光の痕跡 3
その日、ルードヴィヒは夜の闇が深くなった頃、前日のカレナの来訪の際に壁から外されていた肖像画を元の位置に戻す作業を行っていた。本来ならば、金茶の髪にブルーグレイの瞳を持つフランツ1世の肖像画と、白い花が咲き誇る美しい風景画のあいだに掛けられていなければならないものだ。
「ルードヴィヒさま、いらっしゃっていたんですか」
「ああ、起してしまったか?」
階下から上がってきたプファルツに振り返りもせずに、もともとあった場所に寸分違わずに絵を掛ける。
「いえいえ。この年になるとどうも一晩のうち数回は目が覚めてしまいまして。そんなことよりも、カレナさまは大変お美しい方でございますねえ。まさか、あそこまであの方に似てらっしゃるとは思っておりませんでした」
カレナの名前に反応して、在るべき場所へと戻された肖像画を眺めていた黄金の瞳を後ろの人物に向け、からかうように目を細めている白髪の老人を視界に捉える。幼い頃からの教育係であったこの人物には勝てる気がしない。大人しく頷いておくべきだとルードヴィヒは判断した。
「ああ、俺もだ。予想以上に美しくて驚いた」
「そうですか。あの方がルードヴィヒさまの―――――」
「老、年寄りの夜更かしは身体に良くないぞ」
これ以上からかいの対象に甘んじてはいられない。早々に追い返すのが得策だろう。
ルードヴィヒはひらひらと手を振りながら言い放った。
「問題ございません。昼寝の時間をたっぷりと取っておりますので」
「なんだ、老はそんなに暇を持て余しているのか。では新しい仕事でも与えてやろう」
「この年老いたわたくしを労わって下さらないとは血も涙もない。そんなふうにお育てしたつもりはないのですがね」
普段は若い者には負けぬと豪語しておきながらも、都合の悪い時だけ老体だと主張するこの身勝手な老人は、いまではこんな好々爺然とした風貌をしているが、ルードヴィヒの幼少期時代の教師陣の中では群を抜いて厳しい人物だった。それでもその教育方針の中に彼の温かい人間性を多々感じることができたのだから、いまでも多大なる尊敬の念を抱いているのだが。
「じゃあ、希望に応えて老の話し相手になろうじゃないか。老、昨日彼女に何を吹き込んだ?」
「密告者はフェリクスですな。ルードヴィヒさま、あれではカレナさまがあまりにもお可哀相でしたのでね」
「………………」
「カレナさまは今回の件では渦中の人物であると言えるお方でございます。それにもかかわらず、その渦の中からは霧に遮られて視界が曇ったまま、何がどうなっているのか外を見ることができません。いや、彼女の周囲が意図的に視界を妨げているのです。それは彼女の意思では、今の時点ではどうにもできない事なのです」
話の内容は既にフェリクスの口からルードヴィヒに伝えられている。プファルツは、”何を”ではなく”なぜに”ということに的を絞って話し出した。
「何が言いたい?では彼女に全てを話してその身を危険に晒したほうが良いというのか?全てを明らかにすれば俺を止めることはできんぞ」
この姿をカレナに晒せば、真実を告げてしまえば、自分は確実にカレナの傍を離れられなくなるだろう。今でさえその衝動をぎりぎりのところで押し止めているのだから。加えて、あの華奢で美しい彼女に危険が降りかかる確率は格段に高くなる。だからこそ、カレナの目を真実に触れさせないよう細心の注意を払っているのだ。
「そうではございません。カレナさまはいま何もわからず全てに疑心暗鬼になっていらっしゃる。その御心に少しでも光が射すことを、わたくしは願って止まないのです」
「俺にだってわかっているさ。彼女は少しも心の底から笑っていない。俺が一番切望するものを隠してしまっている。だからといって計画を変更することはできないんだ。ただでさえ国王が倒れて計画は遅れているというのに。それに……いや、なんでもない。彼女のことは考えておく。老、そろそろこの宮殿も危険になるかもしれない。ゾフィと一緒にディーバッハ公爵領にある王家の離宮に移る準備をしてくれないか」
「畏まりました。しかし、これだけはお伝えしておきます。わたくしの希望することは、国の明るい行く末よりも何よりも、あなたさまの幸多き未来でございます。どうか御身を危険に晒すことのなきように」
話の核心を言及されることを避けたルードヴィヒに、プファルツはそれ以上カレナのことを話すことを諦めたようだった。
「……ああ、わかっている」
静かに階段を下っていくプファルツを見送り、ルードヴィヒは自室へと続く扉を開けた。
この部屋の窓から望める王都レドラスの町並みを、何の感情も抱かずに幾度眺めたことだろう。
ルードヴィヒはここ数日考え続けていた。果たしてカレナは真実を知れば幸せになれるのだろうかと。
ソルライト鉱山の発見後、衝動的ともいえるほど感情のままに策を練り、事を進めてきた。それがカレナのためなのだと。自分こそが彼女に幸せを与えてやれる、自分が救世主になるのだと。
そんな自己陶酔に浸っていた自分に、愚かにもようやく気が付いたのだ。
ただの自己満足にすぎないのではないか。
カレナはあのままブルグミュラーではない他国の王族に嫁いだほうが、より大きな幸せが待っていたのではないだろうか。
それでも結局どうすることもできずに、そのまま彼女を見守ることしかできない弱い自分に吐き気すらおぼえる。
全てを明らかにしてしまいたいという気持ちと、全ての事を成し終えた後もこのまま真実を隠し続けたいという二つの気持ち。彼女の姿を見る度に、そんな相反する感情にルードヴィヒは苛まれていた。
怖いのだ。全てを知った時のカレナの反応が。だから現状維持を貫き通すしかできないのだ。カレナが辛い思いをしているのをわかっているにもかかわらず。守ると自分自身に誓いを立てた筈なのに。
自分は良い。全てが片付いた後にカレナの傍にいられれば、その微笑を見ることができるのならば自分はそれだけで満足なのだ。
しかし、カレナはどうなのだろう。収束に向かった後に真実を知ったところで彼女の笑顔は戻るのだろうか。もし彼女に拒絶されたとしたら、以前の無気力な自分より更に酷い状態になるであろうことは目に見えている。
そう考え始めると、終わりの見えない迷路に入り込んだように、どうするべきか答えが見つからないまま時間だけが過ぎていく。
生まれて初めて抱いた終わりの見えない執着心。
幼い頃の清らかな思いのままではいられないことを、改めて思い知らされた。
ルードヴィヒは僅かばかり灯りの残っているレドラスの街を見つめながら、初めて知る胸の内の不安に金色の瞳を曇らせた。
初のルードヴィヒ視点でのお話しです。
いかがでしたでしょうか。
フランツが若干病んでるぶん、極めて彼はまともに見えますねえ……。
視点が色々と移り変わるのでわかり辛いとは思いますが、毎週読んで頂いている皆様、ありがとうございます。
そしてこの先も、宜しくお願いいたします。
感想とか頂けると嬉しいです。