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闇の片鱗 3

 ドレスの一件があった翌日、カレナは前日と同じように庭園の東屋で一人、庭園の花々をじっと見つめていた。


 得体の知れない何者かが入った自室は気味が悪く、とても一日を過ごす気になれなかった。かといって他に行く場所もなく、自然とこの庭園に足を向けていた。


 あれからフランツがカレナの元を訪れることはなく、丸一日を経過した今も言伝一つ寄越すことはなかった。


 やはり、カレナを自分のものだと言ったあの言葉は偽りだったのだろう。いや、それ以上にカレナを疎んじてさえいるのかもしれない。


 いくら好意を抱いていないにしても、通常ならば自分の婚姻相手を気遣う素振りくらいするのではないだろうか。


 結局のところ、カレナはフランツにまったく相手にされていないのだ。


 婚約の儀より以前にフランツが姿を見せなかった時点で、カレナはそれをしっかりと自覚するべきだったのかもしれない。


 それでも、存在さえ疑われている王子でも、対面してお互いを理解し合えれば、もしかしたら愛し合うことが出来るかもしれないと淡い期待を抱いていた。カレナを傷つけないと優しい笑みを見せたフランツが本当の彼の姿なのではないかと、心のどこかで願っていた。


 しかし、それは間違いだったと気付かされた。


 カレナが心細く不安に思っていることなど容易に想像つく筈だ。けれども、彼は労わる素振りさえ見せようとはしないのだから。


 いくら政略的な婚姻とはいえ、改めて考えると胸の痛みに苦しくなる。しかしこの痛みも、これから先の生活の良い教訓になるだろう。決して夫に何かを求めてはいけないという教訓に。


 そんなことを考えながら、ぼんやりと庭園を眺めているときだった。


「カレナさま」


 聞き覚えのある声を耳にしてそちらに振り返ると、そこには婚姻相手の護衛である赤茶の髪の男が爽やかな笑顔を浮かべながら立っていた。


「フェリクスさん」


「リックで結構ですよ、カレナさま。ああ、敬語も駄目ですよ。あなたはフランツさまの正妃になられるお方なのですから」


「ありがとう」


 まだ成婚の儀の前なのだからそうする必要は無い筈なのに。


 カレナはフェリクスの温かな気遣いに安心感を覚え、自然と安堵の笑みを零した。


「お寒くはありませんか?こんなところに座っておられて」


 ブルグミュラーはラヴィーナとは違い、一年を通して季節ごとに気温の寒暖が激しい国だ。実際に一年中日差しの照り付ける南国の育ちであるカレナは寒さに弱かった。フェリクスもそれを慮っての発言なのだろう。しかし気味の悪さを我慢してまであそこに篭もっているくらいなら、慣れない寒さを我慢して外の空気を吸っているほうが余程かましだ。


「あのようなことがあった部屋で一日を過ごすことなど、とても出来そうもなかったものだから……」


「えっ、まだ部屋を替えてもらってないですか?おかしいなあ。フランツさまが替えさせるって言っていた筈ですが……」


 それが侍従や侍女たち伝わっていないのだろうか。いや、もしかしたらわざと伝えていないのではないだろうか。


 カレナはそんなことを考えて、直後に自己嫌悪に陥る。これは被害妄想以外のなにものでもない。それだけ心が弱っているのかもしれない。


 そう考えてカレナは自分の心を咤した。


「すぐにお部屋を替えさせます。少しお待ち頂けますか?」


「ええ、ありがとう」


 そう答えてから、カレナはふいに思いついた。


 フランツの護衛であるこの青年ならば、フランツがどういう人物なのか知っているではないかと。これまではこうしてゆっくり話をする機会が無かったが、この青年かフランツの側近であるヴァルターに聞くのが一番早い方法だ。フランツの護衛という立場から、フランツ自身やこの婚姻にマイナスになるような発言はしないと憶測が立つが、それでも何かわかることがあるかもしれない。それに、もしかしたら“ルードヴィヒ”という人物についても何か知っている可能性だってある。


 カレナはそう思い立って目の前に立っている男を真剣な顔で見据えた。


「リック、聞きたいことがあるのだけれど」


「どうかされましたか?」


 首を傾げて柔らかく問いかけてくる青年に、カレナは意を決して口を開いた。






「あの……フランツさまってどういう方なのかしら」


「えっ?」


 フェリクスは真剣な顔をして問い掛けてくる美貌の王女に、言葉の意図が図りかねて聞き返す。


「あのね、まだそんなに色々なことを話したわけではないから、フランツさまがどういった方なのかよくわからないの」


「不安なのですね」


「……ええ、そうね。正直どう接していいのかわからない時があるの」


 そう答え、その美しい顔が翳りに覆われる。


 フランツが昨日からカレナを訪ねていった形跡はない。あのような事件があったというのに婚姻相手が姿を見せないことに大きな不安を抱えるのは当たり前だろう。


 フェリクスはカレナの座る正面の椅子に腰掛けて、カレナを安心させるような笑みを浮かべた。


「カレナさま。色々お噂を耳にしておられるとは思いますが、フランツさまは次期国王に相応しい素晴らしいお方です。夫としても信頼の置ける方だと思いますよ」


「………………」


 フェリクスの言葉を聞いても、カレナの顔の翳りは消えない。


 それもそうだろう。王宮の侍女たちは一様に噂好きで、王子の婚姻相手の耳に入る可能性があろうとも、なんら憚ることなく憶測も交えて面白可笑しく話を流すだろう。


 すべてが終わったあとは、そちらにも手を回さなければいけないだろう。姦しい侍女たちを本当に再教育出来るのか、怪しいところだが。


 成婚の儀までまだ時間がある。それは、カレナがラヴィーナに帰ってしまう可能性がまだ残っているということだ。それだけは、何が何でも阻止しなければいけない。その可能性を秘めるすべてを出来る限り潰しておかなければ。


