力を誇示することなくこの国で最も堅実で忠実に公爵家としての責務を全うしている名家だと言われている。


「外見が貴族らしくなくて驚かれたでしょう」


 学んだブルグミュラーの国政や貴族家の中からアーヘン公爵家の情報を思い出し黙り込んだカレナに、アルトゥールは思い違いをしたらしく、全く別の問いかけを返してきた。


「えっ、いえ、そんなことは……」


「いいんですよ。わたくしも公爵家の跡取りなど柄ではないと自分自身で思っていることですから。もとは騎士団に所属していたのです。騎士として陛下に生涯の忠誠を誓ったのですが、父が亡くなり跡取りがいなくなってしまって仕方がなく」


 もとは騎士だというアルトゥールの言葉には納得ができる。騎士のような厳つい印象は優しげな顔立ちで中和されてはいるが、確かに広い肩幅と逞しい身体つきはこの国自慢の騎士団の人間のものだ。


 しかし、確かに体格だけ見てから騎士だと言われれば大いに納得できるのだが、柔らかな整った笑みはやはりどことなく高貴な印象を受ける。話す口調も穏やかで温かみのある落ち着いた物言いで、戦うことが本職の人間に抱きがちな粗野な感じは一切なく、話し相手に安心感を与えるようなそんな慈しみに満ちた話し方をする。


「ご兄弟は?」


「弟がおりますが、かなり年が離れていまして。彼はわたくしの跡を継ぐことになるでしょう」


「そうですか」


「カレナさまはこちらで読書でございますか?」


「ええ、この国の歴史をもっと知っておいたほうが良いかと思いまして」


「では、わたくしも前のお席にご一緒させていただいてもよろしいでしょうか?」


 カレナの言葉に笑みを更に深くして、アルトゥールはカレナの正面の席の椅子を引いた。


「お忙しいのでは……」


「いいえ。まだ祖父の手伝いを始めて日が浅く、あまり重宝されておりません。それに祖父はいまフランツさまも出席され始めた議会に出席しておりますので、わたくしは晴れて自由の身です。わたくしがいてはお邪魔でございますか?」


 フランツの名前に微かにカレナの身体が反応したが、どうやらアルトゥールは気がついていないようだ。


 こんな暗く人気のない書庫で、婚姻相手のいないあいだに若い男性と二人になることに周囲はどんな反応を示すだろうか。フランツの耳に入ったら彼はどう思うのだろうか。


 だが、よくよく考えてみればたとえ耳に入ったとしても、こんな些細なことくらいでフランツがカレナのもとを訪れることなどあるわけがない。カレナへ引き裂かれたドレスが送りつけられて部屋に何者かが忍び込んだ時でさえ来なかったのだから。


 カレナは、この国に来て以来心を許して話ができる人物が自国から連れてきたクララだけということに大きな寂寥感を感じていた。信頼するべき相手であるフランツに対しての不信感や恐怖心を拭い去ることはできず、カレナを守るといったフェリクスも真に守るべき主はフランツなのだ。


 カレナは若干の後ろめたさを抱きながらも、書庫の扉の外には護衛の騎士が待機しており、それこそ何かある筈もないのだからと自分に言い聞かせた。


「いえ、わたくしの前などでよろしければ」


 カレナの返事を聞き、アルトゥールはその大きな身体を目の前の椅子に沈めた。


「カレナさまとここでお会いできるとは、わたくしは本当に運が良い」


「…………?これからは夜会などでお会いする機会も増えると思いますが……」


「先ほど申し上げたとおり、わたくしはあの婚約の儀の際にカレナさまの美しさに感嘆したのです。わたくしはあなたさまほど美しい女性に出会ったことがありません。あれ以来どこかでカレナさまにお会いできないものかと、ずっと思っておりました。今日は本当に素晴らしい日として私の心に刻み込まれるでしょう」


 カレナは正面からのあまりに手放しでの賛辞に顔が熱くなる。目の前の青年の言葉は、ラヴィーナの貴族たちのような何かを含んだ物言いでも媚びたものでもなく、まっすぐ見つめてくるブルーの瞳が真摯な彼の心を表している。


「そんな、わたくしなど外見がこの国の方々とは異なるから珍しいだけですわ。現に先日の夜会では、わたくしなどよりもっと綺麗な女性をこの目で見ましたもの」


「確かにあなたさまはこの国に住まう者にはないものをお持ちです。ですがそれだけではございません。男性を魅了するあでやかさと一緒に、凛とした清楚な雰囲気を併せ持っている。わたくしの娘もカレナさまを成婚の儀で拝見できるのを楽しみにしています」


