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光の痕跡 1

 暖かい日差しが降り注ぐ麗らかな午後、カレナは窓一つない書庫の扉を静かに開けた。


 そこは大国にふさわしく、カレナの身長よりも遥かに高い書棚がいくつも連なり、古書から新書まで様々な分野の書物が膨大といっても過言ではないほど並んでいる。


 カレナはあまりの量に眩暈を覚えながらも、目当ての書物を探すべく仄暗い室内に足を踏み出した。






 きっかけは先日の、ブランコのある小さな庭で聞かされたフランツの言葉だった。


 あの物語の冒頭の王子は、彼の祖父であるフランツ一世のことなのだろう。たった一人の側室のためにラウフェン宮殿を建てたという話で、それは繋がった。


 そして、その孫であるフランツの記憶の断片。


 彼は虐げられながら育ってきたのだろうか。


 公の場所に姿を見せないのは呪いのせいなのか。


 正妃どころか側室さえ娶らずにいたのも。


 いや、最も重要なのは国王や王妃、前国王が何を目にしたのかということである。


 精神を患うほどの何かをフランツのどこかに見出したのには間違いない。彼はどんな思いを抱きながらカレナにあの物語を話したのだろう。


 二代にわたって王妃が精神を患って亡くなっている、呪われているのだと、公言されていない出来事を語ったあの言葉。自分もそれに加わることになるのか。いずれは精神を蝕まれ、歴史の闇に葬り去られてしまうのだろうか。


 いろいろな疑問がカレナの頭の中を巡っている。


 それと同時に自分自身への問い掛けも浮かび上がる。


 カレナは今でも理解できなかった。なぜあの時、フランツの口付けをさも自然なことのように受け入れてしまった理由が。


 生まれて間もない頃の忌まわしいとさえ言える記憶を話した直後の、あの苦しそうに歪んだ笑いと瞳が、まるで自嘲しているように見えたからなのだろうか。


 それとも、呪われた妃と口にした時の表情が、見たこともないほどに真摯なものだったからだろうか。


 フランツから吐き出される台詞には、恋愛感情が宿っているような甘やかなものは混じっていない。そのくせ、


 カレナに対して偏執的とも言えるほどの執着を時折垣間見せる。


 色々な顔を見せるフランツ。カレナはいまだに、どれが本当のフランツの姿なのかわからない。いつもの間延びした物言いも、今でははっきり偽りのものだと断言できる。


 それとも、今カレナに見せている姿はすべてが偽りの姿だろうか。そうあの柔らかな微笑みさえも。


 カレナは、気が付けばフランツのことばかり考えている自分に戸惑いを隠せない。けれども、フランツが気になって仕方がないのだ。酷薄そうな顔を見せたり逃がさないと脅されたりした筈なのに。好感どころか親近感さえ抱くことが出来ないのに。


 フランツに対する自分の感情を量ることができない。どんな姿を見せられても、不思議なことに彼を嫌悪する気持ちが湧いてこないのだ。彼のことを知りたい、本当の彼の姿を見てみたいという欲求が湧き上がってくるだけだった。その感情を何と呼ぶのかカレナにはわからない。


 あの少し長めの口付けの後、フランツは慈しみに満ちた微笑を浮かべたままで最後に一言付け加えた。


『明日ラウフェンの宮殿に行こう』


 そしてその言葉通りに、翌日の午後カレナを迎えにやってきた。


 王族が使用する広々とした内装の豪華な馬車で、王都までの道を半ばまで走った。そこから辛うじて馬車一台が通れるほどの狭い道を、王宮が建つ山をぐるりと回るようにして辿り着く。


 そこは小さな果樹園の棚段の上に建つ、可愛らしい二階建ての宮殿だった。


 王族が使用するにはあまりにも小さい気がしたが、クリーム色の外壁と王家の紋章にもある鷲と蔦が彫られた真っ白な柱から、和やかかつ荘厳な印象を受ける。中に入れば天井には、戯れる天使たちが描かれたフレスコ画が一面に広がっていた。内壁は白色で所々に風景壁画が描かれており、宮殿内は明るく温もりに満ちた空間だった。少し幅の狭い廊下には馬や獅子などの大理石の彫刻が置かれ、全ての柱には表情や仕草の違う女神の姿が一本一本に繊細に彫り込まれている。


 その宮殿のあまりの素晴らしさに、カレナは感嘆の溜息を漏らしたほどだった。王族の宮殿には当たり前のように見られる金が一切使われていなかったが、それが逆にこの宮殿の神聖さを醸し出しているようだ。側室一人のために建てたというのが真実ならば、フランツ一世前国王の側室への想いが伝わってくるような、そんな宮殿だった。


 護衛のためフェリクスを従わせたカレナたち三人を出迎えたのは、宮殿を管理しているプファルツ老師夫妻だった。


 二人はカレナたちの来訪を大層な歓迎振りで出迎えた。夫であるプファルツは歴史学と神学、言語学の高名な学者で、フランツ一世の側役を務めていた人物だった。そして妻のゾフィは礼節と社交の講師をしていたという。テオドールが王位を継ぎ、フランツ一世が逝去した今では妻と共に隠居の身だと、深い皺が刻まれた穏やかな顔でカレナに微笑んだ。