「カレナさま。フランツさまはカレナさまをとても大事に思っておいでですよ。今回の件でカレナさまのもとを訪れていないのは何か事情があると、わたくしは思います」


「……信じられないわ」


 カレナはフェリクスから目を逸らし、弱々しく首を振る。


 フェリクスは、カレナが不安を払拭出来そうなものはないか、思考を巡らし記憶の中から探し出した。


「では一つだけお教えしましょう。カレナさまは、今までどんな女性にも興味を示さず数ある婚姻の話にも首を縦に振らなかったフランツさまが自ら選んだ女性なのですよ」


「えっ………本当に?」


「ええ、本当ですよ」


「ラヴィーナからの財政支援を目的とする国王陛下からの命ではないの?」


「フランツさまは国政にあまり興味をお持ちではないので、いくら国王陛下の決めたことであっても本人にその気がなければ決して首を縦に振りません。どんなに国力のある他国の王族との婚姻話があがった時も、フランツさまは一切興味を示しませんでしたし」


「どうして、わたくしなのかしら」


「……申し訳ありません。そこまではわかりかねます。ただ言えるのは、もしかしたらカレナさまとの婚姻の話が成立していなかったら、フランツさまは生涯独身だったかもしれないということです」


「………………」


 最初にカレナを見た時、フェリクスはその美貌に感嘆の念さえ抱いた。そして婚約の儀の後の夜会では、大国の王族に嫁するに相応しい堂々として優美な立ち居振る舞いを見せ、ブルグミュラー貴族たちの嘲笑を一蹴した。


 しかし、その気丈な美貌も今は鳴りを潜め、不安に駆られたその姿はフェリクスの庇護欲を掻き立てる。美しく輝く黒い瞳を揺らめき覆い尽くす影を拭い去ってやりたい。


 状況からして、今は多くを語ることは出来ない。


 それでも、その憂いを少しでも取り除いてやりたいと心の底から思ったフェリクスは、黙り込んでしまったカレナに柔らかな視線を投げかけた。


「ほかに何かお聞きになりたいことはございますか?わたくしでよろしければお答えさせて頂きますが」


 フェリクスの言葉に、黙り込んでいたカレナが不意に顔を上げた。


「ではルードヴィヒとはいったい誰なの?」


「えっ、それは……」


 思いがけない名前の登場にフェリクスは戸惑った。


 なぜ、カレナがその名前を知っているのかフェリクスにはまったく推測さえ浮かばない。しかし、ここでその戸惑いを見せることは厳禁だろう。


「テオドール国王陛下への謁見の際に国王から聞いた名前なの。でも誰なのかもさっぱりわからなくて」


「……申し訳ございません。わたくしもそのような人物に心当たりはございません」


 心の中でテオドールに向けて不敬にも舌打ちをしながら、フェリクスは平静を装いきっぱりと言い切った。


 いくらカレナといえどもルードヴィヒのことを公にすることは出来ない。フランツのことで疑心暗鬼になっているカレナを、危険な目に遭わせてしまうことになるかもしれないのだ。僅かな綻びでさえ命取りになりかねない。


 長いあいだ怠惰な態度で政治に参加してきたルードヴィヒ。自身の幸福にも国の繁栄にも、全てにおいて自暴自棄とさえ思えるような投げ遣りな態度しかとってこなかった。ヴァルターとフェリクスは、ルードヴィヒの生い立ちも何もかもを理解していたため口を出すことが出来なかったのだ。


 しかし、ラヴィーナの鉱山の発見で一変した彼は、カレナがこのブルグミュラーで平穏な生活が送れるよう、政治の駒として扱われることがないようにと、国の汚濁の要因全てを一掃することを決めたのだ。ゆくゆくは、カレナがブルグミュラー王妃としてフランツの隣で輝かしい姿で立つことができるように。


 それは同時に、ルードヴィヒがこのブルグミュラーという枷を生涯背負うことを意味するもの。他ならぬカレナのために。ならば、自分もすべてを賭けてそれを支えようとフェリクスは決意したのだ。


 すでに何年も汚職に明け暮れた厚顔な者たちのおかげで、そうやすやすと行える所業ではないことはルードヴィヒも十分理解はしていた。現に本来ならば婚約の儀までに片付いている筈だった計画も、テオドールが倒れたことで急遽変更を余儀なくさせられた。予想していなかった意外な人物の不貞も発覚した。


 しかし、すべてはカレナのため。それだけでここまでやってきたのだ。カレナの何がそれほどまでルードヴィヒを突き動かすのかフェリクスにはわからなかったが、ルードヴィヒのカレナに対する深い想いだけは容易に想像できた。


 ルードヴィヒが自分の感情を殺し、持てる力のすべてで守ろうとしているカレナを危険に晒すことは避けなければいけない。それはフェリクスに科された望みの代償でもあった。


「カレナさま、そのお名前はここでは口になさならないほうが宜しいかと思われます」


「……どうして?」


「それは、わたくしの口からは申し上げられません」


「何か知っているのね」


「申し訳ございません。ですが、信じてください。フランツさまもヴァルターもわたくしも、カレナさまを必ずお守り致します。いずれ時がくればすべてをお知りになる機会が必ずやって参ります。その時まで、どうか何卒、お待ち下さいませ」


 こんなことを口にしたとしても、カレナには気休め程度にしかならないことはフェリクスも理解している。


 それでも、少しでも自分たちの思いを、ルードヴィヒの想いを知ってもらいたい。そんな衝動に駆られ、フェリクスは語気を強くした。

 





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