 娘がいることを聞き、カレナは若干の安堵を覚えた。既婚者であれば、二人でいてもそれほど不審に思われることはないだろう。


「娘さんはお幾つですか?」


「七つです。その下に五歳の息子がおります。いまは乳母に預けっぱなしでなかなか会える時間がないのですが」


 乳母に預けているということは、母親は面倒を見ないのだろうか。


 そんなカレナの疑問を汲むように、アルトゥールは苦笑を浮かべる。


「お恥ずかしい限りですが、妻は騎士を辞めようとはしないわたくしに愛想を尽かして出て行きました。彼女は貴族の娘で、いずれ跡を継ぐのであろうクロス家の長子に嫁いできたのですから」


「……子供を置いて?」


「ええ。跡取りを産んだのだからもういいだろうと。彼女は子供がそれほど好きではなかったんです。それにもともと家同士の婚姻でしたから、お互い相手に未練はありませんでした」


「………………」


 自分のお腹を痛めてまで産んだ子を置き去りにするというのはどんな気持ちなんだろう。愛情溢れる家族の中で育ったカレナには全く理解ができない。


 フランツを産んだ後一度も彼の前に姿を見せなかった王妃といい、アルトゥールの妻といい、ブルグミュラーの人々の家族への愛情はそれほどまでに希薄なものなのだろうか。もしそうなのだとしたら、フランツのカレナへの態度は納得がいく。時折見せるあの執着は、恐らくカレナ自身ではなくラヴィーナからの支援へのものか子供じみた独占欲なのだろう。


「皮肉なもので彼女が出て行ってから三年後に父が亡くなり、わたくしは跡を継ぐべく騎士団を抜けました。もし父が亡くなるのが早かったら、もし彼女がもう少し我慢してくれていたら、そう思ったこともありました。それでも、愛情の薄い夫婦生活が果たして長く続いたかどうか。いま考えると結果としてこれで良かったのだと思っております」


「子供たちのことは?愛しているのですか?」


「もちろんです。わたくしの血を分けた子供たちですから。何ものにも替え難いほど大切です。正直、妻が子供たちを置いて出て行ってくれたことに感謝しているくらいです。子供たちには母親の存在はなくてはならないものだと理解はしているのですが、どうしても手元から離すことができないのです。幸い、妻の実家には跡継ぎが既におりますから、子供たちを要求されることはないでしょう。ああ、申し訳ありません。わたくしのことばかり話してしまって」


「いいえ、わたくしの質問に答えて頂いただけですわ」


「ありがとうございます。しかし、そろそろ議会も終わる時間です。カレナさまもお部屋にお戻りになったほうがよろしいかと」


 もうそんな時間になっていたのかと、カレナは書庫の前方にある小さな小窓に目をやった。たしかに外は日が沈みかけオレンジ色の光が窓から差し込んでいる。


 ここは自室に戻るべきなのだろう。それでも、この純然たる含みのない気さくな笑みをもう少しだけ見ていたいと思ったのも、まぎれもなくカレナの本心だった。


 それを押し隠して、カレナは口を開いた。


「ええ、ではまた機会がありましたら――――」


「カレナさま」


 カレナの言葉を遮りアルトゥールが名を呼ぶ。その声は驚くほど優しく、そして少しだけ切ない響きが混じっていた。


 まっすぐ見つめてくる優しい眼差しを見つめ返し、カレナはアルトゥールの続きの言葉を黙って待った。


「議会が開催される時間には、わたくしはこの場所を訪れることにします。どうかまたお会いしてお話できることを願っていてもよろしいですか?」


 この問いかけに応えることは、罪になるのだろうか。


 あきらかに先ほどから向けられるアルトゥールの眼差しには、自国の未来の王妃に対して以外の何かを秘めている。それが何であるのかを、気がつかないほどカレナは無垢でも短慮でもない。


 それでも、たとえこの人物との出会いがこれから先のカレナの罪になろうとも、穏やかに微笑むこの目の前の温かな眼差しを、カレナには突き放すことができなかった。


「また……この場所でお会いしましょう」


 アルトゥールの眼差しに含まれるものを考えないように努めながら、カレナはそう一言告げて書庫を後にした。


 知らずに握り締めていた手のひらは、自分の熱で湿っていた。カレナはその熱を解き放つように、胸元を押さえるように両の手のひらを広げて足早に自室へと向かった。






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