 そんな夫妻に案内され一階にある詩人の間や物語の間といった芸術家たちとの交流を目的に造られた部屋を見て回った後、茶の支度を整えるために席を外した夫人以外の四人は階上へと足を向けた。


 緩やかに曲線を描く階段のすぐ上には、茶会などの催し物が出来るくらいの広さがある小さなホールが設けられ、様々な絵画が空間を彩っていた。そして最も人目を惹く場所に、フランツ一世の肖像画と並んで飾られている風景画にカレナの視線は釘付けになった。


「これは……」


「ああ、これは祖父の側室が一番気に入っていた絵らしいよ~。綺麗な景色だよねえ」


 カレナはその景色に見覚えがあった。絨毯のように所狭しと咲く白い花。その丘の向こうには、母国ラヴィーナの王都であるクラインリートの街並みが描かれている。幼い頃に城を抜け出して、兄と弟の三人でよく通った丘からの景色だった。


 ヴィースヴァルトの丘と呼んでいた小高い丘。その丘の天辺一面に、ヴィースヴァルトという南国ではありふれた花が大量に咲き誇る美しい場所。カレナが幼い頃から慣れ親しんだ風景だった。


「これはどこなのですか?」


「う~ん、僕も知らないんだよ~。どこかの国の実在する風景だと思うんだけどねえ。どこなんだろうなあ」


 これは母国ラヴィーナのあの懐かしい景色に間違いはない筈だ。丘から望めるクラインリートの街が、寸分違わず細かいところまで鮮明に描かれている。何十回と目にした光景なのだから見間違える筈がない。


 なぜフランツ一世の側室はこの風景画を気に入っていたのだろう。他にも美しい絵画が数多く飾られているのに。


「側室の方の肖像画はないのですか?」


 ヴィースヴァルトの丘だと思われる風景画の隣には、同一人物かと思わせるほどフランツにそっくりなフランツ一世の肖像画しか飾られていない。


「うん、それはないよ~。描かせなかったみたいだねえ」


「そうですか。どんな方だったのですか?」


「僕もあまり記憶にないんだよ~。だってあまり姿を見たことがなかったし、僕が七、八歳の頃に亡くなってしまったからねえ」


 住まわせる宮殿を一つ新たに建ててしまうほど愛していた側室の肖像画を、フランツ一世は描かせようとはしなかったのか。


「みなさま、支度が整いましたよ。リック、運ぶのを手伝ってちょうだいな」


 ちょうどそこへ、茶の準備を終えたゾフィ婦人が声を掛け、この話はそれで終了となった。






 足の部分に繊細な花の彫刻を施したテーブルを五人で囲み、たあいもない話に花を咲かせ一段落ついた時には、宮殿を訪れてから既に随分と時間が経っていた。


 多忙なフランツにフェリクスが腰を上げさせ、カレナは新しい情報を入手できないまま王宮に戻ることとなった。それどころか、カレナの意に反して訪れる前よりも更に疑問点はいくつか増えてしまう結果となった。そして、期待していた“ルードヴィヒ”という人物の情報も、その欠片さえ見つけることができなかった。


 フェリクスがルードヴィヒという人物に関する情報を隠しているのは明らかだが、その口を割らせることは難しいだろう。フェリクスが知っているのならばヴァルターも知っている人物なのかもしれないが、こちらは更に難敵だと思われた。


 テオドール国王がカレナにラウフェン宮殿の話を出したのは、ただ単にラヴィーナの風景画があったからで、特に他意はなかったのだろうか。しかしそれならば、その後“ルードヴィヒ”という人物の話題を挙げた理由がわからない。


 すべてを最初から調べてみる必要があるのかもしれない。


「カレナさま」


 考えを巡らせながらフランツの後に続いて帰りの馬車へと乗り込もうとしたカレナに少し離れた場所から、見送りに出ていたプファルツが呼び止めた。見ると、何やらカレナに向かって手招きしている。


 不思議に思いながらもプファルツの元へと歩み寄ると、穏やかな笑顔のままカレナをまっすぐ見つめてゆっくりと口を開いた。


「我宿りし炎へ 偽りの光降り注ぎ 膝を折る神の子の頭上 黒の聖女現れしとき 真実が口を開くであろう」


 訳がわからず首を傾げるカレナに、プファルツは更に笑みを深めて再び話し始めた。 


「先見さまが前国王フランツ一世さまに告げたお言葉でございます。カレナさま。いま目に映っているものが、必ずしも真実であるとは限りません。すべてはあなたの中にあるのです。それだけは憶えておいてくださいませ」


 言葉の意味が理解できず口を開きかけたカレナに、馬車の中からフランツの呼び掛ける声が聞こえてきた。馬車の横で待機していたフェリクスに促され、後ろ髪を引かれながら馬車へと乗り込んだものの、整えられた王宮への道のりを揺られながら、カレナはプファルツの言葉を頭の中でずっと反芻し続けていた。




 




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